ISSN 2189-1621

 

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DHM 085 【前編】

人文情報学月報 / Digital Humanities Monthly


人文情報学月報第85号【前編】

Digital Humanities Monthly No. 085-1

ISSN 2189-1621 / 2011年8月27日創刊

2018年8月31日発行      発行数767部

目次

【前編】

  • 《巻頭言》「様々なコンテクスト:エンジニアリングからデジタル人文学へのアプローチ
    石川尋代慶應義塾大学デジタルメディア・コンテンツ統合研究センター(DMC)
  • 《連載》「Digital Japanese Studies寸見」第41回
    設立記念シンポジウムが催されHNGデータセット保存会が発足
    岡田一祐国文学研究資料館古典籍共同研究事業センター
  • 《連載》「欧州・中東デジタル・ヒューマニティーズ動向」第5回
    聖書学とデジタル・ヒューマニティーズ—聖書研究ソフトウェアの現状—
    宮川創ゲッティンゲン大学

【後編】

  • 《連載》「東アジア研究とDHを学ぶ」第5回
    「(東)アジア研究×図書館×デジタルヒューマニティーズ講演会」開催報告
    菊池信彦関西大学アジア・オープン・リサーチセンター特命准教授
  • 《連載》「Tokyo Digital History」第4回
    データ前処理過程の記述・公開
    山崎翔平東京大学大学院経済学研究科博士課程/日本学術振興会特別研究員DC1
  • 人文情報学イベントカレンダー
  • イベントレポート「Digital Humanities 2018 “PUENTES/BRIDGES”
    鈴木親彦情報・システム研究機構 データサイエンス共同利用基盤施設 人文学オープンデータ共同利用センター特任研究員
  • 編集後記

《巻頭言》「様々なコンテクスト:エンジニアリングからデジタル人文学へのアプローチ

石川尋代慶應義塾大学デジタルメディア・コンテンツ統合研究センター(DMC)

ずっと情報工学の分野にいて人文学との接点はほぼ無かった私が、慶應義塾大学デジタルメディア・コンテンツ統合研究センター(DMC)にきて6年以上が経過した。DMCではデジタルとアナログの融合をめざして人文系と工学系の研究者が協力して研究開発を行っている。私はデジタルコンテンツを様々なコンテクストを感じながら見ることができるシステム(MoSaIC: Museum of Shared and Interactive Cataloguing)の研究開発に携わっている。 このMoSaICは人文系の研究者が実現したい「様々なコンテクスト」と情報系の研究者が実現したい「自律分散型データベースシステムによるシェアリング」の両方を併せ持つシステムであるが、私はこの両者の間に入って、主に「様々なコンテクスト」の具現化とシステムへの落とし込みを担当してきた。本稿ではこの研究開発における試行錯誤やそのときに感じた人文系とエンジニアリングの感覚の違いなどを述べたいと思う。

■コンテクストの実現を試みる

最初に感じた人文系との壁は言葉であった。同じ言葉でも意味にゆらぎがあるため、本質的に意味を理解できているわけではなかった。たとえば、キーワードとなっている「コンテクスト」であるが単語の訳としては文脈や環境である。人文系では「コンテクスト」は(もちろんゆらぎはあるのだが)物や事を表現したり説明したりするための重要な概念であり、あらためて説明することもない共通認識であるらしい。(後々、分かったことだが、解釈は人によってやはりゆらいでおり困惑している。)一方で、情報工学では「コンテキスト」と表記し、ハードウェアの物理的な状態を示す単語としてなじみがあるため、少し機械的な感覚である。 こういった差異を気にすることなく「様々なコンテクスト」を実現するために、エンジニアリングからは有向グラフ(オブジェクト間を矢印でつなぐデータ構造)で記述することを提案した。 そして、複数の有向グラフを可視化して仮想空間にコンピュータグラフィックス(CG)で表示し、それをユーザインタフェースにしてコンテンツ閲覧するシステムを開発した。この時、人文系の研究者に作成してもらった「様々なコンテクスト」は作成者の解説を聞きながら閲覧したためか、大変面白いものであった。しかし、システム的な説明をしても人文系の研究者の直感的な理解を得ることが難しく、何ができるのか?と質問されたりしたが、それに対して的確に答えることができなかった。システムが実現した「コンテクスト」と人文系の研究者が思い描く「コンテクスト」にはやはり隔たりがあったのだろう。

