ISSN 2189-1621

 

現在地

DHM 054 【前編】

2011-08-27創刊                       ISSN 2189-1621

人文情報学月報
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄Digital Humanities Monthly

             2016-01-31発行 No.054 第54号【前編】 614部発行

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 ◇ 目次 ◇
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【前編】
◇《巻頭言》「古典籍活用の未来」
 (松田訓典:国文学研究資料館古典籍共同研究事業センター特任助教)

◇《連載》「Digital Japanese Studies寸見」第10回
「コレクション共有から拡がる展覧会、展覧会から拡がるコレクション共有
 -アムステルダム王立美術館でBreitner: Meisje in kimono展が開催」
 (岡田一祐:東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所)

◇《特集》「海外DH特集-デジタル時代における人文学者の社会的責任」前編
 (横山説子:メリーランド大学英文学科博士課程)

【後編】
◇《特集》「海外DH特集-デジタル時代における人文学者の社会的責任」後編
 (横山説子:メリーランド大学英文学科博士課程)

◇人文情報学イベントカレンダー

◇イベントレポート(1)
「じんもんこん2015」参加報告
 (永崎研宣:人文情報学研究所)

◇イベントレポート(2)
国際シンポジウム「HathiTrustとデジタルアーカイブの未来」<前編>
 (永崎研宣:人文情報学研究所)

◇編集後記

◇奥付

 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
【人文情報学/Digital Humanitiesに関する様々な話題をお届けします。】
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◇《巻頭言》「古典籍活用の未来」
 (松田訓典:国文学研究資料館古典籍共同研究事業センター特任助教)

 筆者は昨年10月より、国文学研究資料館(国文研)の「日本語の歴史的典籍の国
際共同研究ネットワーク構築計画」[1]プロジェクトの一員として同計画に携わっ
ている。このプロジェクトについては、すでにご存知の方も多いと思われるが、大
雑把に言えば30万点に及ぶ「日本語の歴史的典籍」にまつわる画像データベースを
構築し、それを基盤とした国際的な共同研究を推進していくというものである。人
文系としてはこれまでにない規模で、国内外の多数の機関との連携のもと進められ
ているプロジェクトであるため、その行方に注目されている方も多いのではないか
と思われる。本稿では、自身の学術的関心との関わりという限られた視点から、本
プロジェクトについての所感を幾分述べてみたい。ただし、本稿の内容は、それが
この場で許されるかはともかく、あくまで現時点での一個人としての思いであり、
同プロジェクトの公の方針とは必ずしも一致しない場合があるということは予めご
了解いただきたい。

 まず筆者の学問的背景である仏教学について簡単に紹介しておこう。仏教学(よ
り限定すればインド仏教学)においては、何よりも一次資料の正確な読解が重要視
される。文献によって現存の度合に違いはあるが、一般にはインド古典語による原
典とそれに対する注釈文献群、各々に対するアジア諸言語への古典的翻訳を一次資
料とし、それらを比較検討することによって、あえて語弊を恐れずにいえば、原典
の本来の形とその原意を探求していくということが、仏教学の代表的な方法論であ
ると考えている。

 そうした方法論から本プロジェクトを見たとき、分野の違いはあれ、やはり真っ
先に目を引くのは、本プロジェクトの基盤ともいえる一次資料としての画像データ
ベースである。文献のカラー画像がメタデータとともに公開され、研究上自由に利
用できること、しかもそれが30万点におよぶことは非常に重要な意味をもつ。同プ
ロジェクトの特徴の一つとして、そのデータを基本的にオープンデータとして取り
扱う点であり、今後の詳細は未確定であるものの、Creative Commonsライセンスの
付与を積極的に推し進めている。その手始めとして350点のデータがオープンデータ
セットという形で、すでに国立情報学研究所のサイトにおいて公開されている[2]。
これについては本誌でもすでにとりあげられており[3]、そこに指摘されているよ
うにいくつかの課題が散見される。一例を挙げれば、メタデータは一般に普及して
いるものではなく、またメタデータの仕様の説明を欠いていることが指摘されてい
る。これは端的にいってしまえば、国文研が長らく構築してきた古典籍総合目録の
データを流用しているためである。

