ISSN 2189-1621 / 2011年08月27日創刊
13~15世紀のアラブ地域においては、大部な年代記や人名録が数多く記されている。しかしこのような史料的な豊かさが、この時期の人的ネットワークをめぐる研究において、俯瞰的評価を困難なものにし、筆者を含む多くの研究者を個別具体的な考究に向かわせてもきた。
前近代期のアラブ・イスラーム史研究の基礎史料となるのは、ウラマー(イスラーム的知識人)によって書かれた年代記、人名録などの叙述史料である。現在、その多くがデジタルテキスト化され、アラビア語テキスト・コーパスの開発プロジェクトである KITAB (アーガー・ハーン大学)の OpenITI(Open Islamicate Texts Initiative)に収録されている。この OpenITI は西暦600年頃から1980年代に至る、約9,000ものアラビア語文献を機械可読な形式で収録した巨大コーパスであり、長らく西洋史の後塵を拝していたイスラーム史のデジタル・ヒューマニティーズ分野における近年の盛り上がりに大きく貢献している[1]。今後史料から得られる膨大なデータを効率的に分析することが可能になれば、これまで積み重ねられてきたケーススタディを総体的な議論へとつなげていくこともできるだろう。
では、デジタルテキストから抽出した、文字通り桁違いな量の情報を整理するには、どのような方法があるだろうか。データ化には、たとえばセマンティックウェブの基幹技術である RDF(Resource Description Framework)を応用することができる。RDF においては、情報は「主語」・「述語」・「目的語」という3つの要素(トリプル)を用いて表現する。仮にイブン・ムズヒルという名の行政官について記述する場合、主語が「イブン・ムズヒル」、目的語が「行政官」になり、それらの間には「地位」を示す述語(プロパティ)が入る。このシンプルかつ柔軟性の高いトリプルで無限に関連情報をつなげていくことができるのである。
イスラーム史研究において、ここでまず大きな問題となるのは、同一のエンティティ(事物)に対する文献上の表記揺れである。中東諸地域においては、同姓同名が極めて多く、個人の識別には史料精読のプロセスが欠かせない。また、研究文献でヨーロッパ諸語にはない発音をアルファベットに転写する方法も統一的ではない。したがって、史料のデジタルテキスト化の進展が量的分析における重要なプロセスであることは間違いないが、単純なテキスト検索だけでは、欲しい情報にたどり着いているのか否か、即座に判別できないのだ。
この問題に対し、RDF の記法において、主語と述語をウェブ上のリソース(URI)で示すというルールは一つの解決法を提示しているように思う。自然言語では同名のエンティティであっても、データ上、混同される可能性が排除されるからだ。
もちろん、史料から得られる情報のデータ化や分析に向けた選択肢は RDF だけではない。2023年末、アラビア語文献研究におけるデジタル・ヒューマニティーズの第一人者、マキシム・ロマノフ氏(ハンブルク大学)を講師とし、人名録の分析手法を中心に、ハンズオン形式のワークショップが開催された(12月16日~17日)[2]。そこでは、マークアップ言語 TEI/XML よりもシンプルな OpenITI mARkdown によるデジタルテキストの構造化(タグ付け)[3]、ネットワークの可視化ツールとして Obsidian と Gephi が提案された。
だがこれらを用いて抽出したデータの分析にあたっては、ある程度プログラミング言語にも通じている必要がある。RDF が優位であると思われたのは、同名の事物の混同や、言語に由来する表記の揺れを回避しながら、関連情報を自在に付加できるという点に加え、クエリ(問い合わせ)言語 SPARQL によって、変数で指定した情報の抽出や、オントロジー(概念間の関係)に基づく推論ができる点である。
他方、RDF を人文社会系の学問、特に歴史研究において応用する上で難しいと感じたのは、曖昧な時間軸や空間情報を、依拠した文字資料と突き合わせてどのように表現するかという点であった[4]。第一に、RDF の推論はオントロジーに基づいて行われる。したがって、概念(クラス)と個々の事物(インスタンス)をどのように定義するか、データ化の前段階として明確にしなければならない。
筆者は、15世紀のアラブ地域における社会上層部の関係を知識グラフとして表現するにあたり、今年度より小川潤氏(人文学オープンデータ共同利用センター)とともに RDF のイスラーム史・地域研究への「ローカライズ」の検討を始めた。そしてRDFの技術習得を目的とした実践的なセミナーをシリーズとして企画・開催した(イスラーム信頼学「データ駆動型研究に向けた RDF ハンズオン・セミナー」、2023年12月2日、23日、2024年1月20日)[5]。ゴールに SPARQL による検索・推論を掲げた本セミナーは、RDF の概論にはじまり、実践例の紹介、参加者による事例提供を経て、Turtle 形式でのデータ化、オントロジーを扱ってきた。今後はデータのブラッシュアップ、オントロジー・ファイルの作成を予定している。
