ISSN 2189-1621

 

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イベントレポート「Digital Palaeography@London 参加報告」

◇イベントレポート

Digital Resource and Database for Palaeography,
Manuscript Studies and Diplomatic, “One Day Symposium” 参加報告
(永井正勝:筑波大学人文社会科学研究科文芸・言語専攻準研究員)

「デジタル技術を用いた古書体学(Digital Palaeography)」に関する
シンポジウムがイギリスのKing's College London (KCL)において2011年
9月5日に開催された。参加者は発表者を含めて50名ほどであったが、
主催者によれば定員を超える聴講希望の申し込みがあったとのことである。
私は運良く参加が許され、中世ヨーロッパの文書を対象とした
Digital Palaeographyの最先端の発表を聴くことができた。以下、簡単
ではあるが、その報告を行いたい。

私の研究対象は古代エジプトの神官文字(Hieratic)で書かれた文書で
あり、それゆえ私は中世ヨーロッパの文書や書体に関する知識を持ち
合わせていない。それでも今回参加したのは、古書体学の研究で膨大
な量の蓄積のあるヨーロッパでDigital Palaeographyの研究がどのよ
うなレヴェルで行われていたのかを知りたかったのと、私の神官文字
研究に役立つ手法が見つかるのではないかとの期待を抱いてのことで
あった。そして、日本におけるDigital Palaeographyの研究のために、
多少なりとも貢献ができれば、との思いもあった。

このシンポジウムはDigital Resource and Database for Palaeography,
Manuscript Studies and Diplomatic(DigiPal)というプロジェクトが
主催したものであるので、最初にDigiPalの位置づけについて述べて
おきたい。今から20年前の1991年、Harold Short教授のご尽力により
Centre for Computing in the Humanities(CCH)がKCLに設立された。
その名の通り、これはコンピュター技術を利用した人文学研究の拠点を
目指した組織である。その後CCHの活動が認められ、2011年に
Department of Digital Humanities(DDH)へと発展を遂げる。その
CCHからDDHへの移行時期にあたる2010年10月に、DigiPalは
CCH/DDHのプロジェクトとして設立された。DigiPalのプロジェクト・
リーダーはPeter Stokes博士であり、彼をリーダーとして抜擢したのが
CCHの設立者のHarold Short教授であったことを考えると、CCH/DDH
におけるDigiPalの位置づけも想像のつくところである。今回のシンポ
ジウムはDigiPalが行う最初の大きな催しであるとともに、DDH発足後
に最初に開催されるDigital Palaeographyの催しでもある。そのような
記念すべき会に日本からの参加が許されたことは誠に光栄であった。

シンポジウムは基調講演の後に20分間の発表が9本続き、最後にディス
カッションを経て閉会した。プログラムは以下の通りである。

9:30-10:00: Coffee and registration
10:00-11:00: Introduction, followed by
 [1] Plenary Lecture: Elaine Treharne (Florida State University),
   A Site for Sore Eyes: Digital, Visual and Haptic Manuscript Studies
11:00-11:20: Coffee Break
11:20-12:30: Session 1. Chair: Orietta da Rold (University of Leicester)
 [2] Peter Stokes (King's College London): DigiPal in Theory
 [3] Stewart Brookes (King's College London): DigiPal in Practice
 [4] Erik Kwakkel (Leiden University): The Digital Eye of the
   Paleographer: Using Databases to Identify Scribes and
   Date their Handwriting
12:30-13:30: Lunch (provided for all registered participants)
13:30-15:00: Session 2. Chair: Se'gole`ne Tarte (University of Oxford)
 [5] Wim Van Mierlo (University of London): How to Work with
   Modern Manuscripts in a Digital Environment - Some Desiderata
 [6] John McEwan and Elizabeth New (Aberystwyth University):
   The Seals in Medieval Wales Project: Towards a New
   Standard in Digital Sigillography
 [7] Ben Outhwaite and Huw Jones (Cambridge University Library):
   Navigating Cambridge's Digital Library: the Cairo Genizah
   and Beynd
15:00-15:20: Coffee Break
15:20-16:50: Session 3. Chair: Malte Rehbein (Universita"t Wu"rzburg)
 [8] Franck Le Bourgeois (Institut National des Sciences Applique'es
   de Lyon): Overview of Image Analysis Technologies
 [9] James Brusuelas (University of Oxford) and John Wallin
   (Middle Tennessee State University): The Papyrologist in
   the Shell
 [10] Els De Paermentier (Ghent University): Diplomata Belgica:
   Towards a More Creative and Comparative Palaeographical
   Research on Medieval Charters
16:50-17:00: Short Break
17:00-17:30: Panel Discussion with Michelle Brown (University
of London), Donald Scragg (University of Manchester) and Marc
Smith (E'cole Nationale des Chartes), chaired by Clare Lees (King's
College London)