 国文研としては、一方でオープンデータセットとしてデータ提供を行い、他方で
そのデータを便利に利用・活用していくための基盤となるデータベースの提供を考
えているが、その際、メタデータ・画像・テキストの提供方式についても、おそら
く歴史のあるプロジェクトのほとんどが抱えているであろう、レガシーなデータに
対してどのように対処していくのかという問題が常に立ちはだかっているといえる。

 現状、大まかな部分でデファクトスタンダード、あるいはそうなることが期待さ
れていそうなものという技術は存在する。たとえば、テキストのマークアップでは、
少なくとも欧米ではTEI(Text Encoding Initiative)がそうであろうし、画像の配
信に関してはIIIFが有望であると聞く。またメタデータの配信に関しては、枠組み
としては日本でも国立国会図書館や国立情報学研究所など、Linked Dataとしての配
信が一般的になっている。こうした世界的に標準的と目される仕様を可能な限り採
用していくことは本プロジェクトにとっても非常に重要であると思われるが、それ
と同時に、従来国文研の古典籍総合目録データベースで培われてきたような古典籍
資料の目録化に関する独自の知見が既存の標準に収まらないものであるとすれば、
それを標準化の俎上に載せることもまた期待されることなのであろうと思われる。

 ところで、人文系においてデータベースが作成されるとき、一つ問題となるのは
誰を主な対象とするのかという点がある。大別すればそれを専門とする研究者、周
辺分野の研究者、一般の方々といったところであろうか。分野にもよるので一概に
はいえないが、それぞれがデータベースに期待することは、おそらくかなり異なる。
専門家であれば大抵ピンポイントな情報の発見を期待するであろうし、周辺分野の
研究者であれば、本来の研究対象と関連する内容にぼんやりとでも関連することが
らを発見できることを期待するかもしれない。一般の方々であれば何より触れてい
て楽しいものが期待されるという面があるのではないかと思う。これらの需要を一
つのサイト上で同時に実現することは、必ずしも適切ではないのではないかと思わ
れる。時間的にも人的にも制約のある中で、まず取り組むべきはやはりしっかりと
した基盤となるデータベースの構築であり、APIの提供であると思っている。

 国文学に限定されない様々な分野において、これまでにない形での新たな共同研
究を行い、国際的な研究ネットワークを構築していこうという本プロジェクトの目
的もまた、そのような基盤を踏まえてこそのものであろう。また、きっちりとした
データをデータセットとして、あるいはAPIを通じてオープンにすることによって、
より便利な活用方法が模索されていけば非常に喜ばしいと個人的には考えている。

 最後に、幾分些末な話にはなるが、現在筆者が携わっているタグ付けツールの開
発についても触れておきたい。これは本プロジェクトが提供する画像に対して、情
報検索の一助として付されることになっているタグを、画像内の領域情報とともに
付加するためのツールであり、人文情報学研究所の永崎研宣氏による大正新修大蔵
経図像部のタグ付けプロジェクトと関連する形で、準備しているものである。先述
のオープンデータセットでも一部タグ情報が付されていたが、そのデータのとり方
にも多少課題があることが指摘されていた。それを解消すべく、比較的簡易な方法
で誰でも統一的かつ確実なデータを付加することが期待できるものができつつある
(と思う)。オンラインでのタグ付けは、現在では非学術系の様々なウェブサービ
スで日常的に行われているものであり、本プロジェクトでもソーシャルタギングと
いう形での実現を視野に入れている。それを学術的なものとして扱うか、それとも
より広い情報検索の手段ととらえるか、いずれにしても解決すべき課題は多々残さ
れてはいるが、そこに踏み込むための第一歩となれば、とも思っている。

 以上、極めてありきたりな話に終始してしまった感はあるが、本プロジェクトに
対する現時点での筆者の所感を述べてみた。本プロジェクトは10年という定められ
た期間のうち2年を終えようとしているが、筆者にとってはまだ始まったばかりであ
る。関係識者からのご教示をいただきながらこのプロジェクトの成功に向けて歩ん
でいきたいと考えている。

