ISSN 2189-1621

 

現在地

《巻頭言》人文情報学の現状と今後(後藤真)

◇人文情報学の現状と今後(後藤真)

はじめに
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人文情報学にかかわる研究状況の概観について述べよ、という題が私に
課せられた内容である。その任に堪えうるものを書ける自信はないが、
自らの立ち位置から可能な限りの概観を述べるとともに、いくつかの課
題を提示することでそれに代えることとしたい。
まず、私自身のスコープと立ち位置を示すため、簡単に私自身の経歴を
述べておきたい。私は、もともと日本古代史を専攻していた。人文科学
にコンピュータを応用する研究を情報学の立場からおこなっていた柴山
守氏(*1)(現在は京都大学)の薫陶をうけ、古代資料のデジタル化と
研究の方法論に基づく文書の復原モデルをもととしたデジタル・アーカ
イブを作成した。また、それらの成果の多くは、情報処理学会人文科学
とコンピュータ研究会(CH研究会)(*2)の研究報告・シンポジウムな
どで発表している。そのようなご縁もあり、CH研究会では、2007年よ
り幹事・主査の任をつとめさせていただいている。現在は、文学部の中
で情報歴史学、という歴史学に情報科学を応用する研究を行っている。
人文科学(とりわけ日本史学)出身で、CH研究会を中心に活動を行って
いるという視角からの文章である点はあらかじめお断りをしておきたい。
また、本稿では紙幅の関係上、国会図書館の電子図書館事業をはじめと
する図書館情報学にかかわる多くの成果に触れることが出来なかったこ
とも、あらかじめお断りしておきたい。

*1 柴山守氏: http://gissv2.cseas.kyoto-u.ac.jp/~sibayama/
*2 情報処理学会人文科学とコンピュータ研究会: http://www.jinmoncom.jp/

現状認識 主に成果を中心に
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近年、人文科学とコンピュータ研究では技術的可能性の模索の段階を経
て、より人文科学に近い側の研究へとシフトしてきている。例えば、20
10年の人文科学とコンピュータシンポジウム(東京工業大学)(*3)
では、GIS(*4)の技術的可能性とモデルを応用した可能性に触れる論
考も現れはじめ、歴史研究へと実質的に応用可能なものとなりつつある。
また、多くのテキスト解析が海外のDigital Humanities(以下DH)の
研究水準に比肩する水準で報告されることもあり、研究の水準は人文
科学研究者の使いやすいもので、かつ国際的なものとなりつつある。
CH研究会の文脈を離れてみても、人文科学にとって有益な研究が多く現
れはじめている。例えば、Google Earth上に原爆の被害とその証言を記
したヒロシマアーカイブ(*5)、ナガサキアーカイブ(*6)などは、
ナラティブな語りの存在を広く伝えることを可能にし、デジタル技術と
の融合による可能性の広さをうまく示している。
東日本大震災に関連しては、被災した博物館・図書館・アーカイブズ・
公民館などの被災情報を集積し、その救援に役立てようというプロジェ
クトであるsaveMLAK(*7)や、被災した遺跡情報を地図上に落とし
こみ、その保存に役立てようというプロジェクトである被災文化遺産
救援コンソーシアム(CEDACH)(*8)などのプロジェクトもある。
このように人文科学的なニーズを効果的に拾い出し、情報技術の応用を
進めている状況が顕著になってきているが、これらの動向には、いくつ
かの共通した傾向があるように見受けられる。一つ目は地理情報・時空
間情報の効果的な応用と融合。二つ目には、テキストの高度な解析研究。
そして三つ目には、メタデータの新たな展開と知識情報の応用である。
この傾向について詳しく述べる紙幅はないが、これらの傾向は検索手法
の多様化、そして解析研究の実質化という点において、今後も進められ
るものであるといえよう。
しかし、一方で、人文科学への応用が目的の研究でありながらも、データ
を作ること自体が目的化されてしまう傾向がいまだに続く事例があるこ
とも指摘しておきたい。情報技術の応用は手段である。手段そのものを
目的としたような方向をとることは厳に慎むべきである(情報技術の開
発・研究が目的であれば別だが)。

*3 人文科学とコンピュータシンポジウム(じんもんこん2010):
http://jinmoncom.jp/sympo2010/
*4 GIS(Geographic Information System):地理的位置情報をキーと
して様々な情報を整理し地図上に表示しつつ高度な分析を可能とするシ
ステム。 http://www.gsi.go.jp/GIS/whatisgis.html
*5 ヒロシマアーカイブ: http://hiroshima.mapping.jp/
*6 ナガサキアーカイブ: http://nagasaki.mapping.jp/
*7 saveMLAK: http://savemlak.jp/
*8 被災文化遺産支援コンソーシアム: http://www.cedach.org/