■デジタルコンテンツ間の関係のモデル化

ただ複数の有向グラフを可視化するプログラムを作ったところで、それはあまり有用なシステムではなく、自分でも何を開発したのかよく分からなくなっていた。そこで有向グラフでデジタルコンテンツの「コンテクスト」を記述する意味と意義をシステム側から再考する必要があった。

まず、エンジニアリングからのアプローチとして、有向グラフで「コンテクスト」を記述する意味を「デジタルコンテンツ間の関係をモデル化すること」と定義した。そして、通常、関係を記述するには自然言語を用いるが、本システムでは関係を2つの構造でモデル化することを提案した(2つのコンテンツ間の関連を表すassociatingと何らかの意味を持つ集合を表すgrouping)。モデル化することですべての関係を一様に扱うことができ、また、共有するデジタルコンテンツを介して、別の関係を見出すことも可能となる。これはある意味、「コンテクスト」のモデル化でありデジタル化であると考えている。モデル化するにあたってその関係に関する情報は少なくなるが、デジタルコンテンツをとりまく「様々なコンテクスト」を知ることができるようになる。 これが本システムの意義であると考えている。次のステップとしては、このモデル化を多くの人文系の研究者に理解してもらい、実際に関係記述してもらうことが課題となっている。

■「まなざし」

ところで、人文系の研究者が行うことに「絵画(画像)から一部を切り取る」というものがある。全体の中の一部分に着目することであるが、切り取った部分にはなんらかの意味があり、その背景には物語が広がっているようだ。一方、エンジニアリング的には、画像を切り出すことは、ただ単にその部分を別のファイルに保存することであり、そのとき考慮するのは、切り出す形や、ファイルフォーマット、ファイルの保存先、ファイル名、IDのことであり、切り取られた意味などは必要としない。(そこでデジタルコンテンツにはメタデータというのが重要になってくるわけだが、それはここでは言及しない。) このような部分に注目する見方は「まなざし」(英語でgaze)というらしい。その説明の中で出てきた「何を考えて見ているのか」「なぜ見ているのか」という文章に興味を持った。これは「まなざし」の一例であるが、こういったところに人文系の研究者が関係のモデル化に興味を持ってもらうためのヒントがあるのではないかと考えている。

このような「まなざし」には、人が持っている価値基準がでてくるが、エンジニアリングでは価値基準の代わりに、なんらかの物理的な特徴を用いることが多い。それを物理的特徴量として数値化して指標とし、近いなら関連付けていくということはコンピュータの得意分野である。しかし、つなげた結果にどんな意味があるのか、そこから何が分かるのか、何の役に立つのかはまだよく分からない。少なくとも人文系の研究者が語る物語のような面白さはまだ得られていない。対象となるデジタルコンテンツや物理的指標は非常にたくさんあるため、何か面白いものを見つけたいと思っている。見つけられたときに人文系の研究の醍醐味のようなものが感じられるかもしれないと期待している。

デジタル人文学におけるより良いシステムには、人文系とエンジニアリングの双方からのアプローチが必要であるのはいうまでもない。人文学の分野ではデジタルというものを受け入れようと大変な努力をされたと聞いている。エンジニアリングも今ある技術を提供するだけでなく、人文系の研究者の考え方に触れて一歩近づいて研究してみるのはどうだろうか。

そういえば、前述の「まなざし」の“gaze”という単語を、最近、エンジニアリングの分野で見かけることがあった。それは、ヘッドマウントディスプレイの視線を検出・計算するライブラリの名前であった。やはり物理的である。