*特殊文字については次のように表記しました。
アクサン・テギュ:e'
アクサン・グラーヴ:e`
ウムラウト:a"、u"

このシンポジウムの基本的なスタンスはデジタル技術を用いた古書体学
研究であるわけだから、デジタル化されたデータが必要とある。その際
のデジタル化とは、古文書そのもののデジタル画像の作成(画像データ)
と古文書の持つ情報のデジタル化(メタデータ)が含まれることになるが、
そこで問題となるのはデジタル・データをどのように作成し(システム)、
それをどのように活用するのか(利用)ということにあるだろう。そこで、
以下では、「画像データ、メタデータ、システム、活用」を観点にして
発表内容を大まかに捉え、それを簡単に紹介しよう。

基調講演のTreharne[1]は、古文書のデジタル画像をPCの中に閉じ込め
ておくのではなく、利用者が、たとえば現実世界で本のページをめくる
ように、デジタル文書を扱うという実践を、博物館や美術館での展示を
紹介しつつ述べたものであった。講演では、マイケル・ポラニーの『知
覚の現象学』にも触れつつ、身体性やvisual orientationをキーワードに
History of Text Technologies (HoTT)の紹介がなされた。このように
Treharne女史の発表は文字に焦点を当てるようなPaleography研究の事
例ではなく、むしろ、文書のデジタル画像化とその活用に焦点を当てた
ものであった。とはいうものの、デジタル画像を資料として扱うために
は、文書の著者、作成場所、保管場所、年代などの情報を付与していか
なくてはならず、画像化の背後にDigital Humanitiesの知見が隠されて
いるということは、忘れてはならないのだと思う。

Treharne女氏の発表を含め、約半分ほどの研究は「文書や資料全体の
画像化」(画像データ)を行い、「資料をブラウザーなどを通して広
く公開する」(一般利用)という主旨のプロジェクトに関するものである。
他には[6]、[7]、[9]の発表もこれに該当する(広く捉えると[5]も該当)。
公開される資料には画像ばかりではなく、資料の年代、場所、内容、
法量などの「資料が持つ様々な情報の付与」(メタデータ)が含まれる
ことにもなる。残念ながら、それぞれのデータベースがいかなるシス
テムに基づいて作成されているのかということまでは知ることができ
なかった。特に写本などの資料は特定の場所に1点のみ存在する資料
であるから、情報の可視化(visualization)によって世界のいかなる
場所からも資料にアクセスすることができるという点で、このような
データベースの有効性はすでに認知されているところであるし、実際、
世界的に広く実施されているものだと思われる。だが、上記の発表は
古書体学そのものの研究を目指したものではなかった。

古書体学に直結する発表は、「個別の文字の画像」(画像データ)」
を扱いつつ、そこに「古書体学で要求される様々な文字情報」(メタ
データ)を付与しており、そのようなデータから「文書の書記の同定
や異体字の変遷などを探る」(学術利用)試みであった。しかも、メタ
データの作成には「Text Encoding Initiative(TEL)」(システム)
を積極的に用いたものもあり、これらの発表がまさにDigital
Palaeographyの中核をなすものであった。[3]、[4]、[10]の発表が
これに該当する。
文字の画像データ、文字の持つメタデータ、システムとしてのTEI、
研究利用をすべて含んだ発表は、DigiPalの研究員を務める発表
Brookes[3]であった。Brookes氏は、古文書の中の代表的な文字を
画像ファイルとして保存するとともに、それぞれの文字の種類、字
形上の特徴、色、書物の年代、書記などの情報を付与したXML形式
のデータベースを作成しており、そのタグ付けにはText Encoding
Initiative(TEI)が利用されている。このデータベースでは、たとえ
ばgという文字で検索をかけると、その異体字のバリエーションが画
像と共に提示され、またそれぞれの文字の例の年代や書記が同時に示
される。その後、時代・書記・文書の種類などの要素でソートをかけ
ると、その結果が提示される。システムのみならず、コンテンツとし
ても、文字に関するメタ情報と個別の文字の切り出し画像とがリンク
した充実したデータベースであり、古書体学の分析を実証的に行うこ
とのできるシステムであり、私が最も興味を持った研究であった。発
表[4]もこれに近い内容を持っていたが、こちらは文字の字画(stroke)
や字形の特徴などをデータベースにしたものであり、発表としては、
字形の通時的変遷や書記による字画の違いなどの結果を計量的に示し
た上で、そこからわかる結果の検討に重点を置くものであった。

