ISSN 2189-1621 / 2011年08月27日創刊
人文情報学という研究手法が今ほど広く認知されていなかった頃、情報学的手法は従来の文献研究の手法にとって、どちらかといえばアンチに捉えられていたことが多かったのではないかと思う。様々な索引を用いつつ、数々の原典を同時に広げ、文字通り本の山に埋もれながら文献研究に取り組んできたのは、私共インド学だけでなく、多くの文献学の分野に共通する風景だった。数多くの文献がデジタル化され検索システム等の装備も進み、本の山は、コンピューターの画面上で素早く目当ての文献の該当箇所を見つけ、いくつもの文献記述をすっきりと並べて考察できる、そんな日常に置き換わった。その恩恵に蒙らない研究者はおらず、研究成果が飛躍的に促進されたことももはや疑いようもない。しかし情報学的手法が開く文献研究の発展形はまだまだ先にあり、従来の研究手法と情報学的手法の真の融合によってもっと豊かな文献研究の在り方が実現されていくと考えている。もちろん個々には両方の手法を、手法の断絶を感じることなく駆使している研究者もいると思うが、少なくともインド学の分野では研究成果の融合はまだまだだと感じる。それは例えば、当分野における最大の国際学会である国際サンスクリット学会 World Sanskrit Conference において、文献ジャンルや宗教思想ごとに、Veda, Epics, Buddhist Studies などのセクションが設けられているが、Computational Sanskrit and Digital Humanities というセクションも独立して存在する。情報学的手法を用いた Veda 文献研究は、この Computational Sanskrit のセクションで発表され、Veda セクションではその研究成果について共有や議論がされないということである。もちろん情報学の手法で特に技術的な部分などは専門のセクションで議論されることが望ましいであろうが、普通の文献研究の中で情報学的アプローチの研究も同じ俎上で議論できるようになればと願っている。
さて、私自身が心に描いている情報学的アプローチによる文献研究の発展形について述べてみたい。それは例えるなら、人体の臓器、例えば肝臓の、組織の状態や病巣の広がり等が、CT や MRI 等による撮影と画像解析によって3D のモデル上で再現されるようなものとイメージしている。その比較で言うと、従来の文献学的手法は肝組織の生体検査のようなものであろう。生体検査は、取り出した組織を実際に顕微鏡で見て調べる。実際に目で見て確認することは、CT や MRI による画像生成の技術が発展しているとしても、依然として確実で信頼のおける診断方法と目されるだろう。この方法、あるいは従来の文献学的手法の特徴は、点を取り出して観察するということにあり、点の観察でもって全体像(肝臓の病巣の広がりはどうなっているか? ある文献において例えばどのような宗教思想がどの程度浸透したりせめぎ合ったりしているか?)を把握するには、点と点を線で結ぶことによって推測することになる。点のない部分がどのようになっているかについて、あるいは点と点の繋がりについて、推測するしかない部分がどうしても残る。点を増やすことで全体像のより正しい把握を目指すことはできるが、検査・研究の物理的負担が大きくなる。この、全体像の把握を可能にするのが、CT や MRI の行う画像生成であり、文献のデジタルデータを用いた計量分析である。そしてそれを画像処理技術によって3D モデルに生成することでさらに多様で有用な考察を可能にする。つまり、回転させたり視点を変えることによって様々な角度から考察する、好きな断面で切って断面を考察する、全体を見ることも部分を拡大することもできる、内部構造(肝臓でいうと病巣、文献でいうと例えば言語層)を色分けして表現することも可能である。その像の中に複雑さと多様さを見、視点や切り口を変えることで無限の発見があると思う。それは考察として有用であるだけでなく、美しい絵や自然を見るような体験でもあると思う。それは顕微鏡をのぞき込むのに負けず劣らず、心躍る体験となるのではないだろうか。私の研究対象である Veda のように歴史的に長い時間をかけて生成された文献であると、例えば年代ごとの層を見たりできるが、文学作品であったとしても、作者の心の襞が複雑で美しい絵として見れるようになるかもしれない。そんな研究成果を心に描いている。