[1] https://www.nijl.ac.jp/pages/cijproject/
[2] http://www.nii.ac.jp/dsc/idr/nijl/nijl.html
[3] 岡田一祐「「国文研古典籍データセット(第0.1版)」公開」『人文情報学
 月報』第53号【前編】

執筆者プロフィール
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
松田訓典(まつだ・くにのり)国文学研究資料館古典籍共同研究事業センター特任
助教。東京大学東洋文化研究所、東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所
を経て現職。仏教学を基盤としつつ、人文学におけるデジタル化に取り組みつつあ
る。

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◇《連載》「Digital Japanese Studies寸見」第10回
「コレクション共有から拡がる展覧会、展覧会から拡がるコレクション共有
 -アムステルダム王立美術館でBreitner: Meisje in kimono展が開催」
 (岡田一祐:東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所)

 オランダのアムステルダム王立美術館において[1]、Breitner: Meisje in
kimono展(「ブレイトネル:着物姿の少女」)が2月20日から3月22日まで開催され
る[2]。この展覧会は、ヘオルヘ・ヘンドリック・ブレイトネルの14点のジャポニ
ズムの連作を中心としたもので、初公開の1点を含む14点全点をはじめてまとめて公
開するものであるという。アムステルダム王立美術館は、所蔵品のデジタル・コレ
クションを広く公開し、それをRijksstudio(「ライクススタジオ」、王立美術館
「Rijksmuseum」のスタジオの意)と称して、ユーザが自由にコレクションし、共有
できるようにしている[3]。現在公開中のAsia > Amsterdam展(「アジア>アムス
テルダム」)[4]の特集ページにおいてもキュレーターの作成したコレクションへ
のリンクをしているように、今回の展覧会でも有効活用しているようである。
Riksstudioは、王立美術館の改修の一環として設けられたもので、2012年10月に公
開された。当時のカレント・アウェアネスR誌などに特集され[5]、またMuseum
and the Web 2013においてBest of the Web賞のInnovative部門、投票部門、最優秀
賞を受賞したときにデジタル部門責任者だったP. Gorgels氏による紹介文[6]など
もあって、いまさらの感もあるとは思うが、あらためて見てみたい。

 Rijksstudioのページにアクセスすると分るように、コレクション機能では、気に
入った館蔵品のデジタル画像の全体を保存するだけではなく、切り抜き機能やアル
バム配置機能も備えており、利用者がコレクションを楽しめるようになっている。
Rijksstudioのシステムは、王立美術館公式の作品紹介とも連動しており、紹介に用
いられている画像から直接Rijksstudioのじぶんのコレクションに追加することがで
きるようになっているし、また、作品を利用したコレクションを紹介もしている。
2016年のRijksstudioは、開始時の12万点あまり[6]から27万点[7]にまで公開さ
れた画像が増大し、また23万点以上のユーザによるコレクションが公開され([1]
、2016年1月17日日本時間)、また機能追加も継続的に行われているようである。ブ
ログなどはとくにないようだが、さきのGorgels氏のブログでアップデートが報告さ
れている[7]。また、王立美術館の公開しているコレクションの画像は、パブリッ
ク・ドメインに置かれ、活用が自由である。「フェルメールをトイレット・ペーパ
ーに使いたいというなら、(ネット上の)質の低い画像を使うよりも(Rijksstudio
の)高画質のフェルメールの画像を使ってほしい」とさえ言ったそうであるが([5]
のNY Times記事を参照)、2014年より活用賞が設けられ[8]、ほかに類を見ないオ
ープンさはいまなお衰えていないようである。

 さて、ブレイトネル展の開催に先立ち、王立美術館から[9]のようなニュースレ
ターが届いた(なお、[9]はオランダ語版のものだが、英語版の講読設定をしてい
なかったので、英語版が配られたかどうかは稿者は承知していない)。題名には“
Maak je eigen kimonoverzameling met Rijksstudio!”(「Rijksstudioで着物のコ
レクションを作ろう」)とあり、王立美術館の所蔵する浮世絵や着物、端切れの画
像のコレクションのひとつが示されていた[10]。興味深いことには、これは[4]
で紹介した展覧会のようにキュレーターによるコレクションが紹介されるのではな
く、いちユーザのコレクションを紹介していることであろう。これによって、たん
にジャポニズムの背景を伝えられるだけでなく、閲覧者がさらにコレクションを探
索し、自身のコレクションを作って公開することを促すことができ、そして、それ
が展覧会の宣伝にもなるわけである。

