ISSN 2189-1621 / 2011年08月27日創刊
https://digitalarchivejapan.org/39711/
https://www.kyushu-u.ac.jp/ja/events/view/1826/
https://sites.google.com/view/pnc2024
https://www.code4lib.jp/2024/05/conference-call-for-proposal/
http://www.eajrs.net/conferences/2024-sofia
https://jadh2024.l.u-tokyo.ac.jp/
https://jslis.jp/events/annual-conference/
2024年5月27日から同31日にかけて DHNB2024がアイスランド・レイキャヴィーク(アイスランド大学教育学部キャンパス)にて開催された。DHNB(Digital Humanities in the Nordic and Baltic Countries)[1]は、2015年に DHN(Digital Humanities in the Nordic Countries)という名称で EADH(The European Association for Digital Humanities)の連携団体としてノルウェーで発足した。2020年にバルト諸国を含めた現行の名称へと改められて現在に至る。現在では北欧・バルト地域における DH 研究者が集う学術大会としては最大級の規模である。学会の正会員(学生会員も含む)は2023年時点で40名ほどであるが、毎年北欧・バルト地域内で開催される研究大会には約300名が参加する。2024年は DHNB 発足以来、初のアイスランドでの開催となった。ホストはアイスランド国内の DH 研究を行う諸機関によるフォーラムである MSHL(Miðstöð Stafrænna Hugvísinda og Lista,デジタル人文学・芸術センター)が担った[2]。
大会前半の2日間は有償のワークショップデーで、29日から本大会が3日間にわたって開催された。18のテーマ別セッションに3つのパネルディスカッション、さらに40件近いポスターセッションが開かれた。参加者の構成は、北欧・バルト地域からの参加者がほとんどで、基本的にはヨーロッパからの参加者で占められていた。アジア地域からは筆者を含め2名が参加した。またアラブ地域からも数名の参加があった。
大会テーマは“From Experimentation to Experience: Lessons Learned from the Intersections between Digital Humanities and Cultural Heritage”(実験から経験へ:デジタル人文学と文化遺産の交差から得られる知見)で、特別テーマとして、機関横断的・学際的協働や教育とアドボカシー、デジタル人文学・芸術プロジェクトのライフサイクルが掲げられた。ほとんどの発表が何らかの形で上記テーマのいずれかと関連していた。特に研究プロジェクトのライフサイクル、持続可能性や協働体制の構築に関する発表件数が多い印象を受けた。
筆者がペーパーセッションで印象に残ったのは以下の二つである。一つは、Raphaela Heil, Malin Nauwerck 氏らによるアストリッド・リンドグレーンの手稿に書かれた取り消し線の自動除去と手書き文字認識(HTR)に関する発表である[3]。リンドグレーンといえばスウェーデンを代表する作家のひとりであり、日本でも『長くつ下のピッピ』や『山賊のむすめローニャ』などの作品が親しまれている。発表では、実際にリンドグレーンが創作時に残したメモや作品の原稿が独自の速記体で記述されている画像が示され、何度も推敲を重ねるうちに原稿の至るところに取り消しと加筆が行われている様子が紹介された。この原稿に対して独自に最適化した HTR のモデルを使い、原稿上にある取り消し線を自動で認識して、テキストを残したまま取り消し線だけを除去したうえで読み取り精度を検証していた。
最大の難関は、リンドグレーンの手稿が本人による独自の速記体で書かれているために、極端にシンプルな線によって単語が表現されている点だそうだ。単語を表す線と取り消し線とが重なることが多くなると、現状のモデルでは適切に文字と取り消し線の区別ができないとのことであった。発表者らによる独自の HTR モデルの精緻化にかける努力もさることながら、リンドグレーンという作家がかくも難解な速記体で作品を執筆していたことにも驚かされた。
もう一つ印象に残ったのは、Agata Hołobut, Miłosz Stelmach, Maciej Rapacz 氏らによる映画のメタデータ分析である[4]。1950年以降、カンヌ映画祭に出展された映画作品のタイトルが各国でどのように紹介されているかを分析したものである。IMDb[5]のデータベースから原題と各国でのタイトルのデータを抽出して量的な分析を行った結果、地域ごとに特徴的な傾向が見られることが示された。東欧では独自のタイトルが付される傾向が強い一方で、アジア・太平洋地域、中東やアフリカ地域では原題を使う傾向が強まっているようである。地域的傾向の要因には、映画製作会社の文化的影響力や配給会社など複数のステークホルダーの存在が想定されるようである。