最後に、これが一番重要なことだと思うが、デジタルデータを解析して作った像には、生体検査の結果(あるいは従来の文献研究の手法による個々の研究)を紐づけることができる。デジタルな全体像の中に個々の「目で見た」成果を位置づけ、必要に応じて取り出せる状態は、双方の研究をより生かすことになる。これが先に述べた「融合」の一つの在り方であろうと考えている。デジタルがアナログ研究へのアンチだと捉えている人がいるとしたら、従来の文献学的研究をより生かすところにデジタルヒューマニティーズの真骨頂があると訴えたい。先ほど述べた「絵」を見る体験は、地道に文献に対峙してきた研究者にこそ、深いものとなるだろうから。
DH Awards 2021が本年も開催された[1]。今年もというべきか、気づいたら終わっていた節があるが、今年は受賞者を中心に紹介したい。
なお、毎度のことではあるが、この催しは、「副題を Highlighting Resources in Digital Humanities とし、前年に始められたり、おおきなリニューアルを迎えたりした DH にまつわるリソースのなかから、いいものをみんなで選ぼうという試みである」[2]。自薦他薦をとわず、また、適格審査もない、コミュニティ内のお祭りである。受賞したことに過度の意味づけはされるべきではないことは言うまでもないが、くわしく見るために限定するということでお許し願いたい。
今回は、前回同様特別部門として、「COVID-19に対する DH からの最も良い応答」部門が設けられているほか、「一般参加」部門が廃止となり、「ブログ記事」部門が「ショートパブリケーション」部門と名称を改め、「DH トレーニング資料」部門があらたに設けられている[3]。では、結果のページの掲載順に見ていきたい。
まずは、「失敗/限界に関する最も良い調査・研究」部門である。6点の応募があり、受賞は “DH and the Climate Crisis” Manifesto である(タイトルの記載は DH Awards 結果のページにあるとおり)。これは、研究者有志による、DH の営みのもつ環境危機へのインパクトにたいして座視していてよいはずがないという危機感に基づく宣言である。分野ごとの状況を検討した論攷の引用も興味深い。失敗談はとくに英語のものが増えているが、他言語の事例が促されるとよい。
「最も良いデータ視覚化」部門では、16点の応募があり、受賞は The Battle of Hong Kong 1941: A Spatial History Project である。香港バプテスト大学の歴史学科と図書館の共同プロジェクトで、第二次世界大戦における1941年の「香港の戦い」にかんする情報の整理とその空間地理的な可視化を行うものである。従来の研究では利用できなかった資料などもふまえ、戦役の展開だけでなく、個々人の身の上に起こったことや戦争犯罪など、さまざまな側面をまとめあげている。その他のプロジェクトも空間地理的情報の可視化か、文学作品の構造や分析の可視化が多い。このほか、社会参加的なもの、3D ツアー、研究のグラフ化などもあった。
「最も楽しい DH の活用例」部門では、6点の応募があり、受賞は Colorscape: Worldbuilding Thru Color, Senses and the World Around Us である。趣旨説明などはあまりないのだが、色をモチーフに、科学や DH 的技法などをとりあわせた制作かと思われる。ほかにも、同趣の制作があり、アプリや Twitter の bot などもあった。
「データセット」部門では、16点の応募があり、受賞は Catalogo del Cuento Mexicano である。これは、メキシコ政府の助成にもとづくプロジェクトで、20世紀初頭から現代にいたるまでの短編をカタログ化したものである。女性作家にフォーカスを当てることも狙いであるとのことであるが、男性やその他の性の作家の取り扱いはよく分からない。出身地域なども視覚化できるようになっているが、その点についての分析などはないように見える(スペイン語を解さないので誤解もあるかもしれない)。書誌やテクスト、人物などにかんするデータベースが多いが、芸術の主題にまつわるものなどもあり、おもしろい。