 もちろん、改修にともなって大規模に館蔵品のデジタル化を進めることができた
という好条件があり、またオランダが国を挙げて文化財をオープンにしてゆく姿勢
を取っているという背景があってこそ、このようなこころみが可能となったために、
第二、第三のRijksstudioが続くということがないのであろう。ただ、アムステルダ
ム王立美術館における教訓といえそうなのは、やはり、デジタル化や公開の範囲を
狭めなかったことにあるのではなかろうか。とくにデータをオープンにするときと
いうのは、よくもわるくも、思いがけない使われ方ができなければ発展しないもの
である。[11]では、あご鬚のコレクションが紹介されているが、自由な見方に委
ねることで、あたらしい波が生まれるということを示しているのではなかろうか。

[1] https://www.rijksmuseum.nl/en
[2] https://www.rijksmuseum.nl/en/breitner
[3] https://www.rijksmuseum.nl/en/rijksstudio
[4] https://www.rijksmuseum.nl/en/asia-in-amsterdam
[5] http://current.ndl.go.jp/node/22242
http://www.nytimes.com/2013/05/29/arts/design/museums-mull-public-use-of...
[6] http://mw2013.museumsandtheweb.com/paper/rijksstudio-make-your-own-maste...
[7] https://www.linkedin.com/pulse/discover-new-features-rijksstudio-peter-g...
[8] https://www.rijksmuseum.nl/en/rijksstudio-award
[9] https://news.rijksmuseum.nl/2/4/158/1/Pzcii7FuuzDlG36Gqxk_4_4bzPmzNdRjv7...
[10] https://www.rijksmuseum.nl/en/rijksstudio/125663--cully/collections/kimono
[11] http://artsmarketing.jp/archives/2801

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◇《特集》「海外DH特集-デジタル時代における人文学者の社会的責任」前編
 (横山説子:メリーランド大学英文学科博士課程)

●はじめに

 私がこの夏から在籍しているメリーランド大学では、“Digital Studies in the
Humanities”という資格課程を2016年秋に立ち上げる準備が着々と進められている。
米国におけるデジタル人文学の中心的研究機関の一つであるメリーランド人文工学
研究所Maryland Institute for Technology in the Humanities (MITH) が1999年と
いう早い段階に立ち上げられたことを考えると、今まで学生のための正式なデジタ
ル人文学プログラムが存在しなかった事の方が不思議に思われるくらいだ。もちろ
ん、デジタル人文学を人文学各分野の研究手法の一環と捉えるか、人文学研究全域
の改新運動の一環と捉えるかによって、デジタル人文学の大学カリキュラム内での
位置づけは異なる(例えば後者は学部生の関心とは相容れない)。大学院教育に特
化して考えると、メリーランド大学は「分野特有の貢献」と「人文学研究再考」の
両方の観点を重視し、研究者兼教育者の育成に力を入れているように思われる。ま
た、私がこれまで在籍していたミシガン大学と比較すると、メリーランド大学は立
地が首都ワシントンに近いからか特に政治的関心が強く、デジタル人文学に関する
講演会でも常に社会正義と人文学研究の関連性が話題にあがる。今回は、特に「人
文学研究再考」の観点に注目し、メリーランド大学でデジタル人文学がいかに教授
されているかをご紹介したい。最後まで読まれた際に、人文学改新運動の一環とし
てのデジタル人文学像が、少しでも垣間見られれば幸いだ。参考とする文献は、今
年度から開講されたMatthew Kirschenbaum教授によるDigital Studies講座で扱われ
たものが主である。

