ISSN 2189-1621 / 2011年08月27日創刊
Roberto Rosselli Del Turco による本章[1]は、『Digital Scholarly Editing』実践編の第5章かつ最後の章にあたり、2005年頃から2016年頃までのデジタル形式の学術出版物の来し方を概観しながら、その普及状況と問題点を挙げ、Digital scholarly edition(以下 DSE)作成にあたって取り組むべきことを検討する論考となっている。
著者は10年程前にも、デジタル形式の学術出版物があったが、利用されることは予想以上に少なかったことを指摘し、そこからどのように状況が変わったのか、調査結果を踏まえて次のような見解を述べている。Ithaka S+R による調査では、米国と英国においては研究者が研究利用に際してデジタルツールを用いるが、成果発表では依然として印刷物を選択する傾向にあるという。また、中世研究分野と英語圏に限定されている DSE の普及を測る Dot Porter による大規模な調査と、著者による次のような項目による調査―公開メーリス等での一般的な議論、DSE の出版数、ハード・メトリクス(ある期間のヒット数や CD/DVD の実売数に関するデータを公開しているサイト)ーによると、デジタル資源を利用するが、引用する際には利用しない傾向があること、DSE は年々増加傾向にあること、ページヒット数を提供しているサイトは1つだけであったことがわかった。つまり、デジタルツールの利用が着実に増加しているというデータと「DSE の利用に関するより具体的な情報を組み合わせると、研究目的でのこうした資源の受容と利用は期待よりもはるかに下回っていると認識しなければいけない」のである。
こうした状況になっている原因はどこにあるのだろうか。著者は「制作、消費、認識」の観点から問題点を分析する。まず、制作に関する問題について。DSE 制作に際して、使いやすい制作ツールが不足している状態であり、また「標準的な方法」が存在しないため、「最初からいくつかの選択肢を評価するか、技術サポートの担当者や共同研究者の意見に頼らざるを得ない」。たとえ「優れた使いやすい編集版制作ソフトウェアが利用でき」たとしても、DSE 作成には印刷版と比べてより多くのリソースが必要となる。媒体に関しても、CD/DVD ベースの DSE の場合、ソフトウェアの陳腐化が早く、web ベースのものだと、最新の OS やブラウザで使用すると視覚化ソフトウェアに不適合が起きる可能性があり、写本の寿命は100年単位であったのに対し、「デジタルファクシミリ/編集版の寿命が4–5年未満であることは気になるポイントである」。
次に消費についてであるが、克服すべき課題として、筆者は「ユーザーインターフェースの高度な断片化と、その結果生じる各DSEの使いにくさ」を挙げているが、「多くのウェブデザイナーや CD/DVD のスタンドアローン DSE のプログラマーが、自分の作品を必要以上に使いにくくしているような事実がなければ」、問題ないとしている。
最後に認識について。DSE の悩みとして「デジタルに疎い」同僚への対応があり、特に DSE が何であるかを正しく理解されていないケースを問題点として挙げている。
こうした課題がある中で、研究者が DSE に取り組むためにはどういったことに気を付けて何をすべきなのであろうか。まず、DSE を作成するために利用できるツールは、XML エディタのような制作ツール、そして視覚化ツールがあり、この2つの種類のツールがあるということを頭に入れておく必要がある。次に長期的な持続可能性、つまり保存の問題を考える際には、編集版データと視覚化メカニズムを切り離すことが重要であり、エディタが標準的なデータ形式を使用すれば、「編集版の中心部分が非常に長い間、読みやすく、使用可能であることが出来る」。一方、「視覚化のフレームワークは、新しい技術が利用できるようになった結果、完全に置き換えた方が良いという時点まで、定期的なメンテナンスが必要になるかもしれない」。アクセシビリティに関しては、適切なインフラを備える大学や他の研究機関等の「信頼できる第三者」が必要である。そして、ユーザビリティに関しては、着実に進むだろうと考えられるが、「実験的に議論され、展開されている最も高度な機能(共有アノテーション、ソーシャル編集版、リンクドオープンデータなど)の実装」が課題である。