参加者の多くは研究データの構造化・機械可読化に関心のあるイスラーム地域・歴史研究者であり、このセミナーを通じて次のような意見が寄せられた。まずは、参加動機として自身の研究データの全体像を描きたい、データベースとしての活用を目指したいというものである。テクニカルな質問としては、URI の管理方法、プロパティの語彙の選定のほか、データの正規化についても意識が向けられた。
セミナーのなかでとりわけ困難な点として挙げられたのは、「何をクラス、インスタンスとして、またどう定義するか」というデータの設計図、すなわちオントロジーであった。デジタルテキストを用いたディスタントリーディングは、従来のクロースリーディングとは真逆の方向性のようにも思われるが、オントロジーを考えることは、どのような史料をどう扱うかという、依拠する史料の性質を見極める作業、そして得られた情報をどのように理解するかという解釈とほぼ同義であり、従来的な史料精読と変わらない[6]。むしろ、これまで経験に基づきぼんやりと描いてきた歴史像や「肌感覚」を、機械が分かるよう、明確に定義する必要性を突き付けられることで、クロースリーディングに立ち返ることの重要性を印象づける結果となった。
「主語」・「述語」・「目的語」のトリプルを用いることで、あらゆることが表現できる。だが、私たちが表現したいこの世界はこんなにも複雑怪奇だ。RDF の最大の利点である「シンプルさ」を手放すことなく、歴史研究の面白さでもある矛盾や重層性を表現できるような、汎用性の高い活用方法を考えていきたい。
2024年3月4日に、人文学オープンデータ共同利用センター(以下 CODH)が開催するセミナーイベント「Digital History: Concepts and Practices」にて[1]、ルクセンブルク大学C2DH(Center for Contemporary and Digital History)のセンター長 Andreas Fickers が ‘Digital Hermeneutics: A Conceptual Framework for Doing History in the Digital Age’ と題する基調講演を行う予定である。同イベントでは、筆者のほかに、CODH の小川潤と東京大学史料編纂所の中村覚も、事例研究を発表する予定である。ご関心の向きはぜひご参加いただきたい。
本稿は、Fickers による基調講演をより良く理解するための事前学習材料を提供することを目指したい。基調講演のテーマになっているデジタル解釈学に関しては、筆者による本連載で2回ほど簡単に紹介しているので[2]、そちらもご参照いただきたい。これら2本のエッセイと比べて、本稿では、デジタル解釈学の枠組みの背景にある学界動向の認識を解説するほか、Fickers の経歴と照らし合わせて深い関係にあると考えられる、デジタル解釈学の中でも特に Fickers にとっての重要な要素を深堀りする。
本セクションの記述が主に依拠するのは、Fickers らによる2022年の論考「デジタル・ヒストリーと解釈学:理論と実践のはざまで」である[3]。同論考では、デジタル解釈学のほかに Trading Zone という概念を実践する教育の場として、C2DH の博士課程カリキュラムが設計されていることを論じている。この教育設計については、小川潤による本誌の論考に詳しいので、そちらをご覧いただくとして[4]、ここではもっぱらデジタル解釈学のセクション ‘Digital hermeneutics as critical framework and research agenda’(pp. 6–11) に焦点を絞ることとしよう。
昨今、デジタル・ヒストリーのプロジェクトを実施するにあたって、およそすべての段階において多少なりともデジタルインフラやツールの介入を受けることは疑いようもない。しかしながら、すべての歴史家がこのようにデジタルな営みを駆使しているわけではなく、大多数の歴史家の研究手法はアナログな営みや伝統と強く結びついている。この学界の現状を認識した上で、デジタル解釈学が目指すのは、「アナログ」と「デジタル」の両者の間に横たわる方法論的・認識論的な緊張関係を、あくまで具体的に評価するための思考様式を提案することである。そのために Fickers がたびたび強調するのは、Thinkering という概念である。これは Thinking(思考すること)と Tinkering(素材や道具、機械をいじくり回すこと)を組み合わせた造語であり、歴史研究に影響を及ぼし得るさまざまなデジタル技術が、実際のところどのように具体的に作用するのかを手を動かして確認する営みのことを指す。特に重要な研究の局面として想定されているのは、次の5つである。