執筆者プロフィール

石川尋代(いしかわ・ひろよ)名古屋工業大学大学院博士前期課程電気情報工学修了後、一般企業にてソフトウェア開発に従事。その後、慶應義塾大学大学院理工学研究科博士課程開放環境科学専攻単位取得退学。慶應義塾大学大学院特任助教を経て慶應義塾大学デジタルメディア・コンテンツ統合研究センター特任講師。博士(工学)。専門はビジュアライゼーション、3次元視知覚、ソフトウェア開発。
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Digital Japanese Studies寸見」第41回

設立記念シンポジウムが催されHNGデータセット保存会が発足

岡田一祐国文学研究資料館古典籍共同研究事業センター

2018年7月21日に京都大学で漢字字体規範史データセット保存会(以下データセット保存会)の設立記念イベント・シンポジウム「文字情報データベースの保存と継承」が催された[1]。 漢字字体規範史データセット(以下HNGデータセット)とは、北海道大学文学部名誉教授の石塚晴通氏が主導して長年作成してきた通称石塚漢字字体資料をデジタル化したものをデータセットとして一般の利用に長く供しようとしたものである。 このデジタル化は、もともと漢字字体規範史データベース(以下通称のHNG; Hanzi Normative Glyphs)という先行プロジェクトで行われたものであったが、このデータベースは長期に亙って休止中で、利用が難しくなっていた。 今回のシンポジウムは、このようにデータセット保存会が設立されて、もととなったデータがデータセットとして公開され、またその検索インタフェースとしてCHISE-IDS HNG漢字検索というものも用意されたことを記念してのものと位置づけられようか[2]。

石塚漢字字体資料とHNGについて、すこしく説明が必要であろう[3]。 石塚漢字字体資料とは、漢字資料の使用字体には、地域・時代によって標準が存し、かつ、変遷するという石塚氏の構想を証するべく、二十余年に亙って氏の指揮のもと演習などの時間に積み重ねられてきた資料のことである。 具体的には、石塚氏が長年調査を重ねてきた敦煌文献中の初唐宮廷における写経事業で作られた写本では、それ以前、あるいは同時代でも私的な写本に見られるような、文字としては同一でも字体としては異なるもの(異体字)が一文献中に複数用いられるという状況がないことを示し、同様に、開成石経、再彫本高麗版大蔵経、奈良時代の御願経などの国を挙げた本の製作においても、異体字が用いられないことを証するというのがこの資料の眼目である(さらに、そのような異体字の統一された本においては、使用する紙質などにも意が用いられているというのが重要である)。 この資料は紙カードで作成されたものであったが、東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所(当時)の豊島正之氏の管理のもと、それを電子化し、所用字体を文献ごとに一覧できるようにしたものがHNGであって、かつ、電子的に拡張された部分も存する。HNGは2006年に公開され、石塚氏の構想を体現したものとして提示されていた(したがって、拡張もそれにかなうかたちで行われた)。

それから時日も経ち、HNGは、漢字の字体を調べるためのデータベースというように目されるようになり、その検索結果が論文などで論拠として引用されるようになった。データセット保存会幹事の高田智和・守岡知彦両氏のいう「インフラ化」である。これは、HNGの当初の目的からは意想外の反応であると石塚氏や高田氏はいう([3]の高田論文参照)。 そのように普及した段階での休止は、学界に驚きを以て迎えられ、それが長期に亙るに及んで、べつのかたちでの公開が企てられるにいたった。 そのひとつが京都大学人文科学研究所の守岡氏の運営するCHISEからの公開であり(CHISE-IDS HNG漢字検索)、さらに今回の高田・守岡氏を中心とするデータセット保存会によるデータセットというかたちでの公開である[4]。 休止にいたった事情について、稿者はつまびらかにしないが、一般論として、公刊された研究とそれに附随するインターネット上で公開される資料が使えなくなってしまうという事態は、データベース公開者が永遠には存在し得ない以上、避けがたい。 前置きが長くなったが、その意味で、今回のシンポジウムは、一資料の去就を越えた問題が見え隠れしていたように思われる。

