ISSN 2189-1621

 

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イベントレポート(2) 「アメリカシェイクスピア学会 第43回年次総会」

◇イベントレポート(2)
「アメリカシェイクスピア学会 第43回年次総会」
http://www.shakespeareassociation.org/
 (北村紗衣:武蔵大学人文学部)

 アメリカシェイクスピア学会(Shakespeare Association of America)の第43回
年次総会が、ヴァンクーヴァーで4月1日から4月4日にかけて開催された。この学会
においては多数、デジタル人文学関連のセッションが開催されたため、本稿におい
ては簡単にその報告を行うこととする。

 4月1日はプレイベントが行われただけであったが、4月2日は朝からデジタル技術
関連セッションがいくつか行われた。午前10時からはデジタルサロンが開かれたが、
本報告者は同時間帯にある別のセミナー‘Women Making Texts in Early Modern
England’に登壇したため、残念ながらサロンには参加できなかった。しかしながら、
‘Women Making Texts in Early Modern England’セミナーにおいてもデジタル技
術は大きなテーマであり、様々な議論が行われた。アメリカシェイクスピア学会の
セミナーにおいては、登壇者はセミナー当日に発表をすることはなく、事前にそれ
ぞれのテーマに基づく予稿を交換し、セミナー中はそれに関する議論のみを行う。
フェミニスト書物史を主題とする本セミナーでは、flickrを活用してペンシルヴァ
ニア大学蔵書のもとの持ち主の痕跡(署名や蔵書票など)の写真を共有する画像コ
レクションであるThe Provenance Online Project[1]の他、ブリテン諸島の手稿
を集めたオンラインカタログであるThe Catalogue of English Literary
Manuscripts 1450-1700[2]や、初期近代ブリテン女性による手稿類のカタログで
あるThe Perdita Project[3]とThe Perdita Manuscripts, 1500-1700[4]などが
議論の題材となった。The Provenance Online Projectをはじめとするこうしたデー
タベース類の情報は一種のビッグデータのようなかたちでも扱い得るが、形式が統
一されていない手稿などのカタログ化、とくに初期近代によく見られる‘
Miscellany’と呼ばれるようなさまざまな雑多な文書をまとめた手稿の記述には大
変な手間がかかるという苦労がセミナーの議論においてシェアされた。

 2日の午後からは‘Reading the First Folio Then and Now’というワークショッ
プが開催された。このセッションにおいてもファースト・フォリオのデジタル化に
対する参加者の関心が高く、とくにMeisei University Shakespeare Collection
Database[5]やThe Bodleian First Folio[6]などをいかに教育の場で活用する
かということが議論のテーマのひとつとなった。こうしたファースト・フォリオの
デジタル化は、大学院レベルの学生や研究者にとっては貴重なリソースであるが、
一方で専門性の高い資料であるため、学部教育で用いるのはなかなか難しいところ
もある。実のところ、スマートフォン慣れした若い学生にとって、ネットで見られ
るこうした複製よりもむしろモノとしての稀覯本、実物のアウラのほうがはるかに
珍しく好奇心をそそるということは、本ワークショップに参加した教員たちも感じ
ているところであった。初学者にとっては、貴重な研究史料の複製がネットで見ら
れるということよりも、渋い色みのどっしりとした革の装丁に天金や紋章が輝く数
億円もする17世紀のフォリオが目の前に展示されているというほうがずっと刺激的
な体験であり得る。本ワークショップにおいては、教育への活用という議論を通し
て、デジタル技術によって得られる教育効果、得られない教育効果が浮かび上がっ
てきたように思われる。

 4月3日の午後からは‘Using Data in Shakespeare Studies’というワークショッ
プが行われた。本ワークショップでは、登壇者全員がデータを用いた何らかのシェ
イクスピア関連分析を行い、その結果をヴィジュアル化するという試みを実施した。
ヴィジュアル化の結果については聴講者全員にダウンロードアドレスが配布され、
zipですべての画像とその解説が入手できる。「シェイクスピアのテキストのうち、
上演で人気があるものと教育現場で人気があるものはどれか」「どの地域の研究者
がどういったオンラインのシェイクスピアリソースを利用しているか」「演劇チケ
ットの売り上げの比較分析」など、シェイクスピアリアンであれば気になるような
トピックが多数並んでおり、図表を見ているだけで目に愉しいワークショップであ
ったが、他方でこうしたデータ解析に伴う研究者の不安感といったものも浮かび上
がってきた。いわゆるビッグデータ的なものをソフトで処理してわかりやすくイン
フォグラフィックにするということは見た目の印象が強く、また教育においても便
利であるが、一方で分析しヴィジュアル化したデータの信頼性や解釈について、ひ
とつひとつのデータの背景分析を伝統的に重んじてきた人文学徒は時として「自分
の解釈は正しいのだろうか」「いったいこのデータはどれくらい信頼できて、何が
わかるのだろうか」といった不安を感じることがある。ワークショップの議論では
こうした心配がユーモアまじりに登壇者から口にされた。

