ISSN 2189-1621 / 2011年08月27日創刊
2023年6月15日、沖縄県那覇市にて、筆者が共同研究員として携わっている国立歴史民俗博物館の機関拠点型基幹研究プロジェクト「日本歴史文化知の構築と歴史文化オープンサイエンス研究」の2023年度第1回人文情報学ユニット研究会が開催された。さて、なぜ本稿がこの研究会について言及するかと言うと、ここ数年イギリスを中心に展開されている、コミュニティによって生成されたデジタル・コンテンツ CGDC(Community-Generated Digital Content)の議論と軌を一にする取り組みが見られたためである。この CGDC の議論は、必ずしもデジタル・ヒストリーだけの問題というわけではないが、本稿では特にデジタル・パブリック・ヒストリーの論点と絡めて考察してみたい。
実は CGDC について筆者が知ったのはごく最近のことである。2023年7月上旬に開催される予定のオクスフォード大学の DH サマースクールの開会基調講演が[1]、グラスゴー大学の Lorna Hughes による CGDC の取り組みの紹介であるということを知ったのがきっかけであった。そもそも CGDC とは、地域のコミュニティや個人に由来し、またそこで所有されるデジタル媒体の史資料的価値を有するものである。これらは必ずしも、「公式な」史料の一部を成すとは限らないが、その地域の過去についての理解を増幅させてくれるものであるという[2]。
この「公式な」という形容詞は、史料のデジタル化を考える上で重要な論点になる。本連載でも何度か言及しているように、たとえば国や政府主導の大規模なデジタル化事業では、ユーザー数が多く見込まれる史料のデジタル化を優先したり、史料の選定に資金提供源の意向が反映されたり、記憶にまつわる政治力学が働いたりする可能性がある[3]。このように、デジタル化された史料を閲覧するという体験の背景にひそむ様々な要因を批判的に検討することこそ、ルクセンブルク大学の Ranke.2が中心になって議論を進めているデジタル史料批判の肝である[4]。
さておき、CGDC の意義は、前回の連載でも言及したフィンランドにおけるデジタル・ヒストリーの動向の中で、草の根レベルの史料のデジタル化がもたらす意義と重なる。すなわち、大規模なデジタル化事業による大きな物語の再生産へのアンチテーゼを掲げ、周縁化されてしまった地域や個々人の小さな声をすくいあげることにあると言えよう。
沖縄県南城市では、まさにこのような CGDC の取り組みが行われている。詳しい実践内容については、『デジタルアーカイブ学会誌』所収の論考をご覧いただくとして[5]、南城市が運営する「なんじょうデジタルアーカイブ」では[6]、区や自治体で実施された「古写真トークイベント」で地元民から提供してもらった写真をデジタル化し、その写真にまつわる語りを引き出して解題やメタデータを充実させているという。一部の写真は市史編纂の刊行物に掲載されることもあるとのことだが、デジタルアーカイブの利点としては、映像や音声も含めたマルチメディア媒体の史資料を、一元的に管理できるところだろう。
さて、南城市の取り組みの意義は、上述のような小さな声のすくいあげにもあるだろうが、パブリック・ヒストリーの文脈における「共有された権限 shared authority」の観点からも説明できると思われる。すなわち、職業歴史家をはじめとする「専門家」のみが歴史を語り、市民ら「非専門家」がそれを聞くという非対称な構造は相対化され、SNS などのウェブ上の言説空間の発展とあいまって、かつて歴史の聞き手だった者は語り手にもなり得るようになった。つまり、いまや歴史を語る権限が共有されているのである[7]。
デジタル・パブリック・ヒストリーの文脈では、このような「共有された権限」の時代において、歴史修正主義への批判的対応が、「専門家」たるデジタル・パブリック・ヒストリアンの役割として重要視されているもののひとつであるが、南城市の取り組みにおける専門家の役割は、必ずしもそれだけにとどまらない。たとえば、写真の被写体の肖像権をはじめとする権利関係の整理、あるいはメタデータの設計など、デジタルアーカイブ構築の要件をさまざまな段階において、実践者と共に議論することであるようだ。
冒頭で述べた「日本歴史文化知の構築と歴史文化オープンサイエンス研究」の2023年度第1回人文情報学ユニット研究会では、全体として写真資料における権利関係が中心的な論点となったように思う。そこで本稿では、参考として、イギリスにおける CGDC の代表例とされている People’s Collection Wales から、権利関係への配慮について紹介しておきたい[8]。以下の要素を有しているコンテンツをアップロードすることはできない。
