ISSN 2189-1621

 

現在地

DHM 027 【後編】

2011-08-27創刊

人文情報学月報
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄Digital Humanities Monthly

             2013-10-23発行 No.027 第27号【後編】 387部発行

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 ◇ 目次 ◇
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
【前編】
◇《巻頭言》「家族写真の分析から見える家族交流の“実相”と“異相”」
 (研谷紀夫:関西大学総合情報学部)

◇《連載》「Digital Humanities/Digital Historyの動向
      ~2013年9月中旬から10月中旬まで~」
 (菊池信彦:国立国会図書館関西館)

◇人文情報学イベントカレンダー

◇イベントレポート(1)
HDH2013 報告/スペインにおけるデジタル・ヒューマニティーズ学会設立大会
 (Paul Spence:キングスカレッジ・ロンドン)
 (日本語訳:永崎研宣・人文情報学研究所)

【後編】
◇イベントレポート(2)
国際会議:ソーシャル・デジタル・学術編集[第一日目]
 (Geoffrey Rockwell:アルバータ大学)
 (日本語訳:滝浪佑紀・東京大学大学院情報学環、永崎研宣・人文情報学研究所)

◇イベントレポート(3)
第99回 人文科学とコンピュータ研究会発表会
 (永崎研宣:人文情報学研究所)

◇イベントレポート(4)
第2回SPARC Japanセミナー2013「人社系オープンアクセスの現在」
 (佐藤翔:同志社大学社会学部教育文化学科)

◇イベントレポート(5)
Code4Lib JAPAN Conference 2013
 (後藤真:花園大学文学部文化遺産学科)

◇編集後記

◇奥付

 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
【人文情報学/Digital Humanitiesに関する様々な話題をお届けします。】
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◇イベントレポート(2)
国際会議:ソーシャル・デジタル・学術編集[第一日目]
https://ocs.usask.ca/conf/index.php/sdse/sdse13
 (Geoffrey Rockwell:アルバータ大学)
 (日本語訳:滝浪佑紀・東京大学大学院情報学環、永崎研宣・人文情報学研究所)

http://philosophi.ca/pmwiki.php/Main/SocialDigitalScholarlyEditing

注:このカンファレンスのレポートは、ライブで書かれているので、誤字を多く含
 んでいるだろう。また、私は本当に興味を引かれた場合、ないし退屈してしまっ
 た場合、書くことを止めてしまう傾向にある。ゆえに、以下のノートは完全なも
 のであると見なされるべきではない。

 カンファレンスのサイトは、 https://ocs.usask.ca/conf/index.php/sdse/sdse13
である。

 開会の辞は、十分な知識のないままに先住民から土地を譲渡させたところの第6条
約の土地に、私たちがいるという事実について語る、Parkinson副学部長の言葉から
始まった。

  「私たちは第6条約の土地に立っている。」

 英文学の学部長は、サスカチュワン大学における英文学科によって演じられた重
要な役割について言及した。

○Paul Eggert:読者指向的学術編集版と作品

 Eggertは、彼は論争的になるだろうと予告した。彼はソーシャル・エディション
をモデル化した、Ray Siemenの論文に言及した。Eggertは、Rayの提案したモデルが
不十分であると感じている。なぜなら、それは学術編集版の本質を逃しているため
だ。彼はもう一度、基礎を素描することから始めようと試みた。学術編集版とは何
であり、デジタルの到来がそれについての私たちの考えに、いかなる変化をもたら
したのか。彼はいくつかの鍵となるアイディアを挙げた。

  ・相互作用(transaction)としての編集版:編集版とは、テクストの客体化で
   はなく、編集者と読者の間の相互作用である。

 ドイツ人にとって、テクストとはシステムである。それゆえ、彼らはいかなる構
成要素をも散逸させることなく、テクストの歴史を復元しようと欲する。それに対
し、英米の編集者は著者自身によって書かれたオリジナルなテクストを回復し、美
的経験を準備することに焦点を当てる。

 Eggertは、両伝統に属する編集者はともに、テクストの物質的性質および読者が
必要としているものを無視していると考えている。皮肉なことに、高度な理論の時
代に、読者は〔ドイツ的あるいは英米的な編集版の〕いずれも欲していない。アー
カイブ機能と解釈の間には、これまで認識されてこなかった緊張があるのだ。〔ド
イツ的および英米的という〕これら風変りな編集版は、さまざまな変種のいくつか
として墓標を刻まれたのだ。

 Eggertは編集版を、作品を指向するものとしてよりも、読者を指向するものとし
て捉え直そうとしている。彼は作品を、読書――つまり相互作用――の中から生じ
るものとして理解しようとしているのである。それは文書としての安定性を有して
いるが、解釈学的安定性は有していない。作品とは統制的な概念である。作品とは、
読書というゲームを知っている人に対し、読書〔という行為〕を統制する概念なの
である。

  ・作品という概念が、行為についての統制的観念であるとすれば、私たちはそ
   れを編集者と原作の間のやりとりとしてではなく、編集者と読者の間のやり
   とりとして見なすべきだろう。

 編集者は、ひとつの主張を提起していると考えるべきである。すなわち、編集
[とは]作品に関するものではなく、作品の一部なのである。デジタル的視点は、
編集者がこれまでの間、どのようなことをしてきたかを露わにした。しかし、読者
に対する配慮のいくらかは、出版社や本のデザイナーにも委ねられていた。編集者
は、言葉の連なりを超えて、デザイン的特性にまで、自分たちの地平を拡大させな
ければならなかった。理論的等式への読者という項の導入は、ある不安定性を導入
することでもあった。編集版の数だけ読者/編者がいるという等式で満足していい
のだろうか。

 〔たしかに〕編集者の主張は、編集版において実例として示されている。しかし、
それは意図したとおりに理解されるのだろうか。編集者が試みているのは次のこと
である。

  ・何らかの擁護可能な仕方で、読者に対し作品を提示すること。

 Eggertは、印刷およびデジタルにとって「自然」とは何であるのかについて話し
た。アーカイブ的なものと編集的なものを共に、印刷物に編み込むということは自
然であると思われる(本とはアーカイブすると同時に、新しい編集版を提供するこ
とである)。しかしデジタルにおいては、それらは共に編まれる必要はない。編集
を行うことと切り離して、テクストを保存することができるのだ。