海外研究との融合と日本
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メタデータ(*9)の標準化(*10)の動きと、欧米のDHの動きと呼応し、
また、研究の国際化動向と呼応し、海外との連携も強く意識されはじめた。
日本でもDHのシンポジウムやワークショップも多く行われるようになり、
人文科学とコンピュータシンポジウム(*11)でも2009年、2010年の
2年にわたり欧米のDH関係者の講演を得るなど、連携が活発になっている。
デジタルデータの横断性という優位を活かすためには、海外のデータと
共有化できるような仕組み、そして、研究を行うことが極めて重要にな
ってきている。この傾向はこれからも進むであろうし、積極的に進める
べきであろう。
たとえば、最近あらわれはじめたテキストデータにTEI(*12)を応用
する研究などは、海外の研究成果との連携や、横断的研究の代表的なも
のの一つであろう。今後は、TEI導入のメリットがより明瞭となる研究や、
日本での研究事例の増加、ガイドラインの翻訳などが、望まれる。
しかし、海外の研究需要の傾向にも課題はある。海外モデルの無批判な
受容が、日本の資料モデルを歪める畏れがある。目録編成や資料編成モ
デルは、資料をどのように扱うか、どのように排列するのかという、認
識モデルをバックボーンとしているのは、いうまでもない。そこに日本
と異なるモデルを無批判に受容することは、結果的に日本の資料のあり
ようを歪めてしまうことになりかねない。一部には、海外との連携を急
ぐあまり、日本の研究の積み重ねとの効果的なクロスオーバーではなく、
単なる受容のみになってしまっているのでは、と危惧を抱かせかねない
ような傾向のものもある。無論、日本の成果のみで完結できる研究など
もはや存在しない。海外の見習うべき研究を積極的に取り入れ、相互に
横断的に研究を行うという傾向はこれからも進むであろうし、進めてい
かなければならない。しかし、それが、日本の積み上げてきた研究を排
し海外研究を受け入れよ、ということにならないように心がけておきたい。
必要なのは単純な受容ではなく、両者の融合・止揚であり、相互横断的な
研究である。

*9 メタデータ:対象となるものについての抽象的な情報を指す。
例えば、書籍についての書誌情報、美術品の目録情報など。
*10 メタデータの標準化:メタデータの共通規格を作ろうとする動向。
代表的なものとして「ダブリン・コア」が有名である。
*11 人文科学とコンピュータシンポジウム(じんもんこん2009):
http://jinmoncom.jp/sympo2009/
*12 TEI(Text Encoding Initiative):人文学資料を構造化・マーク
アップするために欧米を中心に1980年代より作成・改良されてきて
いるガイドライン、またはそれを作成している団体を指す。
http://www.tei-c.org/
【参考】国際セミナー TEI Day in Kyoto:
http://coe21.zinbun.kyoto-u.ac.jp/tei-day/

研究史の参照の重要性
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人文科学と情報の中間領域は、対象、手法ともにその幅が大変広く、分
野も横断的であるがゆえに、全体を見通すのが大変難しい。そのためか、
必要な研究が参照されず、車輪の再発明のような事例から、失敗の繰り
返しのようなものまで見受けられる。とりわけ情報工学系では、作るこ
とを主眼とした研究が中心となるため、先行研究の批判が行われにくい
傾向がある。情報工学でのその習慣は「作る」文化の中では、問題のな
い部分ではある。しかし、中間領域たるこの分野では、先行研究を参照し、
どの点を継承するのか、どの点は「失敗」であったのかを追求するのは、
よりしっかりと行われても良いのではなかろうか。過去の失敗はその研
究そのものを貶めるものではない。研究という文脈でみるかぎり、それ
は成果であるのだから。
それらの課題解決のためにも、全体の見通しをつけやすくするための研
究史を整理する集団・サイトの存在と、「ここを見れば研究の最新状況
が見通せる」といったジャーナルの必要性を指摘しておきたい。あわせて、
最新・高質のデジタル・アーカイブ研究が見渡せると同時に、さまざま
なデジタル・アーカイブの情報を得られるためのポータル・ハブ的存在
が必要となるであろう。
今後も、横断・共有とより多様な知識情報の構築の傾向は続いていくで
あろう。多くの成果と知を継承しつつ、本来の成果を見失うことのない
ような研究を進めていきたい。そのような自省を述べ、本稿を閉じるこ
ととしたい。

執筆者プロフィール
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後藤真(花園大学文学部文化遺産学科専任講師・博士(文学))
歴史学を中心に、人文科学の諸情報のデジタル化に関心を持ち、花園大
学にて教育研究に従事する傍ら、情報処理学会人文科学とコンピュータ
研究会の幹事・主査を歴任。
2003年、情報処理学会 山下記念研究賞を受賞、
2009年には『情報歴史学入門』(金壽堂出版・共著)を出版している。

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