ISSN 2189-1621 / 2011年08月27日創刊
2022年4月、「文化遺産オンライン」[1]はギャラリーのリニューアル版を公開し、懸案だったモバイル端末による閲覧に対応した。前回のリニューアルを実施した2011年以降、急速に進んだスマートフォンの普及は、文化遺産オンラインへのアクセスの傾向からも見て取ることができる。2015年から2022年にかけて、モバイル端末によるアクセス数の割合は25%から45%へと増加しており、スマートフォンによる利用が全体の半数に迫る勢いで伸びている。手のひらに収まる小さなコンピュータの画面が、日常的に文化財情報への入り口となっているのである。そこで文化遺産オンラインのリニューアル版では、スマートフォンおよびタブレット端末による利用を想定し、これまで端末の種類に拠らずに固定式であった画面をレスポンシブ対応に変更した。さらに、タッチパネルでの利用に向いた新しい閲覧環境として「日本列島タイムマシンナビ」(以下、タイムマシンナビ)を開発し、同時にリリースした。
タイムマシンナビは、従来型の検索結果一覧を別の形で閲覧できるデジタルビューアである。検索条件を設定した上でタイムマシンナビを立ち上げると、条件に適う作品のサムネールが画面いっぱいに表示される。文化遺産オンラインのトップページには、タイムマシンナビの利用例として、あらかじめ条件を設定した黄色い丸型のバナーが掲載されている。このリンクをタップ(あるいはクリック)することで、文化遺産オンラインに登録されている文化財のうち、国宝または重要文化財に指定されている作品や資料の一覧を画像で閲覧できる[2]。画面左下の矢印アイコンを操作しパネルを開くと、検索結果を「時代」と「地域」で連続的に絞り込めるスライダ式のナビゲーションが表示される。時代のスライダを右側に少し進めて「縄文」に設定すると、土偶や土器などの縄文時代の文化財のみを表示することができる。さらにこの状態で地域のスライダを変更することで、出土地あるいは現在の所在地で絞り込むこともできるようになっている。
タイムマシンナビの特徴のひとつは、検索結果の一覧性を向上し、画像の閲覧を容易にした点にある。画面をスクロールすることで対象となる作品が次々に表示されるため、これまでの検索結果一覧よりも短い時間で、より多くの作品画像にふれることが可能である。サムネール画像はタップ(またはクリック)によって画面上に拡大表示され、通常の作品詳細ページへと遷移することもできる。もうひとつの特徴は、スライダ式のナビゲーションにより、検索結果の絞り込みを容易にした点にある。「時代」と「地域」というわかりやすい切り口により、まとまりのある形で作品への興味を持ちながら閲覧できるよう配慮している。この二つの相反する特徴を組み合わせてフロントエンドで統合することによって、利用者が興味に応じて作品を選び、時代と地域を自在に切り替えながら鑑賞できる新たな閲覧環境を実現した。
タイムマシンナビのこの二つの特徴は、検索用のバックエンドシステムにより支えられている。今回のリニューアルでは、これまでの連想検索エンジン GETAssoc に加えて、新たに Elasticsearch を導入し、特にスライダによる絞り込みに必要なファセット検索機能の性能向上を果たすことに成功した。また文化遺産オンラインに登録されている作品に対して、時代と地域の索引語を付与する取り組みを続けてきたことも、タイムマシンナビの実現に寄与している。例えば文化遺産オンラインでは、「ColBase:国立文化財機構所蔵品統合検索システム」[3]との自動連携において、「時代・世紀」の異なり語8,628 件のうち7,877件に、文化遺産オンライン側の統制索引語である「時代」への対応付けを実施している。実際にタイムマシンナビで東京国立博物館の所蔵作品を開いて「時代」のスライダを操作することで、対応付けられた索引語の効果を確認することができる[4]。専門性の高い一次情報をもとに、発信のために独自の索引語を付与する意味と効果を、あらためてここに見出すこともできるかもしれない。貴重な文化財の情報を活用し発信する観点から、今後も様々に索引語の整備と対応付けを検討し実現できればと考えている。
文化遺産オンラインが利用される場面はさらに拡大が見込まれている。日本全国にある文化財の情報を広く一般の利用者に伝えるポータルサイトとしての役割を維持できるよう、引き続き情報基盤の研究開発に取り組んで参りたい。なお文化遺産オンラインのリニューアルとタイムマシンナビ、ColBase との自動連携における時代と地域の対応付けについては、『アート・ドキュメンテーション研究』に掲載された拙論[5]にも詳しく書かせていただいた。ご興味ご関心のある方には、あわせてご高覧いただければ幸いである。
国立国会図書館(以下、同館)は、2023年3月28日に、視覚障害者等用に加工された資料の検索サービス「みなサーチ」のβ 版を公開した[1][2]。これは、同館の国立国会図書館サーチで提供されている障害者向け資料検索機能の代替といずれなるべく用意されたものだという[3][4]。
1970年に全改正された著作権法においては、北欧などの制度を参考に、第37条で点字図書館での点字複製にかんする権利制限が規定されていたが(従前の暗黙の慣習を権利として明文化する役割も果たした)[5]、2000年以降、障害者福祉のありかたの変容や、電子化への対応などによって見直しが行われ、権利制限の対象を広げてきた。2000年に聴覚障害者への対応がなされて以降、2009年改正では、点字図書館に限定されていたところから公共図書館へと障害者向けの複製の対象が拡大されたほか、媒体もデジタルや手話・字幕等への拡大がなされ、2019年の読書バリアフリー法を経て[6]、国や地方自治体の責務として障害者の読書環境整備が進められることとなった。