 彼はその後、テクストとは、作者ではなく文書の関数であるというGablerの考え
方に言及した。Eggertが感じるところでは、Gablerもまた読者を見逃しており、編
集を生活から分離させようと試みている。そうではなく、編集版と編集は、継続的
なプロセスの一部なのである。

 こうした説明の帰結は、〔編集版と編集には〕外部という立場が存在しないとい
うことである。

 私はEggertに、読者中心の編集モデルで、編集と他のコミュニケーション行為を
どのように差異化しているのかと質問した。彼は、編集とは文書を参照するコミュ
ニケーション行為の階層に属するという点に同意することで、非常にうまくこの質
問に答えた。

○Wendy Phillips-Rodriguez:ソーシャル・デジタル・古写本編集?

 Phillips-Rodriguezは、サンスクリット語のテクストを編集している。デジタル
ツールを使って、編集版を作成するというのが〔彼女のプロジェクトの〕ひとつで
ある。デジタルツールを使って、エディションを提示するというのがもうひとつで
ある。彼女は「Digital Shikshapatri」を提示したが、これはインドの聖者による
テクストに関するプロジェクトであり、信者による多くのアクセスがある。こうし
た信者は、テクスト〔がデジタル化される〕以前にすでに信仰していた。すなわち、
〔デジタルテクストという〕別の種類の見方、ないし読み方[が可能になる]前に
帰依していたのである。学術図書館にとって、こうした訪問者は驚きだった。〔オ
ックスフォードの〕ボドリアン図書館は、こうした訪問者のために設置されたもの
ではないためである。デジタルテクストは、こうした訪問者のニーズの一部を満た
すことを助けたのだ。それは、私たちが思いもつかないような「読書」の形態の素
晴らしい一例だった。

 彼女はその後、読者に注意を払うことの危険性について議論した。読者は時とし
て多くのことを要求し、自身が必要としていることを編集者以上にはっきりと知っ
ている。編集者はどの程度、その編集版に属する素材の多様性を制限ないし統制し
ようと欲するのか。彼女は次のように問うた。もし読者にとって重要だと思われる
あらゆる種類の資料が含まれているとすれば、何が編集版として見なされるのか。
編集者なしに編集版は可能か。野生の編集版?

 彼女は、編集とは編集者がすることであると主張して締めくくった。最善の決定
とは、なされた決定なのである。

○Peter Robinson:デジタル・ヒューマニティーズ研究者が学術編集について知ら
ないこと、学術編集者がデジタルの世界について知らないこと

 Peterは、デジタル・ヒューマニティーズ研究者と学術編集者という、お互いが相
思相愛であると思っている2つの共同体の間における誤解について話をすることから
始めた。

  ・私たちは他者を理解していると考えるとき、実際は理解していない
  ・より危険なのは、他者があなたを理解していると、あなたが考える時である

 デジタル・ヒューマニティーズ研究者は、学術編集に関していくつかの誤解を持っ
ている。Peterにとっては、ひとつの誤解は、私たちが学術編集とは[John]
Unsworthの原始主義――アーカイブ――の問題だと考えていることにある。Peterに
とって、アーカイブとは編集版ではない。編集版は決定を含んでいる。彼は、あま
りに多くの人がこの点を見逃していると感じている。

 Peterは、これら二者間の共同作業を終わりにしたがっている。彼は、彼の仕事[
とデジタル技術の間]の仲介にあたって、デジタル・ヒューマニティーズ研究者に
依存しなければならないという[状況]を望んでいない。彼は解釈を行おうと欲し
ているのだ。

 学術編集者が知らなければならないのは何か?Peterは、編集者は主導権をあきら
める必要があると信じている。もし編集者がデジタル・ヒューマニティーズ研究者
(ここでは技術管理者を意味しているようである)から主導権を取ろうと欲するな
ら、彼らはまた、主導権を放棄することをいとわないようになる必要がある。

 デジタル人文学センターはテクストに対して主導権を持っている。なぜなら、彼
らこそが整合性の要であるのだから。

 Peterは次のように考えている。私たちは全ての技術的問題を解決した、それゆえ
今や、編集者はデジタル技術が我々に提供するすべての選択肢を使うことができる。
とすれば問題は、編集者はこうした選択肢を用いて何をするのかということだろう。
Peterは編集者が編集者としてすべきことに、何らかの変化が必要であるとは考えて
いない。[そして]、彼は、意思決定としての編集が消えてしまうとは考えていない。

 彼は、編集者になりたいものは誰でも必要なツール群を持っているべきだと信じ
ており、そのツール群によって他の人を〔その編集版に〕招待できると信じている。
しかし彼は、それによってソーシャル編集版が可能になるとは考えていない(クラ
ウドソーシング編集版の意味で)。彼は、読者はいまだ、他の人に意思決定を行っ
てもらいたいと欲していると考えている。

 たしかに、いくつかの小さくきれいにまとまった専門的なプロジェクトがある。
しかし、学問的に裏付けされていない粗野なプロジェクトが非常に多くあるという
をも意味しているだろう。Peterは、グーグルのような巨大なサイトやきれいにまと
まった小さな専門的な編集版など、様々なライブラリ間をつなげる媒介のようなも
のがあることを望んだ。Peterは、巨大なプロジェクトから孤立した、小さくまとまっ
たきれいなプロジェクトの乱立よりも良い方法が存在すると考えているようだった。

 彼は、「ベンサム翻刻」(Transcribe Bentham)プロジェクトとそれが獲得した
資金について言及し、様々な拡張可能でないプロジェクトに巨額の予算がつけられ
てしまう危険性の例とした。彼は、私たちがデジタルヒューマニティーズ・センタ
ーや大きな助成金なしで編集を行うことができる地点に近づいていると考えている。