とある。全体としては通り一遍の内容のように思われるが、コンテンツが提供される時点である程度のスクリーニングを行おうとする意図が窺えよう。
今回は、昨今議論が進められている CGDC の概念を援用しながら、沖縄県南城市の写真資料収集の取り組みを中心にその意義を考察した。地域コミュニティや個人によって提供されたコンテンツの権利関係および事実関係の精査、資料のデジタル化、メタデータの設計と付与、デジタルアーカイブへの掲載、各種媒体における成果発信、発信先からフィードバックされた内容の検討とそれに基づくデジタル・コンテンツの改良、などなど、想定される実務内容をざっと眺めてみても、過去を未来へと継承するために職業歴史家が貢献し得ることは多いように思える。いや、そう思いたいのかもしれない。「専門的な歴史家」という権威にすがる態度を、保苅実は良しとしないだろう[9]。双方向的な対話を軸とするウェブの言説空間における「歴史」のやり取り、そこにおける「役割」の揺らぎに身じろぎつつも、自分には何ができるのかを自問しながら他者と共に進んでいくしかないのだろう。
仏教学は世界的に広く研究されており各地に研究拠点がありそれぞれに様々なデジタル研究プロジェクトを展開しています。本連載では、そのようななかでも、実際に研究や教育に役立てられるツールに焦点をあて、それをどのように役立てているか、若手を含む様々な立場の研究者に現場から報告していただきます。仏教学には縁が薄い読者の皆様におかれましても、デジタルツールの多様性やその有用性の在り方といった観点からご高覧いただけますと幸いです。
今回は、天台宗典編纂所(http://www.biwa.ne.jp/~namu007/index.html)から刊行されている電子データのシリーズ『天台電子佛典』を取り上げる。本シリーズは CD-ROM で刊行されているため、これまでの連載で紹介してきたようなインターネット上で利用可能なツールとは異なるが、仏教学や仏教史において中国天台や日本天台に関連する研究をする際には非常に有益なツールである。
『天台電子佛典』(以下、『天台 CD』)は、天台宗典の編纂機関である天台宗典編纂所から刊行されている電子データ(CD-ROM に収録)で、収録されているデータは、中国天台、日本天台に関連する文献データである。ここでいう中国天台とは、中国隋代の僧智顗(天台大師、538–597)を中心に展開した思想のことであり、日本天台とは、智顗の教学を受容した平安初期の僧最澄(伝教大師、766/767–822)の思想、及び最澄以降の比叡山で展開した思想のことである。『天台 CD』のシリーズは、これまでに『天台電子佛典 CD 1』『天台電子佛典 CD 2』『天台電子佛典 CD 3』『天台電子佛典 CD 4』(以下、各々『天台 CD 1』『天台 CD 2』『天台 CD 3』『天台 CD 4』)が刊行され、現在は『天台電子佛典 5』『天台電子佛典 6』の刊行に向けた作業が進められている。各シリーズの収録内容については後述する。
『天台 CD』の特徴は、中国天台や日本天台の文献を横断的に検索できる点にある。例えば、日本天台の研究者が1つの用語について最澄や最澄以降の人物の用例を調べようとした場合、『大正新脩大蔵経』(以下、『大正蔵』)、『伝教大師全集』、『日本大蔵経』、『大日本仏教全書』などを参照する必要がある。『天台 CD』が刊行される前は、それぞれの書籍を手に取り、逐一用例を探さなければならなかったが、『天台 CD』を使用することで、上記の書籍を横断的に検索することが可能である。また、中国天台については、すでに CBETA Online(https://cbetaonline.dila.edu.tw/zh/)があるため『大正蔵』と『卍続蔵経』の横断検索が可能ではあるが、中国天台の関連文献に限って検索したい場合は『天台 CD』を用いることで対象の文献を限定して検索することができる。
ちなみに、『天台 CD』でデータを横断的に検索する場合は、有限会社サイトー企画が提供する『秀丸エディタ』(https://hide.maruo.co.jp/software/hidemaru.html)の使用が推奨されている(『天台 CD』には『秀丸エディタ』で利用可能な検索用マクロが収録されている)。
現在、『天台 CD』の内、『天台 CD 1』に収録されている内容は、後に刊行された『天台 CD 2』に包括されているため、以下では『天台 CD 2』以降の収録内容を紹介する。