ところで、発表者のKwakkel氏が述べていたことであるが、書体から
書記を推定する際には「同一の書記の字形はある程度統一されている
はずだ」という想定に基づいて作業が行われている。しかしながら、
実際には、そのような想定が通用するとは限らず、同一文書内で筆跡
のユレがあることも珍しくないように思う。XMLやTELを用いたメタ
データ化そのものはDigital PalaeographyあるいはDigital Humanities
で中心となる技法だと思われるが、そのようなメタデータを付与する
以前に、書体を詳細に分析する作業が必要となる。そこに着眼したのが、
発表[2]、[8]であろう。そのうちの発表[8]は人文学というよりも情報
工学からのアプローチであり、Laboratoire d'InfoRmatique en Image
et Syste`mes d'information(LIRIS)が行っているプロジェクトとして、
文字や書記の自動判別ソフトを紹介するものであった。

最後に、DigiPalのプロジェクト・リーダーであるPeter Stokes氏の発表
([2])を取り上げよう。Stokes氏の個人的な関心の1つは、自らが作成
したソフトを用いて書記の同定を行うというものである。従来は学者の
経験則や暗黙知に基づいて行われた作業にコンピューター解析を導入し
ようとしたものであり、そのような点では発表[8]の試みと同様であるば
かりか、日本でもすでに古文書の解析などにコンピューターを用いた文
字の自動判別が導入されている。だが、Stokes氏の発表の主旨は、コン
ピューター解析の成果を紹介することではなく、むしろDigital
Palaeographyの現状を見据え、その将来に向かう方向を提案するという
ものであった。

Stokes氏は自らが作成したソフトを用いても書記の同定に失敗すること
があるという例を取り上げ、コンピューターの利用が万全ではないこと
を明かす。それでもDigital Palaeographyに向かう動機の1つは「古書
学研究における確証的にして便利なツールとは何か」について模索して
いるからだという。経験則や暗黙知に基づく研究の他に、デジタル技術
を用いた分析も存在するわけであり、それによって従来では不可能とさ
れていた事柄が理解されることがあるかもしれないし、実際それを祈願
しているのであろう。Stokes氏は名実ともにDigital Humanitiesの下位
部門としてのDigital Palaeographyを牽引する人物であるが、Digital
Palaeographyの理念として最後に述べていたのは、Digital Palaeograhpy
の成果を学術一般の別を問わず広く公開することの重要性と、
Digital PalaeographyがTraditional Palaoegraphyと衝突するものでは
ないということであった。

KCLをはじめ、欧米ではDigital Humanitiesの潮流が確固たるものとなり、
日本でも人文情報学研究所等の活動によりDigital Humanitiesの基礎が
浸透しつつある。これは私の独断かもしれないが、Digital Humanitiesの
中心的な資料は、テキスト入力が可能な資料になっているように思う。
それに対して、Digital Humanitiesの研究は書体そのものが問題となる
ため、どうしても画像情報が必要となる。そのような、画像情報を用い
たDigital Humanitiesは、研究の蓄積が皆無ではないが、まだまだ大い
なる可能性を秘めた分野であることを今回のシンポジウムを通して痛感
した。私自身も、画像情報を用いたDigital Humanitiesの分野に多少な
りとも寄与することができるために、古代エジプト語の神官文字を対象
とした画像データベースを充実させていきたいと思う。

本シンポジウムの参加にあたり、人文情報学研究所の永崎研宣所長、
ならびにWestern Sydney大学のHarold Short教授から並々ならぬご
協力を頂きました。また、筑波大学西アジア文明研究センターからは
経済的な援助を賜りました。感謝申し上げます。

<発表者のホームページ等>
[0a] Department of Digital Humanities (DDH), KCL.:
  http://www.kcl.ac.uk/artshums/depts/ddh/index.aspx
[0b] Digital Resource and Database for Palaeography, Manuscript Studies and Diplomatic (DigiPal):
  http://digipal.eu/
[1] History of Text Technologies (HoTT)
  http://hott.fsu.edu/
[2] KCL:
  http://www.kcl.ac.uk/artshums/depts/ddh/people/core/stokes/
[3] KCL:
  http://www.kcl.ac.uk/artshums/depts/ddh/people/core/brookes/
[4] Erik Kwakkel's Personal Page: Turning Over a New Leaf :
  http://www.hum.leiden.edu/icd/turning-over-a-new-leaf/
[5] Wim Van Mierlo, University of London:
  http://ies.sas.ac.uk/about/Staff/wimvanmierlo.htm)
[6] Seals in Medieval Wales:
  http://www.imems.ac.uk/medievalwelshsealsinthenlw.php
 Seals in Medieval Wales 1200-1550:
  http://www.aber.ac.uk/en/history/research-projects/seals/
[7] Cambridge University Library: Taylor-Schechter Genizah Research Unit:
  http://www.lib.cam.ac.uk/Taylor-Schechter/
[8] Laboratoire d'InfoRmatique en Image et Syste`mes d'information (LIRIS):
  http://liris.cnrs.fr/graphem/
[9] De Paermentier, Els: Diplomata Belgica: analysing medieval charter texts (dictamen) through a quantitative approach:
  http://www.cei.lmu.de/digdipl11/de-paermentier-els-diplomata-belgica-ana...

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