●McPhersonの仮説と警鐘

 新しい資格課程を見据えて開講されたDigital Studies講座は、Tara McPherson
の論文“Why Are the Digital Humanities So White? Or Thinking the Histories
of Race and Computation”(デジタル人文学はなぜそんなに“白い”のか?人種と
コンピュータの歴史に関する考察)の中で提示された問題意識から出発した。主題
は、「社会文化とデジタル技術間に相互作用があり得るか、それとも技術は不偏不
党になり得るか」というものだ。論文中McPhersonは、自身の異なる学会への出席経
験から、アメリカ研究者の懸念事項とデジタル人文学者の関心事項に乖離が存在す
ることに注目した。その上で、今日の学問界で技術と文化の対話が相容れない原因
を追求すべく、McPhersonは時代を1960年代まで遡る。人種にまつわるアメリカ社会
情勢と、時を同じくして開発されたオペレーションシステム開発理念との関連性に、
コミュニケーション断絶の原因を追求しようというのだ。このようにしてMcPherson
は、アメリカにおける人種分離の風潮、ポストフォーディズム生産思想、学問界の
サイロ化には相互作用があり、今こそアメリカ研究とデジタル人文学研究の両分野
が、デジタル時代の批評に取り組む必要があると提唱する。McPhersonの論点は大胆
で、因果関係の提示が困難なために論争の的となるが、彼女が懸念する学問界のサ
イロ化は、デジタル人文学が重視する学際的研究の課題とも関連しており、考慮の
価値があると私は考える。

●デジタル人文学のサイロ化

 それでは果たして学問界は本当にサイロ化し、各分野間のコミュニケーションは
断絶されているのだろうか。まずは小規模な例から分析するために、デジタル人文
学者間のやり取りを見てみたい。例として、元バージニア大学デジタル人文学研究
所Scholars’ Labのディレクターで、現デジタル図書館連盟ディレクターの
Bethany Nowviskieのブログを見てみたい。2011年4月のブログ“What Do Girls
Dig?”(女子は何を好き好む?)は、電子工学技術学会IEEE主催のDigging into
Data Challengeの、講演者男女比率に言及したTwitterでのやり取りをまとめたもの
である。短いブログでありながら、NowviskieのTweetに続くデジタル人文学界の反
応は、サイロ化に関連する二つの現象を浮き彫りにするようにも捉えられる。一つ
目は、歴史的に男性中心主義とも言えるデータ分析にまつわるレトリックに関連し
ている。後援団体の一つである全米人文科学基金NEHに配慮しながらも、Nowviskie
はDigging into Data Challenge講演者33人中、女性研究者がたった2人である事を
取り上げ、女性研究者のデータ分析研究手法への関心度の低さに思いを巡らせる。
“2 of 33 speakers at the (very cool!) Digging into Data event are women.
Casting no aspersions on NEH here! But I wonder: what do girls dig?” (235)
(33人中の2人だけが(とてもクールな)Digging into Dataイベントでの女性発表
者だ。NEH(全米人文科学基金)を中傷している訳ではない!でも疑問が。女子は何
を好き好む?)続くMiriam PosnerとNowviskieのTwitter上の対話は、データ分析か
ら女性研究者を遠ざけている原因の一つとして考えられるものとして、データ処理
を取り巻くレトリックが性別役割分業の歴史を彷彿させるという点があることを面
白おかしく浮き彫りにする。例えばデータ処理を「データ採掘(Data Mining)」と
呼ぶ事で、連鎖的に鉱業に関連する隠喩表現が多く使われ、“dig”という動詞をあ
たかも自然なものとして扱う土壌を提供する(“dig”は「掘り出す」の他にも、
「突き刺す」「食い込ませる」「貪り食う」などのニュアンスも含む)。些細な点
であるようにも思えるが、Nowviskieはレトリックがデジタル人文学内の障壁となる
可能性を示唆し、データ処理が多様な研究者にとって有益であり開かれた分野であ
る事を、レトリックをも通して推奨しようとデジタル人文学界へ呼びかける。“
Improved outreach to particular underrepresented groups is never a bad
idea, but I’d prefer to see NEH and its funding partners (and individual
DH centers and the Alliance of Digital Humanities Organizations and our
publications, etc.) start by becoming more thoughtful about the language
we all use to describe and to signal data mining to a very broad community
of researchers” (240)(少数派コミュニティーへの意識的な働きかけは 決して悪
くないが、全米人文科学基金と協賛団体、各デジタル人文学研究所とデジタル人文
学連合、そして私たちの出版物が、データマイニングが多様な研究者に開かれた分
野であることを、その言語表現を通して示唆されるよう配慮することから始められ
たい)。この提案には、特定のデジタル研究手法が排他的になる事を防ごうとする
Nowviskieの意識が見て取られる。