シンポジウムでの各発表は、昨今の事情から見れば話されずに済まされてしまうような話題—縁者の介護のことを口にのぼせにくいように-が多く、したがって、残りの紙幅で述べるにはいささか繊細にすぎることのように思われるので、割愛に従うが、データセット保存会設置の要点としては、HNGにおいて電子化した石塚漢字字体資料をデータセットとしてデータセット保存会の設置するGitLabから公開したというところにある。 石塚漢字字体資料は、さきほども述べたように紙カード資料であるが、『大字典』という戦前の中型漢字字典の掲出字によって文献ごとに全例を整理し、そのなかでの字体のばらつきを計量した資料である。 HNGでは、その紙カードをすべて撮影し、一字一字を独立した画像とし、字体ごとに整理した。データベースの検索結果では、字体ごとに一例のみ画像を掲出し、全例を検討することができなかった。 データセットは、データを取りまとめて一般の利用に供するものであるので、そのような検索機能は持たないが、全データを確認できるので、HNGとちがった利用が可能となる。 ただし、現状ではライセンスが明確でなく、利用結果の公開には注意が必要である。また、現状では石塚漢字字体資料64文献すべてが提供されているわけではなく、48文献のデータ提供に留まっている点もまた注意すべきであろう[5]。

HNGデータセットのように、研究グループが作成したデータセットは、古典籍オープンデータセットなどの機関提供型のものとは異なり、データ形成に強い方向づけがされているものであり、また、これまで多くされてきたデータベース形式の公開とは異なって研究成果の検証可能性の確保や、データベースよりは低い維持コストなどが意義の中心となろう。 シンポジウムでもHNGにかぎらず語られたことであるが、データベースには維持コストの問題がつきまとう。データセットは、一般に汎用性を高めたかたちで公開され、それゆえにプレゼンテーションまで公開者が手がけるデータベースでは可能な作り込みとは相容れない点も多々あるが、ぎゃくにいえば、そのようなデータに基づいた議論は、データ操作の明解さという利点も得られよう。 HNGデータセットがもたらすものはまだ分からないが、研究者の社会責任を果たす形態として、また、研究基盤のかたちとして、データセットというものが受け入れられてゆくことによって、デジタル日本学の未来に広がりが生まれるのではなかろうか。

[1] 2018-07-21 漢字字体規範史データセット保存会設立記念イベントの記録 http://www.hng-data.org/events/2018-07-21.ja.html
[2] わたくしごとではあるが、稿者は北大在学中にHNG構築にいくばくか関わっており、またその機縁でデータセット保存会の発起人にも名を連ねることとなったので、このようにデータセットが公開されるにいたったことはたいへんにうれしく思う。ちなみに、HNGに関わったという事実や程度はクレジットされていないので、勝手に名乗っていないという保証を稿者ができるわけではないのだが、構築作業を手伝った人員のひとりとして自分が作ったデータが活かされていることに喜びを見いだしているというくらいのことであるとご理解いただければと思う。
[3] 石塚漢字字体資料・HNGの関係については以下を参照。
石塚晴通・高田智和(2016)「漢字字体と文献の性格との関係: 「漢字字体規範史データベース(石塚漢字字体資料)」の文献選定」高田智和・馬場基・横山詔一編『漢字字体史研究二: 字体と漢字情報』勉誠出版
高田智和(2013)「漢字字体と典籍の性格との関係: 「漢字字体規範データベース」が主張するもの」『情報処理学会研究報告』2013-CH-97 (12)
[4] 漢字字体規範史データセット http://www.hng-data.org/
[5] なお、データセット保存会で行っている事業ではないが、検索がまったくできないわけではなく、CHISE-IDS HNG漢字検索によって、HNGデータセットに含まれる字体のみにしぼった検索が可能となっている。HNGの検索機能とは設計が異なるが、軽度な利用にはこちらが便利であろう。
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《連載》「欧州・中東デジタル・ヒューマニティーズ動向」第4回