 彼は、新しいツールなどの主張とは独立して、編集の価値を主張したいと考えて
いる。編集を価値づけるために、新しいツールや手法を開発しなければならないと
いうわけではない。編集はそれ自体において、評価されるべきなのである。私は、
編集は編集コミュニティの外部で評価されているのか否かについて疑問を抱かざる
を得ない。危機は、私たち編集者とデジタル・ヒューマニティーズ研究者)全てに
とって、そこにある。その危機とは、人文学への投資を望んでいないというのが公
衆の意思である、と政府が解釈するかもしれない[というものである]。

 彼はまた、ツール開発やツールについてのアイディアの交換についても、その必
要性を主張した。私にとっては、それは学術的な編集者がする仕事ではなく、デジ
タル・ヒューマニティーズ研究者の仕事である。Peterはツール作成者と編集者の間
の異なった関係を想像していた。同じプロジェクトに取り組むDHの研究者と編集者
のペアの代わりに、彼は分離――別の関係――を想像していた。

 以上の議論は、資金調達などについての戦略に関する議論を喚起した。

 このモデルにおいて、解釈者はどこにいるのか。解釈者はいまだ、編集者を必要
としているのか。

○Meg Meiman:公共のためのドキュメント――ウォルト・ホイットマン・アーカイ
ブにおけるソーシャル・エディションの実践

 Meimanは、ホイットマン・アーカイブを理解するために、仲介〔intermediation〕
という考え方を活用した。ホイットマン・アーカイブは、電子テクストがよりソー
シャルにありうることを示す一例である。〔この考え方とともに〕メタデータにお
いて、それに関わっている人々や〔その資料の〕出自について、確定していないが
豊かな記述を得ることができる。このアーカイブには、理想化されたテクストから
仲介されたテクスト〔intermediated text〕への移行を示しているのである。

 彼女は、ホイットマン・アーカイブが寛大な「利用条件」によって成立している
ことを指摘した。大部分のアーカイブは、クリエイティブ・コモンズ・ライセンス
の下で利用許諾されているのだ。

○Ken Price:我々の時代に現れつつある研究環境における編集の場所

 Kenは、より大きなシステムに私たちの編集版の多くが如何にして内包されている
かということについて意見を述べることから始めた。彼はその後、クラウドソーシ
ングに目を転じ、それはいかにして編集作業に利益をもたらし得るかということに
ついて話した。彼は、「ベンサム翻刻」プロジェクトと、Martin Muellerによる学
生との共同作業に言及した。彼は、編集のためにソーシャル・メディアを使用した、
Ray Siemensの取り組みに言及した。Kenは、彼らがどの程度ソーシャル・メディア
から恩恵を得ることができるかについて、疑問を呈した。

 その後、彼はこれらのアイディアをホイットマン・アーカイブに適用した。彼ら
は、クラウドソーシングのより普及した形式を試している。ホイットマンという対
象そのものが論争的であり、多くの問題を生み出した。ホイットマンに対する応答
は、アーカイブをクラウドソーシングするにあたっての問題を、予測不可能な仕方
で提示した。ウィキペディアにおけるホイットマンの記事は、何が起こり得るかの
例である。これは、クラウドソーシングは試されるべきでないということを意味し
ない。それは慎重に行われる必要があるということなのだ。

○Daniel O'Donnel:隆盛するものはすべて、収束する運命にある――文化遺産、テク
ストに関する学問、ポピュラー科学の混合に際して

 Danは、学者は他の書き手に比べ、いかに読者について考えることが少ないかにつ
いて話すことから始めた。私たちは一般的な聴衆に語りかけることなど、ほとんど
考えに入れない傾向にある。デジタル・テクノロジーはこうした状況を変えつつあ
る。というのも、それは私たちの仕事を、より広範な公衆にアクセスされることを
可能にしたからだ。たとえ、私たちがこの公衆を、読者として想像しないとしても。

 しかしながら、オープンな形式のすべては公共的なものと関わっている。そこに
は公衆が受け入れようとしている情報がある。また政府も、オープンであることを
強調している。デジタル・ヒューマニティーズ研究者としての私たちの分野は、時
代を先取りしている。私たちは学問に対し、一種の義務感を持っている。今日、オ
ンライン編集版はより広範な公衆に対し、潜在的に魅力的なものとなっている。私
たちは、これらオンライン編集版が一般公衆に対し、どれほど魅力的であるのかを
忘れているだけなのだ。

 続いてDanは、新しい公衆と関連して生じた、新しい責任について語った。編集者
は、持続可能性を考慮に入れる必要があり、すべての種類の文字に対応することや
クラウドソーシングに心を砕く必要がある。

 Danは、私たちはますますミュージアムの学芸員のようになるよう求められている
と感じている。編集者は、以前には扱う必要がなかったことをしなければならない
のだ。

  ・デジタルテクストの編集(より一般的にDH)とは実際には、他の領域をも扱
   う超領域的なもの〔paradiscipline〕である。彼は関心の重複について話した。
  ・公衆と共同作業することの意味に注意を払う義務がある。公衆による関与は、
   より真剣に考えられる必要がある。
  ・私たちは、公衆のなかで活動することについて、ミュージアム研究から学ぶ
   ことができる。
  ・デジタル・ヒューマニティーズと学術編集は、公衆との新たな関係に関して
   人文学を先導している。デジタル・ヒューマニティーズは、ますます人文学
   そのものになってきている。
  ・私たちはまた、その知が由来するコミュニティに知を返す義務を有している。

○Paul Flemons:非公式的自然史文学のクラウドソーシング複写のための仮想的探

 Paul Flemonsは科学者出身であり、オーストラリアでのクラウドソーシングにつ
いて話をした。彼のプロジェクトは、生物の多様性についてのデータと非公式文学
を複写するためのアプリケーション「生物多様性ボランティア・ポータル
〔Biodiversity Volunteer Portal〕」の開発である。「クラウドソーシングとは、
オンライン上の分散型・問題解決生成モデルである」。それは、予算を節約しなが
ら、リテラシーを高め、支援運動を発展させるためにクラウドソーシングを活用す
る。