理論的な問題においてもやるべきことはあり、DSE を知らない研究者にも向けた DSE の定義を練ることが必要であり、「DSE 概念の利点と(現在の)欠点を詳しく説明し、落とし穴や従来の学術編集版の作成方法との違いを隠すことなく、その可能性を強調すべきである」。最後に、重要なポイントは評価に関することである。「NIMES (Networked Infrastructure for Nineteenth-Century Electronic Scholarship) や MESA (The Medieval Electronic Scholarly Alliance) など、学術デジタル資源の集約を目的とし、学術界の DSE に対する認識を向上させるための査読機関として機能する旗振り役は既に存在する」。「web ベースの DSE のホスティングとメンテナンスに機関レベルでの厳密な選別を加えることで、DSE に対する認識の変化と受け入れ拡大のプロセスを強化することが出来るだろう」。
結論として、著者は「DSE を成功させ、同僚たちに受け入れられるようにしたいのであれば、我々は「先駆者」同士だけでなく、こうした手法を採用したいと考える多くの研究者とも、その方法論を議論し、改善し続けていく」ことの重要性を強調している。『Digital Scholarly Editing』に収録されている論考が、「基本的なテーマを中心に置いているのは偶然ではない」のであり、「本書に寄稿した研究者が独立して作業し、深く相互に関連するトピックに触れ、類似の結論に達したことは、進むべき方向について一般的な合意が存在することを意味し、これは拡大し続けるデジタル文献学の分野における粘り強い努力を続けるための励みとなる」としている。
以上、2016年に発表された論考について、原文の表現を借りながら要約と紹介を行った。『Digital Scholarly Editing』のまとめの章も兼ねていることから、DSE が直面している困難やその解決について現実に即した形で議論されている。特に DSE の陳腐化をどのように防ぐのかについては、論考中にもあるように、DSE のデータとその視覚化部分を分離することが挙げられており、この考え方は2025年現在も有効である。こうしたデータが DSE の基盤になるならば、その基盤となるデータをどのように作り、かつ保持するのかについての議論は今も重要な問題となる。データ作成に関して言えば、人文学資料に特化したガイドラインである TEI を使用することは変わらず有効であるが、日本語資料に対する適用事例はまだまだ多くの蓄積が必要とされる。様々な資料を用いて実際に作成してみることで、適用した際の利点や問題点を洗い出しながら、実際のデータ作成に積極的に活かしていく必要があり、こうした作業の積み重ねが、寿命の長いデジタルデータ公開に求められているのではないだろうか。
https://sites.google.com/view/dhws20250411/
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九州大学では大学院人文情報連係学府の令和7年4月開設に向けて、学際シンポジウムシリーズ「接続する人文学」を開催している。これまでに、7月に「テクストを計算する」[1]と題して大規模デジタルデータを読む方法論とその研究に関して、8月に「地理・歴史データを作る・使う」[2]と題して主に歴史学へのデジタル技術の利用とその研究に関するシンポジウムを開催した。そして、シリーズ第三段として、令和6年10月31日に「デジタル技術は人を幸せにするか?」[3]と題し、思想史と人文情報学に関するシンポジウムを開催した。