 こうしたデータへの不安については、本報告者も一点、ペーパーをきく中で思い
当たるところがあった。本ワークショップにおけるローラ・エスティル(Laura
Estill)のペーパー‘Performing Englishness Globally’は、シェイクスピアの芝
居の中でもとくに「イングランド性(Englishness)」を主題とした芝居である『ヘ
ンリー五世』の上演が世界のどこでどの程度なされているかをマッピングするとい
う研究[7]であり、アメリカ合衆国での本戯曲の人気ぶりはいささか意外で、これ
だけでも面白みのある研究結果であると言える。エスティルは日本における日本語
での上演が一件だけあることについて、「日本ではシェイクスピアを上演するのが
伝統的に盛んである」というそれ自体は適切といえる理由を仮説としてあげていた
が、実はこれは図表をクリックするとわかるように、楠美津香がひとり芝居ですべ
てのシェイクスピア作品を上演するシリーズ公演で『ヘンリー五世』が扱われたた
めである。日本の観客であれば、「この事例はスタンダップコメディ形式によるひ
とり芝居なので通常の上演とかなり違う」という知識を当たり前のものとしてデー
タに切り込めるが、ローカルな知識がない場合、データをマッピングしただけでは
いったい誰が何の目的でこんなところで上演を行っているのか、深みのある分析を
提供するのが大変難しい。全体的に、データが見せてくれるものと、見せてくれな
いものについて考えさせられた。

 最終日の4月4日には、午前中に‘The Way We Think Now: Shakespearean
Studies in the Digital Turn’というパネルセッションが行われ、3人の発表者が
登壇した。エレン・マッケイは16世紀イタリアの文人で記憶に関する著書『劇場の
イデア』で有名なジュリオ・カミッロを起点に、現在の最新技術による記憶の保存
をルネサンス的な記憶術のモデルに結びつける議論を行った。二本目のクリストフ
ァー・ウォレンの発表はソシオグラム的発想についてのものであり、17世紀の文人
ジョン・ウィルキンズによる人間関係の分類などを参照しつつ、サミュエル・ピー
プスやサミュエル・ジョンソンなど文人の人間関係ネットワーク可視化について論
じた。三本目のジェンテリー・セイヤーズによる発表は少しルネサンスから離れ、
19世紀の発明家ギュスターヴ・トルーヴェが作ったバッテリーで動く「電気宝石
(electric jewelry)」の3D化についてのものであるが、この発表については画像
も含めたいろいろな資料がセイヤーズの研究室によってウェブ公開されているので
([8]や[9]など)、そちらを参照したほうが想像しやすいだろう。本パネルは
手稿・刊本や上演などにとどまらない、非常に広い視野でデジタル技術を扱うもの
であったため、シェイクスピアリアンにとってはフレッシュな気持ちできけるセッ
ションであったのではないかと思われる。

 このほか、上演に関する発表などでも映像アーカイヴ化や、マルコフ連鎖を用い
てテキストを組み替えた上演など、様々な技術が取り上げられ、またDigital
Renaissance Editions[10]の記念レセプションが行われるなど、第43回アメリカ
シェイクスピア学会におけるデジタル人文学的関心のプレゼンスは非常に高いもの
であった。一方で、既に述べたようにデジタル技術を教育・研究で使用する際の課
題も多数浮かび上がってきたといえる。2016年には世界シェイクスピア学会がスト
ラットフォード・アポン・エイヴォンで開かれる予定であるが、その際にこうした
課題がどの程度とりあげられるか、報告者としては個人的に気になるところである。

[1] https://provenanceonlineproject.wordpress.com/
[2] http://www.celm-ms.org.uk/
[3] http://web.warwick.ac.uk/english/perdita/html/
[4] http://www.amdigital.co.uk/m-collections/collection/perdita-manuscripts-...
[5] http://shakes.meisei-u.ac.jp/j-index.html
[6] http://firstfolio.bodleian.ox.ac.uk/
[7] http://estill-henry-v.silk.co/
[8] http://maker.uvic.ca/aesthetics/
[9] http://scholarslab.org/podcasts/podcast-jentery-sayers-on-remaking-the-p...
[10] http://digitalrenaissance.uvic.ca/

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