 彼らのサイト( http://www.ala.org.au/ )は、テンプレートに基づくものであ
り、「エクスペディション」に関することをテーマとしている。また、3つの権限の
レベルがあり、それは翻刻、検証、管理である。彼は、検証について話をした。二
重盲式のエントリーはひとつの手である。彼のアプローチは、より高いアクセス権
を持つ検証者を設けることである。その後、彼は異なるテンプレートを示した。

 彼はその後、ボランティアについて話した。彼らのほとんどが50才から69才の間
である。彼らは非常に高い教育を受け、ゲーミフィケーションではなく、貢献する
ことに動機づけられている。課題は、ボランティアをウェブサイトに集めるという
こと以上に、様々な物事が混乱しないようにすることである。マーケティングキャ
ンペーンを打つ必要があり、さらに集まった人にたちにフィードバックを与えなけ
ればならないのだ。「手数料を払ってくれるボランティアの人などいませんからね」。

 彼はその後、彼のコミュニティと私たちの間の類似性について話した。彼のとこ
ろのボランティアが学術的編集者であるかどうかについては、彼は疑問に思ってい
る。科学の世界は市民科学を包含することが奨励されている。同じことが人文学に
も言えるだろうか。

○Ben Brumfield:アマチュア編集版の共同作業的未来

 Benは、ソーシャル・デジタル・学術編集について話した。彼は自らをアマチュア
と定義し、アマチュアに対する軽蔑を捉えた引用を提示することから始めた。そし
て彼は、アマチュア編集版とは何かと問うた。

  ・アマチュアが参加した、研究機関によって編まれた編集版
  ・アマチュアによって編まれた、研究機関所蔵の文書の編集版
  ・アマチュアによって編まれた、個人所蔵の文書の編集版

 彼は、売買されている文書の画像を保存することを目指しているサイトである「
ソルジャー・スタディーズ」など、いくつかの例を示した。あなたはeBayで、手紙
が売りに出されているのを見ることができるだろう。これらの画像を、彼は取り込
んでいるのだ(買うことなく)。彼は学問的理想にそって行動していない。しかし、
編集者でない人に、この理想は重要だろうか。

 ボランティアがうまく行っているもうひとつの事柄は翻訳である。Benは、「紳士
のアマチュア」と題されたブログの記事から、Gavin Robinsonを引用した。

 Benはいくつかの困難を見ている。

  ・スタンダードの無視
  ・コミュニティの欠如
  ・方法論とツールの欠如
  ・オンライン・チュートリアルの欠如

 しばしば、編集の方法を人に教えるのは開発者である。〔しかし〕人がそこから
学ぶことのできるコミュニティがないのである。

 最後に、彼は未来について話し、二種類の未来があるだろうとRobinsonを引用し
て語った。〔ひとつは〕文書編集の方法を無視し、学問に関わるような基準が現れ
ることのないようなディストピア。〔もうひとつの〕ユートピアへの道は、アマチュ
アが編集のための支援者になってくれるような協力体制に見出すことができるだろ
う。

○Melissa Terras:クラウドソーシングあるいはクラウド選別?――「ベンサム翻
刻」プロジェクトからの結果と経験

 Melissaは、自分を情報科学者であるとし、「ベンサム翻刻」プロジェクトは単な
る編集プロジェクトを超えて、クラウドソーシングにおける実験であるというとこ
ろから講演を開始した。彼女は、彼らがボランティアの人たちに求めていたものが
いかに複雑であるのかについて話した。その意味で、人々がなしたこと、あるいは
なし得たことの観察は、受容研究だったのである。彼ら〔「ベンサム翻刻」プロジェ
クトの主導者〕は人々に馴染みのものを提供したいと考えたため、彼らのツールは
ウィキのソフトウェアがベースとなっている。

 彼女は、翻刻をチェックし、それらが基準を満たしているかを決定する検証者の
コストについて話した。そういった人たちの仕事の大部分は、翻刻に精力的に関わっ
てくれる人たちとの関係を維持することにある。彼女は、数少ないスーパーユーザ
ーが大部分の作業をやっていると指摘した。すなわち、クラウドソーシングはスー
パーユーザーに依存しているのである。

 彼女はその後、予想外の結果について話した。このプロジェクトは、彼らのセン
ターおび大学、さらにはメリッサのキャリアにとって重要なものとなったのである。
[訳注:このプロジェクトは、プロジェクトの実施大学であるUCLに深く関わり自身
の遺体を大学に寄贈したJeremy Benthamの草稿をデジタル撮影して公開し、さらに
Web上で共同でデジタル翻刻を行うプロジェクトである。Bentham研究自体が世界中
で展開されていることもあり、英語圏の各国を中心に世界中からボランティアが集
まって翻刻に参加しており、デジタル・ヒューマニティーズにおけるクラウドソー
シングの成功例のひとつとされている。
(* http://www.dhii.jp/dh/dh2010/DH2010_Plenary_trans_by_kodama.html )]

 彼女は、参加者達に対して、デジタル・ヒューマニティーズに関心を集めるため
の方策として特別なコレクションを活用するように助言をしたのだった。

 彼女は、こうしたプロジェクトは情報科学者にとって、いかにして利用および受
容に関するデータ収集のプロジェクトたり得るかを強調して締めくくった。彼女は、
彼らが作った「Textal」と呼ばれる、新しいテクスト分析アプリを一例として示し
た。

 こうしたプロジェクトのための資金調達に関しては、かなりの議論があった。私
の経験では、望むなら、クラウドソーシング・プロジェクトは安価に行うことがで
きる。

 [編集室より]以上は、このシンポジウムの1日目の様子である。2日目の様子に
ついては、次号にて掲載予定である。

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◇イベントレポート(3)
第99回 人文科学とコンピュータ研究会発表会
http://www.jinmoncom.jp/
 (永崎研宣:人文情報学研究所)