発表者らと直接話す機会があり詳しく聞いたところ、彼らの出身であるポーランドでは外国映画が自国で放映される際にはほとんど必ずポーランド語の独自のタイトルになるという。また原題と必ずしも関連しないタイトルが付けられることも多いそうである。その肌感覚から着想された研究であるというだけでなく、地域的傾向を量的に把握することによって、世界規模での映画業界のパワーバランスを見ることができるという点でも興味深い発表だった。
MSHL が主催した、DH コンソーシアムの現状と今後の持続的な運営体制に関する議論をテーマにしたセッションも非常に興味深かった[6]。MSHL は2020年にアイスランド政府の補助金により設置され、国内の DH 研究に関連する学術研究機関の連携と研究促進を目的としている。しかし、ボーディングメンバーの報告によれば、実態は加盟機関が各自で獲得した競争的研究費を原資としたそれぞれの DH プロジェクトを進めることで手いっぱいの状態だという。プロジェクトの多くはデジタル・アーカイブやデータベース構築に関わる事業で、完成までに多くの人手と時間を要するものが多い。アイスランド政府はここ最近、デジタル・アーカイブ構築をはじめ DH 関連事業への補助金を増やしている。しかし、その多くは3~5年の期限付きであり、MSHL もまたそのような期限付き補助金によって運用されている状況である。まもなくその補助金も最終年度に差し掛かるなか、現状ほとんど個別に活動している加盟機関でのプロジェクトを支えつつ、MSHL がアイスランドにおける DH 研究のハブ拠点として持続可能な組織へと変化できるかが大きな課題になっているようである。
アイスランドを研究する筆者としては、新自由主義的な政策が強く打ち出されがちな現在のアイスランドではさもありなんという話に聞こえた。しかし、同セッションで報告のあった隣国スウェーデンにおけるナショナル DH センターともいえる HUMINFRA[7]の充実ぶりを見せられると、アイスランドの置かれている状況とのあまりの落差に悲しくもなる。アイスランドにおける DH 研究への社会的関心、政府の期待は高まっているものの、その期待に応えられるだけの資金投入が間に合っておらず、なかなか中長期的な研究環境構築にまで手が回っていないというのが現状のようである。アイスランドの DH はようやく黎明期を迎えたところである。これからの発展に期待しつつ、その発展に筆者も貢献できるよう尽力したい。
2024年3月4日(月)、国立情報学研究所で、21th CODH Seminar – Digital History: Concepts and Practices が開催された。当セミナーでは、ルクセンブルク大学においてデジタルヒストリー研究を牽引する Andreas Fickers 氏のキーノートセッション、デジタルヒストリーに関する三人の若手研究者の発表、そして、聴講者を交えたパネルディスカッションが行われた。当セミナーでの発表資料はいずれもオープンアクセス状態で入手することができるため、各発表についてはそちらを参照されたい[1]。本報告は、そのなかでも、キーノートセッションに焦点をあてたものである。
今日、デジタルな手法を用いて歴史学の研究を行うための技術が急速に発展してきている。だが、技術提供を行うコミュニティ、ひいては、技術そのものへの批判的考察は十分ではない。それゆえ、機械ベースの研究成果に対する批判的な思考を涵養する必要がある。当セッションはこのような切り口から始まった。なお、当セッションで提唱された事柄は、Fickers 氏らによる論文(Fickers, Tatarinov, and Heijden, 2022)[2]を踏まえていると思われるため、これを引きながら氏のデジタル解釈学を巡る議論を紹介していこう。
当セッションでは、デジタル手法による歴史学研究における時代背景が三つの潮流に置き換えられていた。第一波は、計算言語学者によるプログラミングの小さいコミュニティがいくつかあるだけの状態である。第二波は、デジタル手法によって歴史学の研究を行うことに対する大きな期待が寄せられ始めた状態である。そこでは、大規模なツールとデータセットの構築が行われていた。そして第三波は、これまでの活動に対して批判的・反省的になる状態である。つまり、われわれは、第三波においてデジタル手法による歴史学研究に対する限界と可能性の両方を認める時にいるのだという。
ここでデジタル解釈学という考えが導入される。(Fickers et al., 2022)によると、デジタル解釈学とは、デジタルツールを用いる歴史家に対して、そのツールへの反省をうながすための概念である。なぜ、以上のような歴史家にはデジタルツールへの反省が必要なのか。それは、他分野からリサーチの道具を借りている歴史研究は、学際的な研究領域として理解されている一方、「認識的差異」(Epistemic difference)という問題に直面しているからだ(Fickers et al., 2022:4–5)。
