人文情報学月報第90号【中編】
目次
【前編】
- 《巻頭言》「2018年の到達点とこれから」
:一般財団法人人文情報学研究所 - 《連載》「Digital Japanese Studies寸見」第46回
「TEI コンソーシアム東アジア/日本語分科会の活動が本格化」
:国文学研究資料館古典籍共同研究事業センター - 《連載》「欧州・中東デジタル・ヒューマニティーズ動向」第10回
「ドイツ語圏のパピルス文献デジタル・アーカイブ」
:ゲッティンゲン大学
【中編】
- 《連載》「東アジア研究と DH を学ぶ」第10回
「デジタル史料批判を学ぶ教育・学習プラットフォーム Ranke.2について」
:関西大学アジア・オープン・リサーチセンター - 特別寄稿「Gregory Crane 氏インタビュー全訳(第1回)」
:東京大学大学院人文社会系研究科
【後編】
- 特別寄稿「Carolina Digital Humanities Initiative Fellow の経験を通じて〈後半〉」
- 人文情報学イベントカレンダー
- 編集後記
《連載》「東アジア研究と DH を学ぶ」第10回
「デジタル史料批判を学ぶ教育・学習プラットフォーム Ranke.2について」
デジタルアーカイブによる資料公開で、利用の仕方によっては所蔵機関や来歴の情報が失われ、再利用の際に困難が生じる、あるいは誤った利用をされてしまうかもしれないと懸念する声がある[1]。それを防ぐための資料提供側の対応について議論がある一方で[2]、デジタル資料の来歴や価値判断をユーザ側が行うにはどうすればよいのかという議論がある。本稿では、特に歴史学の文脈でこの問題系を扱う「デジタル史料批判」という方法について、その定義と、そしてそれを学ぶために開発された教育・学習用プラットフォーム Ranke.2を取り上げたい。なお、今号は KU-ORCAS の東アジア研究の文脈とは少々ずれるが、KU-ORCAS の掲げる「研究ノウハウのオープン化」に関わる話題ではある。
「デジタル史料批判」とは何か。その議論を始める前に、そもそも歴史学における史料批判の定義について触れておくべきだろう。試みにジャパンナレッジから『日本大百科全書』を引いてみると、次のように説明されている。
「現代の情報技術の高度化によってまた新しい困難が増した」というくだりはまさに本稿の冒頭で挙げた懸念そのものである。だが、ひとまずここで確認したいのは、モノとしての史料を分析するのが「外的批判」であり、史料の内容そのものを検討するのが「内的批判」だということである。
近代歴史学の父であるランケの名を冠した Ranke.2では、デジタル史料批判を次のように説明している。
そして、そのデジタル史料批判の中心的な問いを次のように列挙している。
アナログからデジタルへという形態の変化は、史料のもつ情報の価値や人工物としての史料価値に影響を与えてきたのか?
なぜ、いつ、そしてどのように史料はウェブで発信され、だれがそのイニシアティブをとってきたのか?
サーチエンジンはこの種の史料をどのように検索してきたのか?検索できていなかったが、関連する別の史料があったのではないか?[4]」
これらの問いは前出の外的批判と内的批判の双方を含むものであり、したがって、Ranke.2の意味するデジタル史料批判は、従来の史料批判をデジタル形態の史料にまで拡張させたものと言えるだろう。
ところで、Ranke.2のアイディアや開発が始まった2014年ごろとほぼ同時期に、日本でも「ディジタル史料批判」の提唱と実践が行われている。これを行った西村陽子と北本朝展の定義によると、「ディジタル史料批判とは、史料批判という歴史学の基本的な技法にディジタル技術を導入することで、史料の『新しい読み方』の実現を目指すものである[5]」という。さらに彼らは「ディジタル史料批判」の2つの特徴を挙げ、古地図や古写真等の「非文字史料という新しい種類の史料に対する史料批判に取り組むこと」、「史料批判の対象を史料単位から記述単位に細分化し、文脈にとらわれない新しい史料批判を実現すること」であるとしている[6]。
先に挙げた史料批判の定義と比べると、西本と北本の「ディジタル史料批判」の興味深い特徴が浮かび上がってくる。まず1つ目の特徴に関しては、従来の歴史学が行ってきた史料批判は文字史料を対象としてきたが、「ディジタル時代に入って、非文字史料の共有や加工もはるかに簡単になったため[7]」それらの史料を対象に行うのだという。デジタル(化された)文字史料を視野の外に置く姿勢から伺えるように、媒体変換がモノとしての史料に与える影響については(少なくとも明示的には)考慮されていない。また、後者の特徴に関しては、「歴史学における史料批判はこれまで、史料のテキスト全体の正確さや信頼性などを主な評価対象にしてきた。……[中略]……しかし、このような史料単位の評価は本当に適切なのか、というのが我々の問題意識である[8]」と述べている。これはすなわち、モノとしての史料を分析する外的批判からの脱却を意味することに他ならない。事実、西村と北本の議論は、地図史料を対象にその内容の解釈をデジタル技術で行うという「内的批判」へと議論が集中している。したがって、二人の言う「ディジタル史料批判」は、Ranke.2のように従来の史料批判をデジタル媒体にまで拡張させたものではない。自らも述べているように、デジタル技術によってどのように「新しい読み方」ができるのか、言い換えれば、非文字史料の史料解釈の方法的刷新を目指すものと解釈できるだろう。そのため、西本と北本の「ディジタル史料批判」は、本稿で扱いたい、ユーザがデジタル資料をどのように判断するのかというテーマとは文脈が異なるものである。
さて、ようやく本題にたどり着くことができた。では、デジタル史料批判を学ぶための教育・学習用プラットフォームである Ranke.2とはどのようなものなのか。
Ranke.2は、ルクセンブルク大学現代史・デジタルヒストリー研究センター拠点である C2DH が、2018年10月に正式公開したウェブサイトである[9]。この Ranke.2では、以下の10項目を学ぶことができるとされている。