 記念すべき第100回を目前とする情報処理学会・人文科学とコンピュータ研究会の
第99回研究会は2013年8月3日(土)、筑波大学東京キャンパス文京校舎にて開催さ
れた。残念ながら筆者は午後からの参加となったため、午前中の発表については予
稿集を通じて知るのみだが、いずれも興味深い発表が行われたようであった。発表
者とタイトルのリストは以下の通りである。発表の概要が公式サイトに掲載され無
料で参照できるようになっている[1]。また、非会員には有料だが、情報学広場[2]
から予稿のPDFファイルがダウンロードできるようになっている。

 午前中には以下3つの発表が行われた。
1.守岡知彦(京都大学)
「コス写真研究支援ツールの可能性について」

2.研谷紀夫(関西大学)
「タブレット向けに公開されたDigital Cultural Heritageの概要を記録する試み」

3.藤野清次(九州大学)
「情報検索時代の事例研究(その1)
 -アインシュタインと三宅速両博士の友情訪問記」

 午後には、まず招待講演として、以下の発表が行われた。
4.矢野環(同志社大学)
「AKBシングル選抜総選挙の構造と得票予想 その保守性と頑健性」

 ここでは、「6月の恒例行事となっている」AKBのシングル選抜総選挙の順位予想
を16名中15名まで的中させ、また、2012、2013ともに上位3名は順序を含めて的中さ
せたという圧倒的な実績に基づき、対象についての入念な調査の実際とその分析手
法についての講演が行われた。AKBに関わる固有名詞や専門用語、そしてそれを巡る
言論状況に至るまで、参加者一同がその基礎を学ぶ貴重な機会となった。

 その後は、開催校である筑波大学において近年展開されている筑波人文情報学研
究会についての特集セッションが行われた。各発表及びパネルディスカッションに
ついては以下の通りである。

5.和氣愛仁(筑波大学)、宇陀則彦(筑波大学)、永崎研宣(人文情報学研究所)、
 松村敦(筑波大学)
「閉じる研究と開く研究の接点を目指して-筑波人文情報学研究会の挑戦-」

6.筑波人文情報学研究会の活動報告(研究会メンバーによるライトニングトーク)

7.高橋洋成(筑波大学)
「アマルナ文書の電子化-文字研究・言語研究を目指して-」

8.和氣愛仁(筑波大学)、永井正勝(筑波大学)
「RDBとCMSを用いたアノテーション付与型画像データベースシステムの構築
 -データ構造とインターフェイスの標準化を目指して-」

9.パネルディスカッション
「閉じる研究と開く研究の接点を目指して-筑波人文情報学研究会の挑戦-」
コーディネーター:宇陀則彦(筑波大学)
パネリスト:池田潤(筑波大学)、北岡タマ子(お茶の水女子大学)、
 永井正勝(筑波大学)、永崎研宣(人文情報学研究所)

 筑波大学には全国でも珍しい図書館情報学の学部・研究科があり、近年、人文情
報学に関心を持つ一部の研究者が、同大学内の人文系で同様の関心を持つ研究者達
とともに人文情報学に取り組むための分野横断型の研究会を設立し、会合を重ねて
きていた。この特集セッションは、全体としてはその取り組みの様子を伝えるもの
であった。メンバーがそれぞれに取り組んでいるプロジェクトについてのライトニ
ングトークの後、アマルナ文書の電子化についての発表が行われた。TEIガイドライ
ン(Text Encoding Initiativeガイドライン:人文学テクスト資料の構造的デジタ
ル化のための国際的なガイドライン)を採用しつつ、くさび形文字の異体字の問題
や文字情報と言語情報を切り分けつつ記述するなど、アマルナ文書のデジタル化に
際しての統合的な試みが紹介された。古代の文書をデジタル化する際には様々な問
題が存在するが、一方で、すでに多くの問題が欧米において取り組まれ、似たよう
な課題についてはすでに解決されている場合もある。そういった状況にもある程度
配慮しながらの発表であり、先が楽しみなものであった。

 次にアノテーション付与型画像データベースの試みについての発表が行われた。
これはデータ構造のモデルから実装、さらにインターフェイスまでの統合的なWebシ
ステムについての発表である。すでに稼働し、ある程度の実績を積んでおり、今後
さらなる発展が期待されるものであった。最後に、パネルディスカッションとして、
人文学・情報(工)学・図書館情報学の関係を手がかりとして様々な議論が展開さ
れた。それぞれが相互に大きな期待を持っていることが明らかになりつつも、宿題
がたくさん出たような感もあり、意義深いものであったように思う。

 なお、この研究会の様子は、 http://togetter.com/li/543584 にて部分的に見る
ことができるので、さらに深く知りたい方は、そちらも参照されたい。

[1] http://www.jinmoncom.jp/index.php?%E9%96%8B%E5%82%AC%E4%BA%88%E5%AE%9A%2...
[2] https://ipsj.ixsq.nii.ac.jp/ej/

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◇イベントレポート(4)
第2回SPARC Japanセミナー2013「人社系オープンアクセスの現在」
http://www.nii.ac.jp/sparc/event/2013/20130823.html
 (佐藤翔:同志社大学社会学部教育文化学科)

 2013年8月23日、第2回SPARC Japanセミナー2013「人社系オープンアクセスの現在
」が開催された。SPARC Japanセミナーは国立情報学研究所 国際学術情報流通基板
整備事業が、オープンアクセスに関するアドヴォカシー活動の一貫として年数回開
催するセミナーである[1]。2013年からは研究者と図書館員からなる合同チームが
各回のテーマを定め、企画に協力している。2013年6月7日に開催された2013年1回目
のセミナーでは米国の本家SPARCとSPARC Japanの今後について全般的に取り上げら
れていたため[2]、個別のテーマについて取り上げたセミナーとしてはこの第2回
が2013年初となる。