イスラーム神秘主義とデジタル技術の融合に関する事例が紹介された。イスラーム神秘主義思想には、現代の自然科学的世界観とは相容れない世界の認識がある。例えば、すでに亡くなった聖者が夢に登場しその聖者と師弟関係を結ぶことや、死後も最後の審判のときまで墓の中から生者の問いに答えることなどである。これらは自然科学的には錯覚や幻覚として説明されるが、神秘主義的には実際に時空が超越可能であったり、生死の境の曖昧さを肯定したりする形で 説明される。このような元来は聖者にしか不可能であったことが、デジタル技術を利用することで実現可能になるのではないか。例えば、過去の聖者の言行を基にチャット bot を作成し 聖者を「復活」させることで死んだ聖者とも交流が可能になり、教えを受けることも可能になるかもしれない。また、マインドアップロード技術が開発されれば、「死んだ後」、すなわち肉体が失われた後も生前の意識を保つことが現実に可能になるかもしれない。これらの技術利用は人を「死から解放する」という喜ばしい面がある一方で、死によっては解放されない終わりなき労働と責任の発生は幸福には結びつかないのではないかという論点が提示された。最後に、デジタル技術の他の利用の一例として、メタバース上に聖地メッカの3Dモデルを作成することで、巡礼者による混雑解消を図る事例が紹介された。
仏教の立場からのデジタル社会に対する倫理的な懸念を示す3つの考え方が紹介された。1つ目は、監視資本主義である。これは、我々のあらゆる個人情報を収集・分析し消費者の行動を予測・変容させることで利益を上げる経済秩序を指す。例えば、動画サイトでは、視聴者の好みを学習した広告やおすすめ動画の表示によって、特定商品への欲求を喚起したり、視聴を誘導したりすることで、あるいは、分析したデータを他企業へ売却したりすることで収益があげられている。このビジネスモデルには、消費者の行動をコントロールするという点が個人の自律性を損ねているのではないか、という批判がある。2つ目は、ネットカルマである。情報技術の発展により人々の行動が監視・記録され、その情報がインターネット上に蓄積され、それが何らかの形で我々自身にフィードバックされる社会が到来している。このシステムと仏教のカルマとの類似性が指摘される。ネットカルマの社会で生き延びるための仏教的価値観からの提案として、「建前で生きる」、「視覚を制限し、呼吸を整える」、「自身の価値観を築く」ことが提案された。3つ目は慈悲アルゴリズムである。人々の行動をコントロールすることは仏教的な「害」に当たるため、資本主義的な利潤追求と個人の権利の尊重のバランスを取るには慈悲にもとづいたアルゴリズムが必要だと論じられる。具体的には、個々人の幸福を安全に追求することを可能にするためのメタ的な規範としてのプライバシーの保護が主張される。最後に仏教の観点から、「仏教でいう「貪欲」を基礎として資本主義を是認してもよいのか」、「アルゴリズムの開発者という外部からの慈悲を期待しそれを基礎とするのは危険ではないのか」といった論点が提示された。
2024年度もいよいよ終わり、2025年度が明日から始まりますね。2024年度にもいろいろなことがありましたが、注目される動向の一つとして、文部科学省の委託事業として「人文学・社会科学の DX 化に向けた研究開発推進事業」という、文科省が積極的に支援する形での DH の推進が始まりました。政策支援による DH の推進というのは欧米では2008年くらいから開始されていたようですが、それがいよいよ日本にも波及してきたと言えるでしょうか。このなかで、筆者が関わる形で、12月下旬からはテキストデータ構造化に関する事業が開始されました。主に東アジアのテキストを対象として、共有しやすく効果的に活用可能なテキストデータの作り方を TEI ガイドラインに準拠しつつ作成する手法を開発・共有することを目指し、モデルとそのガイドラインを策定し、普及にもつとめるという事業です。2024年度は3ヶ月ほどしか活動期間がありませんでしたが、その間に、それまでの活動を踏まえて国内外の各地で入門セミナーやイベントを開催してきました。2025年度も引き続き、各地でセミナーを開催する予定となっておりますが、人文学に関わるテキストデータの構築に関することにご関心をお持ちの人が3人以上集まってくださるならセミナー開催を検討いたしますので、ぜひお声がけください。
2025年度も DH に関連するいくつかの大きなプロジェクトや新しいカリキュラム等が始まり、様々なイベントが開催され、色々なデータの公開が行われることになりそうです。当メールマガジンでもそういった動向を可能な限りフォローして、皆様にお伝えしていきたいと思っております。とはいえ、これまでも情報の取りこぼしは多く、今後 DH が拡大していくなかで取りこぼしは一層増えていってしまうことが想定されます。ですので、そういったことに関連する情報をご提供いただけますと大変ありがたく存じます。今後とも何卒よろしくお願いいたします。