「ショートパブリケーション」部門では、ビデオ投稿やポッドキャストなども含めるために「記事」から改称を行ったようである。さて、13点の応募のなかから、Ancient World Online が受賞を果たした。これは、研究者の個人プロジェクトで、古代オリエントからオクシデントにかけての情報を集約したブログのようである。書籍や論文、デジタル情報源の刊行情報などが事細かに伝えられている。ポッドキャストや YouTube のビデオ投稿がさっそく入っているのが興味深い。
「ツールやツール群」部門では、6点の応募があり、受賞は World Historical Gazetteer である。これは、歴史史料の電子的注釈にあたって、地理的な情報を効率よく作成するためのプラットフォームである。この作業を効率化するために、この World Historical Gazetteer を用いて作られたデータをオープンリンクトデータとして提供するよう呼びかけていることも興味深い。ひとつの研究チームが全球を覆うのも現実的ではないからで、現状は現在の地理データとオランダ史、東インド史にかんする地理データが比較的よく集まっているということだそうである。西欧はシステム作りがうまいというのはこういうことを言うのであろう(このプロジェクトの去就を予言したいというのではないが)。そのほかにも、テキスト編集や地理情報支援などで強力なツールが集まっているように思われた。VCEditor は、写本の折り丁の状況を丹念に記述することを支援するツール。
「トレーニング資料」部門では、14点の応募があり、受賞は Introduction to Cultural Analytics & Python である。名前のとおり、プログラミング言語 Python の勉強と文化的分析とをひとつのコースでやってしまおうというもので、データ分析の基礎、テキスト分析、ネットワーク分析、マッピングが提示されている。Jupyter Notebook で配布されているため、コードをその場で実行してみせるなどの学習支援が整っている点が新しいと言えようか。記述も比較的平易に思える。このほかも、応募が大学での学習関係のものがほとんどなのは気になる。そのなかで、LaTeX と DH の初心者向け情報を集めた LaTeX Ninja などが目に付く。
さいごに、「COVID-19に対する DH からの最も良い応答」部門は、20点の応募があり、受賞は Crafting Communities: A Digital Humanities Resource であった。これは、カナダ・ビクトリア州の手芸ワークショップが、コロナ禍にあって情報技術を駆使してオンラインでの再現を企図したものといえようか。物質性の高い人文学的伝達をどうオンライン化してゆくかという問題への解決として評価されたということだろうか。ほかのものも、コロナ禍を記録したもの・コロナ禍を考えるための人文学的資源への注目に二分できそうである。スタンフォード大の「どうぶつの森」プロジェクトが落選1位になったのは微笑ましい。
手前味噌ではあるが、本連載はまさに「ショートパブリケーション」部門に応募できるようなものであったことに本稿執筆時に思い至った。いままで応募を人に呼びかけておきながら汗顔の至りではあるが、応募作をつらつらと眺めると出せばよかったとなってくるものである。今回は英語以外の資料の応募が前回よりも低調に終わったように思うが、学会とは違った多様性に触れられる空間でもあり、次回の応募を考えてみてほしい。
蒙を啓かれるというようなことだけではなく、楽しいものに触れることも DH の存続性としては大事なことであろう。これを機に、受賞作も落選作もあれこれと見てもらえれば幸いである。