 オープンアクセス(以下、OA)とは学術情報の自由な流通の実現を目指し、2002
年頃から成立した運動である。運動開始から10年以上を経た現在では、様々な出版
者がOA雑誌(著者が掲載料を支払うなどする替わりに、読者は無料で閲覧できるオ
ンラインジャーナル)を刊行したり、研究者自身が自らの研究成果をオンラインで
公開するためのリポジトリが作られていたりする。大学図書館等が自機関の研究者
の成果公開を支援する、機関リポジトリと呼ばれる取り組みも盛んである。その結
果、現在世界で公開される学術論文の50%近くが既にオンラインで、無料で閲覧で
きるようになりつつあるという報告もある[3]。

 しかしOAは元々、学術雑誌の価格高騰が続いていた自然科学領域から起こった運
動であり、その起源においては専ら自然科学系の査読付き雑誌論文を対象とするも
のであった。そのせいもあってか、人文社会系研究者の間では必ずしもその存在は
メジャーなものとはなっておらず、研究者の理解が進んでいるとも言いがたい。一
方で人文社会系の研究者を対象とするOA雑誌が刊行されたり、博士論文の電子公開
が義務化されたりするなど、人文社会系研究者もOAの流れを意識せざるを得ない状
況が出現しつつある。このような背景の下で、今回のSPARC Japanセミナーでは人文
系向けの大規模OA雑誌“Open Library of Humanities(OLH)”を立ち上げたMartin
Paul Eveや日本の人文社会系研究者、出版関係者を招いて、人文社会系研究者とOA
の関わりについて、多様な論点からの講演とパネルディスカッションが行なわれた。

 はじめに日本の二人の研究者から、社会科学、人文学それぞれの研究スタイル・
学術情報流通のあり方とOAに対する考えについて述べられた。

 一橋大学の青木は経済学者の場合について、経済学分野にはワーキングペーパー
交換の伝統があったため研究者自身によるOAリポジトリが利用されていること、OA
雑誌は数多くあるもののその多くは名前を聞いたこともないようなものであること
等を語った。また、経済学の観点から見たOAについて、情報という排他性がなく消
耗しないものは経済効率から見れば無料提供がふさわしく、研究へのフィードバッ
クを得る上でもそれが向いている可能性が述べられた。一方で、学術情報流通とは
発信者(著者)と受信者(読者)のtwo-side marketであり、お見合いサービスやク
レジットカードと同様、二者の間に立ってマッチングするサービスで利益を得るこ
とも可能であろう、ゆえに正しい費用負担を課せばOA雑誌は成り立つはず、という
見解も出された。

 同じく一橋大学の石居は、日本近現代史研究者の立場から、研究手法や環境とOA
の関係を論じた。歴史学には史料の調査を行なうところから研究がはじまる史料発
掘型と、所与の問題関心に基づき課題・論点を整理する課題設定型の研究スタイル
があるとし、歴史学の特異性は前者にあると石居は述べた。さらにそこにはナマの
「史料」に触れねば研究がはじまらないという「神話」、モノへの執着があると続
け、それがオンラインのみのOAとの縁遠さの理由になっていると指摘した。近年は
史料の多様化、図像・画像そのもののオンライン公開や、史料整理が終わった段階
でいったん目録を公開するなど、段階を踏んだ公開の動きもあり、それがOAにつな
がる可能性も指摘されたものの、現状はまだまだ前述の性格が強く、OAのニーズは
低いとして石居は発表を結んだ。

 続いて前述のOLHを立ち上げたEveが、「人社系OA誌の最前線」と題して講演した。
OLHは自然科学領域のOA雑誌、PLOS ONEのモデルを人文学分野で実現することを目指
したものである。PLOS ONEはOAメガジャーナルと呼ばれる、「手法と、結果の解釈
が科学的に妥当であれば掲載する」ことを原則に、査読を簡易化し、大量の論文を
掲載するモデルで成功した雑誌であり、その年間掲載論文数は万のオーダーに至っ
ている。それを人文学分野で実現するためにOLHでは多数の著名な編集委員を揃えた
り、編集委員会の国際化や草の根レベルでのメディア戦略等を駆使するほか、今後
掲載する大量の論文の中から同一領域のものをまとめた、OLHのコンテンツを土台に
その上に仮想の雑誌を構築する「オーバーレイジャーナル」のアイディア等を取り
入れる予定であるという。また、論文のほかに人文学分野において重要な存在であ
るモノグラフも扱いたいとし、現在4つの出版者と協力を模索中であるという。野心
的な取り組みであるが、まだプロジェクトとして動き出した段階で、論文刊行は開
始されておらず、財政面や持続可能性は今後5年間程度をかけ模索していくつもりの
ようである。

 休憩を挟んだ後、日本の学術出版関係者として、京都大学学術出版会の鈴木が同
出版会の事例と、自身の考えについて述べた。はじめに日本においては大学の機関
リポジトリで人文系の紀要論文の公開が進んでいることから、人文系のOAが遅れて
いるということはないのではないかと見解が述べられた。次いで京都大学学術出版
会が京都大学の機関リポジトリで年間2冊ずつ、出版した本を無償公開していること
を紹介し、その影響を論じた。オンラインで簡単に手に入る資料だけで研究しよう
とする大学院生が増えたという教員の見解、批判/再批判の方法論を持たないネッ
トカルチャーの中に学術情報を投じることの危険性などを指摘した上で、さまざま
なコミュニケーション手段それぞれの性格をどう捉えるか、本、インターネットメ
ディア、雑誌それぞれの編集技法の必要性が指摘された。

 その後のパネルディスカッションではモデレータに神戸大学の蛯名、パネリスト
に講演者のほかに慶應義塾大学の図書館員である松木も加え、会場も交えながら様
々な話題について議論が行なわれた。人文学分野における本の重要性とOAの中で本
も対象にするのか、OA化以前にそもそも人文系のデジタル化を考えねばならないの
ではないか、財政モデルをどうするのかなど、論点は多様であり、本稿中でまとめ
きるのは難しい。その詳細は拙ブログ[4]にて公開しているので、興味があれば参
照いただければ幸いである。