- デジタル化とウェブは歴史研究の本質をどのように変えたのか
- デジタル史料(レトロな方法でのデジタル化史料、ボーンデジタル史料、媒体変換史料)はどのように作られたのか
- アナログな史料がデジタル化されると、どのような変化があるか
- 「オリジナル」という概念の問い方
- デジタル史料やそのメタデータへ情報がどのように付加されるのか
- どのようにデータがオンラインで公開され、そして検索可能となるのか
- 史料の発見と選択におけるサーチエンジンの影響
- 様々なデジタルツールのデータへの適用方法
- 文書館とオンラインを使った場合の研究の進め方の違い
- データの様々なタイプ(テキスト、イメージ、立体物、音声・動画)の特徴[10]
サイト上では、上記の項目に関連した学習コンテンツを、現在のところ4つ公開している。1つ目は、“From the archival to the digital turn”。これは、デジタル的転回(digital turn)によって史料批判という方法がどのような影響を受けたのか、このことが人文学の研究を進めるうえでどのような意味を持つのかをテーマとしたものとなっている。学習コンテンツ全体を貫く概論的な位置づけにあるといってよいだろう。そして、2つ目が “David Boder: from wire recordings to website”、3つ目が “David Boder online: comparing websites 2000–2009” である。両者のタイトルにある David Boder とは、1886年ラトヴィアに生まれたユダヤ人で、ロシアでの内戦のあおりを受け、日本経由でメキシコへ亡命、その後、アメリカへ渡った心理学者である。彼は、第二次世界大戦後の1946年に、ヨーロッパ各地でホロコースト生存者130名のインタビューを録音、記録している。この音声記録のデジタル化が2000年と2009年の2回行われているのだが、2つ目の学習コンテンツでは、このデジタル化によって音声記録の意味と価値は変化したのかどうかという点が問われている。そして3つ目の学習コンテンツでは、2000年と2009年のデジタル化を比較し、その間の技術の進歩を学ぶものとなっている。最後の4つ目のコンテンツ “Transformation: how the digital creates new realities”は、デジタル技術によってもたらされる「変化」(transformation)がどのような影響を生み出しているのか、この「変化」という概念を考察するものである。
各学習コンテンツには、Small、Medium、Large の3つのモジュールが用意されている[11]。Small は、6~7分程度のアニメーション動画で概要を説明し、その内容理解の確認のためのクイズが出題されている。この Small モジュールの利用対象者も研究者や学生だけでなく、広く一般ユーザを視野に入れているという。Medium は、大学の講義で利用することを想定して作られていて、Small モジュール内のアニメーションの内容からいくつかトピックを抜き出して深掘りするような課題が示されている。最後に Large は1日かけたワークショップでの利用を想定したものであるという。しかし、現状では学習コンテンツのすべてに各モジュールが提供されてはおらず、特に Large モジュールはまだどのコンテンツにもない。学習コンテンツの追加とともに、モジュールの開発もこれからという段階なのであろう。
本稿で紹介した Ranke.2とそのデジタル史料批判の内容は、デジタルアーカイブが歴史学へ与える影響に対して向けられる「懸念」が底流にあると言えるだろう。Ranke.2のコンテンツはまだ公開されたばかりで数も少ないが、デジタル史料批判の学習目標はいずれも重要なポイントである。歴史学にとっての史料デジタル化の意義は、史料調査やアクセス、あるいは中身の分析のスピードを飛躍的に向上させた、つまりは利便性の観点からこれまで論じられてきた。その一方で、それ以外の観点から、史料デジタル化が歴史学研究の営みに与えてきた影響はあまり論じられてこなかったようにも思う。その意味から Ranke.2の今後の拡張を大いに期待したい。
特別寄稿「Gregory Crane 氏インタビュー全訳(第1回)」
2018年7月6日、東京・一橋講堂において国際シンポジウム「デジタル時代における人文学の学術基盤をめぐって」が開催され、Laurent Romary 氏と Gregory Crane 氏が特別講演を行った[1]。Romary 氏は欧州におけるデジタル人文学を牽引する人物であり、DARIAH(Digital Research Infrastructure for Arts and Humanities)のディレクターを務めている[2]。一方で Crane 氏は、日本でも言語学、歴史学などに携わる者によって利用されている Perseus Digital Library のプロジェクトリーダーである[3]。訳者は、自らが西洋古代史を専門とし、Perseus Digital Library を日頃利用していることもあり、Crane 氏にお話を伺いたいと考えた。幸運にも、人文情報学研究所・永崎研宣氏の協力のもとで氏にインタビューを行う機会を得て、Perseus Digital Library の設立と現在までの軌跡、プロジェクトの目的や今後の課題・展望などについて直接お話を伺うことができた。訳者は、この貴重なインタビュー内容をぜひとも広く共有すべきであると考え、本誌において全訳を掲載することとした。今月号から4回にわたって掲載を行う予定なので、ご賢覧くだされば幸いである。
なお、本インタビューは1時間余りに及ぶものであり、その分量は長大なものとなった。テープ起こしから翻訳までを単独で完成させる能力は訳者にはなく、永崎研宣氏、中村覚氏(東京大学情報基盤センター助教)、小風尚樹氏(東京大学大学院博士課程)には、内容の確認、修正の過程においてご助力を賜った。前もって謝意を表したい。
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