「みなサーチ」は、障害者向け資料を探す人々にとっての、操作容易性と情報可用性の両面のアクセシビリティを高めるための専用サービスである。国立国会図書館サーチの後継サービスであることからも窺われるように、国立国会図書館所蔵の資料に特化したものではなく、サピエ図書館[7]などの視覚障害者向け資料の検索サービス、音声読み上げ機能に対応した電子書籍等の横断検索を可能にするものである。国立国会図書館がデジタルデータを作成した資料についてはダウンロードすることも可能であるが、上記の著作権上の制約から、これらの資料によらねば読書ができないことを証明したうえでサービスに登録する必要がある。
検索は、書誌情報からの検索となり、デジタルコレクションの全文検索も利用可能である。ジャンル検索も用意され、主要な検索モードへのショートカットととして捉えることができる。個別のモードとして用意されているので、ここを起点に検索対象の調整をすることはほぼできない。
本題とは離れるが、第37条・第37条の2の障害者向け資料整備のための権利制限においては、著作権者への経済的補償を行わないことになっている。どのように情報保障が行われ、どのような負担がなされるべきかということにかんして、制定当初から是非が議論されているものの、いまのところその大筋は変わっていないといえる。十分な経済力を持たない哀れむべき障害者を助けるというモデルのままだということでもある(刑法第39条の理解にまつわる人権的問題と似ている)。ただし、制定当初において点字訳を出版社が主体的に行うことが想定されていなかったのにたいして、現在は、電子テキスト化・録音図書・手話対応などを著作権者が行うばあいは、権利制限が行われないことになっており、著作権のありかたとしては均衡を取ろうとしたものとなっている。おりしも、第169回芥川竜之介賞を受賞した市川沙央氏が受賞作や受賞後のコメントで読書行為の特権性について問い[8]、植村八潮氏らも学協会が障害者を不在のものとしている弊を説くが[9]、共生社会というものは、現にそこにあるものを認識し、理解することによってしか成り立たず、哀れみの上には成り立たないことをいまさらながらに再確認する。
前近代日本は、世界的には識字率が高かったほうに属するかもしれないが、文字体系の複雑性や学習機会の不平等により、けして識字が世間一般のものではなかった[10]。古典は世界市民の遺産であるというとき、それが障害者を排除して成り立つものであることはまま指摘されるが、それとは距離を置きながら受容は可能であるというとき、このようなサービスをつうじてどう提供するか考えることができなければならないだろう。伊藤鉄也氏が触読という手段で古写本の可能性を考えたのはそのひとつであろうが(なお[11]の留保を参照)、物性と記号性のかかわりの全体をどう考えていくかは、古典の時代からますます遠ざかる現代において、「吞気でいい」という問いかけにどう答えるか、あるいはなぜ答えなくていいか、という研究者の主体性の源泉となるはずである。
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さて、2015年4月より本誌に連載の機会を与えていただいてから8年の時日を経た。この間のデジタル日本学の展開は、おもにいわゆるデジタルアーカイブ分野において顕著であったといえよう。これには、国立国会図書館のデジタルコレクションの驚異の充実や、国文学研究資料館の国書データベースを中心とした書物分野のデジタル化が大きい。むろん、この基盤的分野の成長が、書誌学などの資料論的知見をどれくらい踏まえられているかは心配なしとしない。この点、佐々木孝浩・高木元両氏が『日本文学研究ジャーナル』第26号(古典ライブラリー、2023年6月)巻頭対談「いまなぜ書誌学か」で論じられるように、データと現実を接合するメタデータへの要求は高まるばかりである。それに実質として応えられているかどうか。
デジタルアーカイブ分野の成長に比して、資料の読解の進展はようやく拓けてきた感がある。国立国語研究所の日本語歴史コーパスのいちおうの完成を見たのを筆頭に挙げてよいと思うが、それ以外にも、TEI などの共通フォーマットによる符号化がひろく必要であることが理解されはじめていて、個々人の研究者の興味関心からというわけではなく、学術界としてデジタルデータに駆動されて研究を押し進めることができるようになりつつあるのではないかと感じる。10年前、手ずから処理系を用意してデジタル的研究を行っていたことのいくばくかは、昨今のツールチェインの活用でそれ以上のことが簡単に可能となった。展開の早さに恐れをなさないわけではないし、ポーラ・R・カーティス氏が北米について述べることは、日本においても違った形で問題となる[12]。
しかし、そのようなさまざまなデジタル日本学の展開を時評の形で記録するのはわが身に余るようになってきた。デジタル日本学にかぎったものではないが、本誌でもさまざまな展開がみられるようになっており、本連載をひとりで続ける必要性としてもじゃっかん薄らいできたところである。デジタル日本学への注視は今後も続けていきたいと思うし、本連載に続く試みがどこかで現れることを願うが、ひとまず今号をもって連載を終わりとしたい。
あらためてこのような長期の連載の機会を与えてくださり、怠惰な著者に叱咤激励を賜った人文情報学研究所の永崎研宣氏と、編集・校正に携わる皆様(うちお一人は、一度もお目にかかる機会のないまま幽冥境を異にされた近藤隼人氏)に深い謝意を申し上げる。支えてくれた家族、読者のみなさまもふくめ、ありがとうございました。