 最後に筆者自身の感想を述べて、報告の結びとしたい。自然科学領域を中心に扱っ
てきたSPARC Japanセミナーにおいて人文社会系のOAが論じられた、論じられるよう
な機運が出てきつつある、ということは感慨深い。しかしOAが元来、既にオンライ
ン化が進んでいた自然科学領域で生じ、その行動や価値観を前提としてきたことも
あってか、それを単純に人文社会系領域で受け入れることは困難であるように思え
る。例えばセミナー中では鈴木の講演に代表されるように、しばしばオンラインで
誰もが研究成果を読めるようになることがもたらす影響への懸念が述べられていた。
このような懸念は自然科学系を中心とする普段のSPARC Japanセミナーでは、ほとん
ど示されてこなかったものである(公開しても専門家以外誰も読めやしない、とい
う懸念はよく述べられている)。もちろん「本をどうするか」といった話題も、自
然科学系中心の会では出てこない。自然科学系と人文社会系(特に人文系)は行動
様式も研究成果とその影響に対する考えも大きく異なる領域であることを、今回の
SPARC Japanセミナーにより従来以上に強く意識した。自然科学系で生まれたOAを人
文社会系に取り入れようというのであれば、その差異を強く意識し、OAを人文社会
系のものへと換骨奪胎しなければうまくはいかないのではないか。そのために具体
的に何をすればよいかのヒントは、本会の中に散りばめられていたように思う。

[1]“SPARC”の名は、北米の研究図書館関係者らにより構成される、学術情報流
通に関するアドヴォカシー団体”Scholarly Publishing and Academic Resources
Coalition(SPARC)”に倣いつけられたものである。
[2] http://d.hatena.ne.jp/min2-fly/20130611/1370915103
[3] http://www.science-metrix.com/pdf/SM_EC_OA_Availability_2004-2011.pdf
[4] http://d.hatena.ne.jp/min2-fly/20130904/1378253923

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◇イベントレポート(5)
Code4Lib JAPAN Conference 2013
http://www.code4lib.jp/2013/09/1155/
 (後藤真:花園大学文学部文化遺産学科)

1.はじめに

 2013年8月31日から9月1日にかけて、宮城県南三陸町にてCode4Lib JAPAN
Conference 2013が行われた。その状況を簡単に報告する。

2.概要

 Code4Lib JAPAN Conferenceは、「本家」のCode4libが年に一度のカンファレンス
を行っており、その「本家」と同様のものとして、開催されている。2013年度は記
念すべき第一回カンファレンスとなった。南三陸町の「南三陸町プラザ」および「
ホテル観洋」を中心に、2日間にかけて行われた。

 詳細なプログラムおよび発表スライドへのリンクは
http://wiki.code4lib.jp/wiki/C4ljp2013/presentation
にあるので、そちらを参照いただきたい。

 また、USTREAMのアーカイブが
http://www.ustream.tv/channel/code4lib-japan-2013
に。

 そして、これらの感想や翻訳のツイートが
http://togetter.com/li/556778
にまとめられている。

 上記の内容を読むだけでも当日の状況理解には十分であり、加えて報告すべきこ
とはほぼない。これらにはそれだけの情報が充実している。

 ここでは、上記では伝えきれない部分について、簡単に追加し、さらに個人的な
感想を加えて報告に代えることとしたい。

3.「昼の部」について

 正式なカンファレンスは大向一輝氏の基調講演から始まった。
http://www.slideshare.net/ikki.ohmukai/130831-code4libpub

 ここでは、CiNiiのサービスを提供する側についての講演を行うと同時に、基調講
演にふさわしい重要なキーワードが提示された。それは「吉野家の定理」である。
これは「はやい・やすい・うまい」の3つがサービスを提供するのに重要だが、同時
に実現可能なのは2つまでであり、どれを実現するかが、サービス提供のキモとなる
というものであった。CiNiiは「やすい」と「はやい」を推し進めることで、現在の
サービス提供を可能にしたという話と、同時に「うまい」部分を効果的に外部に切
り離したというものであった。

 この「定理」はそのあとの発表と、ライトニングトークの基調を作ったのは間違
いない。多くの発表者が、当初予定してきた内容を、この3つのどれかに位置づけな
がらしゃべることを意識したのである。

 その後プレゼンテーション・ライトニングトークでは、大きくは情報検索サービ
スの報告、海外等での動向報告を基盤にしたもの、その他に大きく分類することが
できる。検索サービスは、作成側とAPI等を応用した解析にわけることができる。あ
らたな情報発見モデルの「最新」が見られる報告群であった。

 海外等での動向報告は、IFLA WLIC 2013、Wikimania2013、そして東日本大震災後
などの話であった。いずれも動向報告にとどまらず、動向をふまえて、次の動きま
で含めたものとなっていた点が、着目された。また「その他」では「手作り?書影
スキャナ」の報告までなされ、ある意味では究極的な「ハッキング魂」を見せつけ
られるものであった。

 また、Dan Chudnov氏による招待講演は、本家のCode4Libの雰囲気を端的に示して
おり、特に図書館と「ハッカー」の関係をどのように構築し、モノづくりを実現さ
せていくかということに主眼が置かれていた。

 そして、特別講演では、南三陸とその周辺地域の「いま」が伝えられた。
(これらの総括は、最後の「雑感」で行いたい)

4.「夜の部」について

 夜も懇親会に続き、ブレイクアウトセッション(2次会?)が行われた。懇親会場
で、いくつかの「話すべきテーマ」が提案され、その提案者の周りに人が集まって、
じっくりと(お酒付きで)議論するという形式である。ここでも、「動くレゴ
(LEGO MINDSTORMS)」をみんなでつくろうといった、ものづくり系のテーマ提案が
なされたことを付け加えておく。

 ここでも、図書館やプログラムに関することが、夜中まで議論され、また、レゴ
が「完成」した。1テーブル(≒テーマ)は数名程度で、それぞれのテーマをじっく
りと語り合う場であった。ここでの議論や交流が、次の昼の部を目指す1つの伏流水
であることには、間違いないであろう。