これら5つの局面における批判的考察は、順を追って整然と実施すれば良いというほど単純ではなく、実際の研究では流動的で相互に関係していることがほとんどである。そうだとしても、「アナログ」と「デジタル」という二項対立的な修飾語によって、曖昧かつ乱暴に分断してしまっている歴史研究の営みに横たわる溝を、体系的・具体的に架橋しようとする意義を持つものとしてデジタル解釈学は定義されている。
このようなデジタル解釈学を提唱する中心人物である Fickers は、そもそもどのような研究者なのだろうか。彼の経歴や関心の履歴をたどると、上記のデジタル解釈学が重視する局面の中でも特に重要だと考えているのではないかと思われるものが見えてくる。Fickers の個人史については、彼自身による ORCID ページの記述に基づいている[5]。
ベルギーのドイツ語圏出身のFickersは、歴史・哲学・社会学の修士号をアーヘン工科大学で修め、ミュンヘン博物館での実習を経て科学史に関心を抱き、最終的に2002年にヨーロッパにおけるカラーテレビの歴史に関する論文で、同大学の博士号を取得した。
アーヘン工科大学での博士論文を最高位の成績で取得した後、オランダのユトレヒト大学のメディア&コミュニケーション学部でテレビ史の助教の職に就いた。ここで、技術史の知識を豊かにし、メディアとコミュニケーションの理論と歴史に深く入り込み、ヨーロッパのテレビの文化史の新しいコースを開発することで、テレビの出現に関する比較研究を行った。このプロジェクトは、ヨーロッパテレビ史ネットワーク(European Television History Network)の創設に向けた知的基盤を築き、数年後にはヨーロッパテレビ史の初のオンラインジャーナルの基盤を整えることになった。
2007年にマーストリヒト大学に移り、比較メディア史の准教授として働きながら、検討の枠組みが単一のメディアにとどまっていたメディア史の伝統を打破し、相互メディアの視点を促進することを目指して、他のメディア技術の歴史(特にラジオやアマチュア映画)の歴史に積極的に取り組んだ。
そして2013年に、ルクセンブルク大学に移り、それ以来、デジタル的転回が歴史の実践に与える認識論的および方法論的な課題について考察し続けている。デジタル解釈学を軸に、歴史教育と研究全体におけるデジタルリテラシーを促進する活動に焦点を当てている。同時に、個人的な研究対象として、実験的なメディア考古学の分野にも関心を持っている。
Fickersの野望のひとつは、オンラインによるストーリーテリングの新たな型を実験的に提唱することである。すなわち、ヴァーチャル展示・ビデオエッセイ・ポッドキャスト・研究ブログ執筆・研究プロジェクトのウェブサイト、そしてトランスメディアによる歴史叙述のための革新的なプラットフォームの開発やデジタル史料批判のためのチュートリアルサイト(Ranke.2のこと[6])は、デジタル学術研究やオープンサイエンスの将来像にとって不可欠なものであると考えている。この野望を叶えるための重要な取り組みこそ、Journal of Digital History 誌の編集長としての仕事なのである。
さて、このような Fickers の個人史から見えてくるのは、情報伝達媒体としてのメディアデバイスに関する専門性である。特に、マーストリヒト大学着任以降の、単一メディアからマルチメディアへの分析視角の拡張は印象的である。というのも、前セクションで述べたデジタル解釈学の5つ目の叙述局面の中で、トランスメディアによるストーリーテリングを批判的に検討するためのリテラシーの必要性が説かれているためである。音声・映像・2D・3D・XR、さまざまな情報伝達媒体には、それぞれの長短がある。メディアデバイスそれぞれの個性を比較し、伝える情報の内容や構造にうまく合致するデバイスを選択してきた人類の現代史に精通する Fickers ならではの視点が、デジタル解釈学の定義にも色濃く反映されているように思われる。
実は2023年の7月、筆者は日本人のデジタル・ヒューマニティーズ研究者数人とともに、Fickers の C2DH を訪問させていただいた。そこで彼の個人的な研究関心として言及されているメディア考古学に関する、年代物のデバイスを見せていただいた。さまざまなデバイスがどのように動作し、情報を受け取る人間にどのような感情を想起させるのか、同僚と機械をいじくり回しながら検討するのだそうだ。他でもない Fickers こそ、Thinkering の実践者なのだと思い知らされたものである。
今回は、3月4日に行われる CODH セミナーでの Fickers の基調講演に向けた事前学習材料の提供を試みた。講演の中で彼の個人史に深く入り込む時間はないだろうから、少しでもデジタル解釈学の背景理解に資することができれば幸いである。