聖書学とデジタル・ヒューマニティーズ—聖書研究ソフトウェアの現状—

宮川創ゲッティンゲン大学

先日、2018年7月31日から8月3日にかけて、著者はヘルシンキ大学で行われた聖書文学会国際大会(Society of Biblical Literature, International Meeting)と欧州聖書学会(European Association of Biblical Studies, https://www.eabs.net/)の共同大会に参加し、8月2日にデジタル・ヒューマニティーズのセッションで研究発表を行った。 セッションの名称は「聖書学、初期ユダヤ教、および、初期キリスト教学におけるデジタル・ヒューマニティーズ」(Digital Humanities in Biblical Studies, Early Jewish and Christian Studies)であり、私の発表はゲッティンゲン大学コンピュータ科学研究所のマルコ・ビュヒラー(Marco Büchler)との共同発表だった。 発表内容は、コプト語文学で最も多作であった、紀元後4–5世紀に活躍した修道院長シェヌーテのコプト語文献の中にある古いコプト語訳聖書からの引用と引喩のコンピュータを用いた自動探知による新発見、および、その結果の文献学的な分析である。 聖書文学会はアメリカを中心とする聖書学や聖書に関係する文学の学会であり、欧州聖書学会はヨーロッパで最も大きい聖書学の学会である。 両者ともに伝統ある学会であるともに、多くの研究発表が聖書研究の長い伝統に則ったものである。しかしながら、近年では、デジタル・ヒューマニティーズのセッションの拡充および、デジタル技術を駆使した革新的な研究が目立つようになってきた。

デジタル・ヒューマニティーズの父と呼ばれ、ADHO(The Alliance of Digital Humanities Organizations)のRoberto Busa Prizeに名を残している人物といえば、イタリアのイエズス会士、ロベルト・ブサ(Roberto Busa)[1]である。 DHの泰斗となった彼の最も有名なプロジェクトは、Index Thomisticusという、中世哲学およびカトリック神学の大学者である聖トマス・アクィナスの著作の索引のデジタル化のプロジェクトであった。 これが開始されたのは、1946年という、初期のコンピュータができてまもなくの時代であった。 学問が宗教から独立すべきであることは、客観性・中立性を保つ上で大変重要であるが、人文学は、人間の文化といった精神面を主に追求する以上、宗教も重要なトピックの1つとなってくる。 ヨーロッパの大学は、中世では神学を中心に発展し、ルネサンスになると、既存の宗教的枠組みの再構築が推し進められた。このような背景があり、宗教に肯定的か、否定的か、それとも中立的か、といった各人のスタンスは措いておいて(もちろん中立的なのが最も望ましいが)、殊に宗教的な文献は、神学はもちろんのこと、人文学の分野でよく研究されてきた。

デジタル・ヒューマニティーズは、日本では大蔵経など仏教経典が興隆の中心の一つとなったが、宗教文献がその発展を牽引するものとなったのは、このように、ヨーロッパでも同じである。 キリスト教で最も重要な書物である聖書は、早くからデジタル・ヒューマニティーズの分野で研究された。 そして1980年代から様々な機能を備えた聖書研究用のソフトウェアが現れた。冒頭で述べたヘルシンキの学会では、Logos(https://www.logos.com/)とAccordance(https://www.accordancebible.com/)という2018年時点での二大聖書研究ソフトウェアのブースが商用スペースにあり、また、Accordanceのワークショップが大会のセッションの1つとして開催された。 本稿は、これらの聖書研究用のソフトウェアについて述べる。