1595年頃に印刷されたと思われる新出の日本語告解書がユトレヒト大学図書館で発見された。発見者はボーフム大学東アジア学部日本語学・日本文学専修教授のスヱン・オースタカンプ氏[1]である。2022年2月10日、この発見の公表がなされた。その公表は、ユトレヒト大学図書館における、当該資料のデジタル画像とオースタカンプ氏による論考のホームページ上での公開によってなされるという、まさにデジタル時代にふさわしいやり方でなされた[2]。
16世紀後半、イエズス会巡察師ヴァリニャーノの計画を受け、豊後の大友宗麟、肥前の有馬晴信および大村純忠のキリシタン大名によって4少年からなる天正遣欧使節がローマに遣わされた(1582–1590)。この使節団には、使節の4人の少年の他にも、印刷技術を習得するために遣わされたメンバーもいた(日本人の少年であるコンスタンチノ・ドラード、日本人修道士ジョルジュ・デ・ロヨラなど)。彼らは、15世紀中頃にヨハンネス・グーテンベルクが発明し、西欧に情報革命をもたらしたグーテンベルク式活版印刷機を1590年に日本に持ち帰った。この活版印刷機を用いて、イエズス会が天草や長崎や京都などで印刷した書物がキリシタン版である。出版地から加津佐(島原)版、天草版、長崎版、京都で印刷され、出版者の名(原田アントニオ)にちなんだ原田版がある。禁教令を受けて、慶長19年(1614年)、印刷機もマカオに移され、『日本小文典』などが印刷された。
オースタカンプ氏がユトレヒト大学図書館ホームページに載せた今回の発見に関する論考によれば、キリシタン版はそれぞれの書籍が複数部印刷されたが、現在3部以上残っている資料は極めて少ない。キリシタン版の全容は、アーネスト・サトウによる The Jesuit Mission Press in Japan (『日本におけるイエズス会宣教出版』)(1888年)で多くのキリシタン版が紹介され、その後、ヨハンネス・ラウレス『キリシタン文庫』第3版(1957)でほとんどが記述された。このラウレスによる目録に記述されていないものは、後の1985年に見つかることになる Compendium manualis Navarri (1597)だけであった。
近年いくつかのキリシタン版が発見されているが、それらは、すべて既知のキリシタン版の一部か、所在が分からなくなったものが再発見されたものであった。例えば『ひですの経』は2009年の再発見であり、ヴォルフェンビュッテルのヘルツォーク・アウグスト図書館で2017年に発見されたローマ字版日本語『コンテムツス・ムンヂ』は、ボドリアン図書館とアンブロジアナ図書館に所蔵されている同本の版違いであった[3]。今回オースタカンプ氏が発見した資料は、ユトレヒト大学で1754年に目録に掲載されたが、それ以降はどこにも記録されていないものである。
ユトレヒト大学は、オランダ中部の都市ユトレヒトにある。1636年に設置された古い大学である。刑法学の分野でユトレヒト学派を生んだ大学でもある。DH2019はこのユトレヒト大学が主催となって開催された[4]。このユトレヒト大学の特別コレクションで、オースタカンプ氏によって発見されたのが新出国字本『さるばどる・むんぢ』である。このキリシタン版の印刷や装丁などの文献学的詳細情報、ユトレヒト大学におけるこれまでの来歴については、オースタカンプ氏の論考をお読みいただきたい[5]。以下は、オースタカンプ氏の来歴と、氏へのインタビューである。
スヱン・オースタカンプ氏は、2008年にドイツのボーフム大学(ルール大学ボーフム)にて、博士号(Dr.phil.)を授与された。2009年から2011年の2年間、京都大学にて、日本学術振興会外国人特別研究員として、日本語史におけるいわゆる朝鮮資料の研究に従事した。2011年から、若くしてボーフム大学の日本語・日本文学の教授になった。オースタカンプ氏は、日本語とその書記体系の歴史、東アジア内、および東アジアと西欧との言語接触を研究してきた。主要業績としては、著書 Nicht-monosyllabische Phonogramme im Altjapanischen: Kritische Bestandsaufnahme, Auswertung und Systematisierung der Fälle vom Typ oñgana(『上代日本語の非単音表音文字。音仮名型の事例の重要な目録、評価、体系化』、Wiesbaden: Harrassowitz, 2011)などがある[6]。