『天台 CD 2』は、『大正蔵』と『卍続蔵経』から中国の陳・隋・唐にかけての天台文献81書が収録されている。具体的には、中国天台の中心人物である智顗の著作、その師である南岳慧思(515–577)の著作、智顗の弟子である章安灌頂(561–632)の著作、中国天台を中興した唐代の荊渓湛然(711–782)の著作である。また、『天台 CD 2』には、智顗が思想を確立する上で重視した法華三部経(『妙法蓮華経』『無量義経』『観普賢菩薩行法経』)や『涅槃経』『維摩経』『金光明経』などの諸経典も収録されている。
『天台 CD 3』は、『大正蔵』『日本大蔵経』『大日本仏教全書』『伝教大師全集』などから日本天台に関連する646書が収録されている。具体的には、聖徳太子、鑑真(688–763)、最澄をはじめ、後の天台の学匠である円仁(慈覚大師、794–864)、円珍(智証大師、814–891)から平安中期の源信(942–1017)あたりの著作までを収録している。
『天台 CD 3』で特に注目すべきは、平安時代以降の日本仏教研究において重要な書目が収録されている点である。例えば、密教に注目すれば、『天台 CD 3』には『大日経義釈』(『続天台宗全書』所収本)が収録されている。『大日経義釈』は密教において中心的な経典である『大日経(大毘盧遮那成仏神変加持経)』の註釈書であり、同じく註釈書である『大日経疏』との内容の比較が、古来、密教学の重要な論点となっている。『大日経疏』は『大正蔵』に収録されているため、SAT 大正新脩大藏經テキストデータベース(https://21dzk.l.u-tokyo.ac.jp/SAT/index.html)と『天台 CD 3』所収のデータを用いることで比較研究が容易になる。また、日本における浄土思想に注目すれば、法然(1133–1212)や親鸞(1173–1263)の思想に影響を与えた平安中期の源信の著作(『大日本仏教全書』『恵心僧都全集』に収録される文献のうち『大正蔵』所収文献以外)も収録されているため、浄土思想研究にも有用である。
『天台 CD 4』は、『天台 CD 3』の続編として『大正蔵』の図像部から『阿娑縛抄』と『門葉記』、及び平安院政期から鎌倉初期の延暦寺僧証真(1131頃–1220頃)撰『三大部私記』などが収録されている。『阿娑縛抄』は鎌倉中期に成立した天台密教の事相(密教の修法や口伝、図像)の集成であり、『門葉記』は平安院政期から南北朝期までの青蓮院門跡の諸記録の集成である。両書は『大正蔵』の図像部で計2500ページ以上あり、SAT 大正新脩大藏經図像部データベース(SAT 大正蔵図像 DB)では文字情報が検索できないが、『天台 CD 4』では画像以外の文字情報が検索できるため非常に有用である。
最後に『天台電子佛典 5』は、今年度中の刊行を目標に作業が進められている状況であり、同データ集には『天台宗全書』や、日本の『天台座主記』『華頂要略』『天台霞標』などの史伝書等が収録される予定である。また、『天台電子仏典 5』の刊行後は、中世・近世の日本天台関連を中心とした『天台電子佛典 6』の制作が予定されている。
以上、『天台 CD』の特徴や収録内容を紹介した。『天台 CD』は中国天台や日本天台に関連する研究をする際には非常に有益なツールである。しかし、データが CD-ROM(『天台電子佛典 5』以降は DVD-ROM で刊行予定)で提供されているため、データ化の成果が広く認識、活用されているとは言い難い現状もある。もちろん、文献のデータ化には膨大な時間と労力がかけられているため、それに見合う提供方法は必要であるが、より広く、多くの研究に資するデータとなるような在り方を検討していくことも今後の『天台 CD』の課題となろう。
https://music-encoding.org/update/2022/11/13/mec2023-update.html
https://www.jadh.org/jadh2023cfp
先日は、日本学術会議講堂で開催された、学術フォーラム「オープンサイエンス、データ駆動型研究が変える科学と社会-G7コミュニケを読み解く」というイベントに参加してきました。2日間にわたる日本のオープンサイエンス総覧といった感じの充実したイベントで、人文学からも人間文化研究機構の機構長の木部暢子先生が登壇しておられました。なかでも、人文学データの多様性と「伸びしろ」の話が印象深く、今後の可能性に着目することの重要さを改めて実感しました。デジタル化が進んでいる分野もそうでない分野もありますが、それぞれに色々な課題があり、できるところから着実に進めていくことで、学問そのものをより豊かにしていくことができればよいのだろうと思ったところでした。(永崎研宣)