聖書研究ソフトウェアとして、学者によってよく用いられるものに、BibleWorks、Logos、そしてAccordanceがある。著者はこの3つとも所有しており、よく比較している。このうちBibleWorks(https://www.bibleworks.com/)は、数多くのユーザを残しながら、2018年6月15日にそのサービスを終え、今後アップデートがなされる目処は立っていない。今でも、プロダクトキーの購入者は、サイトからこのソフトウェアをダウンロードし、インストールすることができるが、もはや公式なサポートはなされない。このBibleWorksは、聖書の本文研究に特化している。BibleWorksのユーザ・インターフェース内には、左のサーチ・ウィンドウ、中央のブラウズ・ウィンドウ、右のアナリシス・ウィンドウがある。 中央のブラウズ・ウィンドウでギリシア語、もしくは、ヘブライ語の聖書本文で語の上にカーソルを置くと、その語の品詞・活用/曲用・意味情報が表示されるほか、右のアナリシス・ウィンドウでは、Louw and Nida [2] など、学者によってよく用いられる辞書でその単語の意味を引くことができる。また、日本語の新改訳聖書を含む様々な言語の聖書とパラレルに表示することも可能である。更に、新約聖書の主要な写本の写真のほか、最新版であるBibleWorks 10では、旧約聖書のレニングラード写本の写真も見ることもでき、これらの写真には、節単位で、ブラウズ・ウィンドウの聖書の本文とのリンクが付されてある。そして、聖書の諸写本の異読の情報もアナリシス・ウィンドウのタブを切り替えることでパラレルに表示し容易に比較することができる。

著者は、3つのソフトを所有しながらも、このBibleWorksのシンプルさに惹かれ、これを長年愛用していたが、サポートの終了に伴い、他の2つのソフトLogosとAccordanceのどちらかをメインに使うことに決めた。聖書本文の研究では、LogosとAccordanceのどちらも大差はないように思えるが、起動やレスポンスはAccordanceの方が速い。また、単語の下に語釈やグロスなどを表示するインターリニア・ビューでは、Logosの方が美しく表示されるものの、Accordanceの方がより柔軟にカスタマイズできる。ただし、Accordanceは、文字の大きさの加減でレイアウトが崩れることもあるのに対し、Logosのレイアウトは磐石である。単語の統計などの視覚化はLogosの方が美しい。このように、ヴィジュアル面ではLogosの方が優れている。 このように、実用面で優れているAccordance、視覚面で優れているLogos、とコントラストをつけることができる。

BibleWorksが主に聖書本文の閲覧・研究に特化していたのに対し、LogosとAccordanceは聖書本文だけでなく、巨大な専門書・学術書のeブック・ライブラリを有し、eブック・リーダーとしても大変優れたソフトウェアである。両方ともよく研究に用いられる優れた書籍を多数有している。更に、Logosには新約聖書や七十人訳旧約聖書の独自の翻訳などがあるが、日本語の聖書はAccordanceの方が豊富であり、新改訳や新共同訳を追加することもできる [3]。BibleWorksも文法書などを見れることは見れるのだが、数は限られている。これに対し、LogosとAccordanceはeブックのライブラリは巨大であり、その表示も大変滑らかでスタイリッシュである。ライブラリの充実度では、Logosに軍配が上がる。

Logosでは、購入する際にパッケージを選ぶことができるが、それぞれの教派に特化した使用にすることもできる。例えば、カトリックのパッケージであるVerbumを選ぶと、カトリックの神学者たちの重要な著作や、中世のカトリック教会の著名な神学者や哲学者の著作、そしてローマ教皇の回勅などのeブックが付いてくる。正教会ヴァージョンは金口イオアン(ヨハンネス・クリュソストモス)などの重要なギリシア教父、改革派版はカルヴァンの著作など、それぞれの教派の重要な著作が充実している。選択肢には、正教会、カトリック(Verbum)、聖公会、メソジストとウェスレヤン、バプテスト派、ペンテコステ派とカリスマ派、ルター派、改革派、セブンスデー・アドベンチスト、そして教派に偏らないStandardがある。 ライブラリのサイズは、Basic、Starter、Bronze、Silber、Gold、Platinum、Diamond、Portfolio、Collector’s Editionという段階で選ぶことができ、これらの段階が上がるごとに値段も相応に上がっていく。ちなみに、一番最小のBasicは無料であるのに対し、一番豊富なライブラリであるCollector’s Editionは10799.99ドルである(2018年8月14日現在はセールで8099.99ドルになっている)。このCollector’s Editionは5132のeブック、聖書写本の写真、地図、聖書本文朗読の音声などを有している。追加で個別のコンテンツを購入することも可能である。