認識的差異とは、学際的研究での共通理解を可能にするため、修正の必要がある概念などに対して(Fickers et al., 2022)が用いる表現である。例えば、「機械に基づいたディスタントリーディング(遠読)」と「個人によるクロースリーディング(精読)」というリサーチの方法に見られる差異や、「一般的な科学法則を見つけ出すこと」と「人文学において、オリジナルで主観的(Subjective)な解釈を生み出すこと」というリサーチの目的に見られる差異などを例にあげることができる(Fickers et al., 2022:5)。
この対立が示唆するように、我々は「デジタル」と「アナログ」という二項対立の見地から認識的差異を眺めがちである。ここでデジタル解釈学が役に立つ。デジタル解釈学では、「デジタル」と「アナログ」という対立を崩した「中間」という選択肢が目指される。これまでは、デジタル的な手法を用いた歴史研究は認識的差異という問題に直面していた。しかしながら、このように「中間」を目指すという目的のもとにおいては、デジタル的な手法を用いた歴史研究は自分たちの手法を用いた研究を取りやめる必要はない。このことをデジタル解釈学はわれわれに教えてくれる。
さらに、デジタル的な手法の運用に対して一定の批判がある状態こそ、デジタル解釈学の提案する研究枠組みである(Fickers et al., 2022:7)。デジタル解釈学は、複数存在しうる解釈の緊張関係そのものを問題とすることに力点を置いている。以上のことをまとめると、デジタル解釈学とは、「理論の実践」であり、「実践の理論」でもある(Fickers et al., 2022:11)。つまり、認識的差異に存する中間地点を実際に探求することで、初めて解釈の可能性が開かれる。
以上のような概念を踏まえ、デジタルへの信仰とデジタル批判に基づくアナログへの回帰という波を往来するのではなく、それらにハイブリットな状態であろうとする姿勢としてデジタル解釈学が提唱された。そして、そのハイブリット状態を達成するために、「thinkering」という考えが導入される。
「thinkering」とは、「thinking」と「tinkering」を組み合わせた造語である。当セッションにおいてそれは、デジタルツールへの批判的な参与として説明された。中間を見極めようとするデジタル解釈学において、「中間」を生み出すためには、肯定的な評価を与えた対象に対しては否定的な評価を下す必要があり、その逆も然りである。このような批判的な参与を thinkering は生み出している。以上のことが示唆するように、デジタル解釈学を取り入れることで、われわれはアナログに立ち戻るのではなく、これまでのデジタルなアプローチをアップデートするという姿勢を維持できる。そこにおいては、thinkering という、デジタルツールに対する批判的な参与を組み込むことで、デジタルとアナログの中間に向かっていくという姿勢が目指されることになる。以上がデジタル解釈学についての Fickers 氏によるキーノートセッションのまとめである。
6月30日に配信いたしました『人文情報学月報』第155号につきまして、目次の表記に誤りがありました。以下のように訂正いたします。
執筆者の藤田郁先生および読者の皆様にご迷惑をお掛け致しましたことを深くお詫び申し上げます。
7月は DH 関連イベントが目白押しでした。筆者が参加できたものは限られていますが、なかでも、7/8–12にベルリン州立図書館で開催された Charting the European D-SEA では、欧州での東アジア DH をテーマとしたセミナー&シンポジウムということで、欧州で東アジア(日本を含む)の DH に関心を持つ研究者が集合し、一方で、米国や東アジアからも関連研究者が参集して様々な観点からのチュートリアルや講演が行われました。筆者も東アジアにおける DH の標準化に関する講演をしてきました。
7/21には、慶應義塾大学三田キャンパスにて、TEI 協会東アジア/日本語分科会が主催した DH シンポジウム「図書資料の構造化:研究データとしてのテキストデータ構築」が開催されました。こちらは主に対面開催でしたが、100名以上の参加者があり、大変な盛況でした。テキスト構造化という DH における大きなテーマの一つへの取組みの状況がイベントの盛り上がりという形で可視化されたと言えそうです。
そして、下旬には、国際日本文化研究センターにて、人文科学とコンピュータ研究会やDH 若手の会、DH に関するシンポジウムなどが開催され、これもなかなか盛況でした。DH 若手の会は一定の条件を満たした発表者に対しては旅費が支援されることもあってか、全国から多くのポスター発表が集まっており、将来の発展を期待できそうなものも多く見られました。
また、今月末には、当研究所が監修したIIIFの入門書が刊行されることになりました。『IIIF がひらくデジタルアーカイブ』(文学通信)というもので、ネット/リアル書店で紙の本が販売されるものですが、同時にオープンアクセス版も公開いたします。デジタルアーカイブをよりよく活用していくため、そしてよりよく活用できるデジタルアーカイブを作っていくために、本書が多少なりとも貢献できることを祈っております。