 また、その後に「3次会」が部屋で行われた。こちらも「本家」よろしく(らしい
)、多様なお酒・ビール類による歓談が行われていた。私は、翌日車の運転があっ
たため、3次会は途中で失礼したが、一説によると3時過ぎまで行われていたようで
ある。

 阿児氏の以下のツイートが、まさに象徴的であるといえよう。
「Librarianな皆さんはshort sleeperなのかしら?」
https://twitter.com/ta_niiyan/status/373921443655864322

 さらに、翌日のカンファレンス終了後は、有志で「さんさん商店街」に行き、南
三陸の復興の様子と海の幸を中心に食事を行い(私は飛行機の都合でここで離脱し
たが)、その後、南三陸町図書館へとエクスカーションが行われた。

5.雑感

 私は本家のCode4Lib Conferenceに参加したことはない。そのため、この
Code4Lib JAPAN Conferenceの雰囲気が、特有のものなのか、それとも「本家」と同
じようなものなのかを判断することはできない。しかし、Dan Chudnov氏の講演を聞
く限りでは、「本家」も似たような雰囲気をもつのではないかという感想は持った。
特に参加者の中で共有されていた空気は「オープン」であり「ハッカー」のマイン
ドを持っているというものであった。参加者の中には、純粋に図書館の関係者であっ
て「ハッカー」と呼ばれるには、いささか違和感を感じる人々もいるかもしれない。
しかし、さまざまな形での「自由」かつ「マニアック」な工夫を作り上げていく様
子は、ある種の「ハッカー」的思考なのではないだろうか。また、すべて動画中継・
記録されているだけではなく、スライドがすべて(発表者の自主的な意思によって)
公開され、共有されているという点も注目すべきであろう。

 このマインドを支える精神が「吉野家の定理」と共通するのではないかと考えて
いる。「オープン」は「やすい」を実現し、情報流通の「はやい」をうながす。そ
して、「うまい」を支える基礎になっているのだ。この場に集まったメンバーが、
「定理」を全体の基調としてとらえることは、自然な流れであったのかもしれない、
と後になって考えるのである。

 この「定理」は、必ずしも容易な実現が可能なものではない。特にオープンなマ
インドから遠い人々は、コストがかかって重厚なものを作りがちである。このこと
自体は決して悪いものではないのだが、身軽さはない。また、高コストは、結果と
してその成果を閉じたものにしがちである。それがある種、業界全体の身軽さを奪
う場合もあるのではなかろうか。その業界の「足枷」に対するオルタナティブな位
置づけとして、このカンファレンスのような存在があるのであろう。

 このオルタナティブな存在が、今後、どの位置づけに変わるのか、個人的には興
味を強く持っている。招待講演でも、ハッキングマインドをどのように組織の中で
位置づけていくかという点に中心が置かれていた。

 一部の「重厚長大」な集団は、身軽さを持ったグループに興味を持っている。た
だ、この「ハッカー」的マインドが、重厚長大な組織の論理と重なる部分はないで
あろう。しかし、両者が部分的に協力を進めることはあるかもしれない。その協力
の在り方がどのようになるのか、マインドの違いをお互いにどこまで許容できるの
かが、オルタナティブな存在の今後の位置を決めていくのかもしれない。場合によっ
ては、相容れないまま、「革命」を起こすこともあるのだろうか。

 なお、最後に行われた会場に関係する話を加えて、この個人的な「感想文」を終
えたい。今年度の会場は、南三陸町であった。これは、もちろん震災の様子を知る
と同時に震災復興の参加者全員が同じ宿であったため、およそ5~6名が(事前に割
り振られたメンバーで、ただしものすごく流動的な)同室で、かつ帰りを気にせず
に懇親できた。さらに、南三陸町の素晴らしい点、被災の様子を同時に共有できた。
その点からもこの手法は大変素晴らしいものであった。この場所での実現にこぎつ
けたスタッフの努力には頭が下がる思いである。同時に、これらの実現の前提にあっ
たさまざまな企業・関係者の支援も忘れてはならない。

 そして、何より、31日の夜、震災後ホテル観洋にできた「キラキラ図書館」で、
必死に本を選ぶ子供たちの姿を見られた。これだけでも、このカンファレンスに参
加した意味があったと、その時に私はつくづく実感できた。

Copyright(C)GOTO, Makoto 2013- All Rights Reserved.
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 配信の解除・送信先の変更は、
    http://www.mag2.com/m/0001316391.html
                        からどうぞ。

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◆編集後記(編集室:ふじたまさえ)
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 人文情報学月報第27号はいかがでしたか?今号も、巻頭言をはじめたくさんの皆
さまからご寄稿いただき、ありがとうございます。国内にとどまらず、海外のイベ
ントレポートの翻訳など、幅広い話題が目白押しとなっています。

 巻頭言でとりあげられている、家族写真の分析についての論考では、これまで、
数量的に表すことが難しかった事項に対して人文情報学がもたらした恩恵を最大限
に生かしつつも、そこでは汲み取れなかった「ズレ」があるのではないかと、慎重
に研究を進めていく熱意が伝わってきました。

 イベントレポートの中では特に、自然科学系に由来するオープンアクセスという
仕組みを人文社会学系という異なった枠組みの中で進展させるためには何が必要な
のか、イベントにそのヒントがちりばめられていたという佐藤さんのレポートが印
象的でした。

◆人文情報学月報編集室では、国内外を問わず各分野からの情報提供をお待ちして
います。
情報提供は人文情報学編集グループまで...
       DigitalHumanitiesMonthly[&]googlegroups.com
                  [&]を@に置き換えてください。

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人文情報学月報 [DHM027]【後編】 2013年10月23日(月刊)
【発行者】"人文情報学月報"編集室
【編集者】人文情報学研究所&ACADEMIC RESOURCE GUIDE(ARG)
【E-mail】DigitalHumanitiesMonthly[&]googlegroups.com
                 [&]を@に置き換えてください。
【サイト】 http://www.dhii.jp/

Copyright (C) "人文情報学月報" 編集室 2011- All Rights Reserved.
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