これに対して、Accordanceは、目的ごとに異なるシリーズがある。英語の聖書翻訳の研究にはEnglish、ギリシア語聖書の研究にはGreek、ヘブライ語聖書の研究にはHebrewシリーズといったラインナップがあり、ライブラリの多さに基づいて、それぞれLite、Basic Starter、Starter、Learner、Discoverer、Pro、Expert、Master、All-in-Allというレベルが用意されていて、レベルが高くなるにつれて値段も高くなる。最大のAll-in-Allは、1283のコンテンツを持ち、2018年8月14日現在37999米ドルである。また、Add-On Collectionsなどで特定の分野に特化した複数のコンテンツを一気に追加できるほか、Logosと同じように個別のコンテンツを追加購入することも可能である。

今回紹介した聖書研究ソフトウェアは全て有料であり、オープン・アクセス、オープン・データ、および、オープン・ソースを推進させているデジタル・ヒューマニティーズの1スタンスには商業主義的に映るかもしれない。ただ、これらのソフトウェアを開発しているのは、民間企業であって、学術機関ではない。また、これらのソフトウェアに搭載されているコンテンツ自体、出版社から出版された書籍をデジタル化したものがほとんどであり、このようなコンテンツを有するかぎり、有料化は免れえないし、パッケージで購入すれば、全てのコンテンツを書籍で買うよりも安くなる。加えて、LogosとAccordanceに収録されているコンテンツには、次回で説明するが、DHのプロジェクトで作成されたオープン・データがうまく活用されているものがある。 そして、聖書研究ソフトウェアの開発元とタイアップしている研究機関もある。例えば、教皇庁立聖書研究所はLogosのカトリック版であるVerbumと協定を結び、研究所の教授陣はVerbumのコンテンツの選定に大きく関わると同時に、研究所の学生は少額を研究所に支払うことで、8000ユーロ程度する、高額のVerbum最上位パッケージを使用することができる [4]。このように、研究のための商用ソフトウェアの開発元とうまく相互連携していくのもDHの1つの道であろう。

次回の連載では、研究機関が開発を進めている、使用料が無料である聖書研究ソフトウェア、および、ウェブアプリを紹介するほか、DHの観点から聖書学を研究するヨーロッパとイスラエルの諸研究機関の取り組みを紹介する。

[1] Busaの日本語表記の仕方は、ブーザ、ブーサ、ブザ、ブサの4通りが考えられる。イタリア語の母音間のsは、casaのように有声音でも無声音でも読むことが可能である。
[2] Johannes P. Louw, Eugene A. Nida, Rondal B. Smith, and Karen A. Munson, eds., Greek-English Lexicon of the New Testament, Based on Semantic Domains. 2 vols. (United Bible Societies, 1988).
[3] Logosでは、一定数のPre-Orderが集まったものが電子化され、追加可能になる、というシステムを取っている。現在、日本語訳では、新改訳のPre-Orderが募集されている(https://www.logos.com/product/36473/shinkaiyaku-japanese-bible、最終閲覧日2018年8月17日)。
[4] “. . . the Institute has made a deal with Verbum (the Catholic ‘section’ of the Logos platform). As based on this agreement, the student can receive a ‘package’ containing critical editions of the biblical texts, indispensable dictionaries, the main extrabiblical texts (targumim, Qumran, . . .) and about 200 commentaries chosen by the PBI professors. The value for the hardcopy/paper versions of these resources would total around 8000 Euros.” Pontifical Biblical Institute - Rome, Academic Fees, 2018-19. https://www.biblico.it/fees.html、最終閲覧日2018年8月18日。
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