 McPhersonの主張の証明が難しいのと同様に、言語が職場に与える影響を論じるの
は困難である。しかし、デジタル人文学者の間で「排他的な論」そのものが議論の
対象になることは多々ある。例えばStephen Ramsayの2011年のMLAでの発言は、よく
「プログラミングができなければデジタル人文学者でない」の旨を含むとされ波紋
を呼んだし、デジタル人文学がどこまで包括的であるべきかの議論はこれまでに多
くなされてきた。定義を論じ続けることは決して建設的ではないが、何をデジタル
人文学と呼ぶかは、デジタル人文学の裾野の広がりと大きく関係する。そしてデジ
タル人文学の普及が重視されるのには、それが議論に多様な観点を反映させること
につながるからである。そのような理想的な学際的研究土壌を目指すことはまた、
常にデジタル人文学者自身が意識的に異なる分野との交流を求め続けることを意味
する。Twitterは理論上誰にでも開かれた公の議論の場で、かつ従来の出版手法より
も迅速に学問界内での意見交換をできるという点で、デジタル人文学者の間で中心
的なコミュニケーション手段である。しかし、NowviskieのTwitterのやり取りが浮
き彫りにするように、実際にはごく限られたデジタル人文学者達が中心となって意
見を構成していることは明らかである。この動向は、結果的に一様な意見しか生ま
れてこない状況を作り出す。先に言及したTwitter上でのやり取りも、デジタル人文
学がすでにサイロ化しつつある現状を浮き彫りにする。例えば、NEH職員が男女比改
善のための提案を促すや否や、建設的とは言えないフィードバックが重なった。い
くつものTweetsが“Ask by their name”(該当する人たちの名前を挙げるべき)と
応答し、中には命令口調の“GO FIND THEM”(該当する人たちを探しにいけ)とい
うTweetもあった。残念ながら誰も即時にデータ処理に携わる女性研究者の名前を挙
げられなかったのだ。Nowviskie はデジタル人文学者間での研究手法や内容の表現
方法の隔たりが、このような状況を作り出す原因であると推測する。

  I have a hunch that it’s not just me-that the disconnect from
  certain brands of digital methods felt by many researchers of my ilk
  (note that ilk is not gender) has more to do with the language being
  used for methodological and research-findings descriptions, and the
  intellectual orientation of the people doing the describing, than with
  the nature of, say, data mining itself. (239)(これを感じているのは私だ
  けではないという直感があるのだが、ある種のデジタル研究手法から私の同類
  (同類というのはジェンダーではないことに注意)の多くの研究者が切り離さ
  れていると感じている原因は、データマイニング自体の本質によるものという
  よりは、研究方法論や研究結果の記述のために用いられる言語と、その記述を
  する人々の知的志向により関連があるだろう)。

 Nowviskieはまた、図書館学や社会学を含む人文学各分野の研究者間で柔軟なやり
取りが行われない事は、デジタル人文学にとってその可能性を最大限に活かせてい
ないことを示唆する。なぜなら、デジタル人文学は広大な人文学のごく一部であり、
これからの人文学とより広域な学問界の行く末を考える上で、格好の実験的土壌と
なりうるからだ。Nowviskieがより有益な学術的議論を奨励しようとレトリックにま
で言及するのには、デジタル人文学が学問界を改新しうるというビジョンがあるか
らだ。“After all, digital humanities nerds, we are still the minority in
most of our departments, are we not?” (240)(結局、デジタル人文学のマニア
である私たちは、自らの専攻分野のほとんどで、まだ少数派でしょう)。

●学問界のサイロ化と盲点

 Nowviskieのレトリックに関する懸念は、決して些細な観点ではない。実際に、学
際的な議論の場で、専門用語や議論の手法がコミュニケーションの妨げになる事は
稀ではない。例えば、同じ単語でも分野によってその解釈や思い入れの程度は大き
くことなる。(記憶に新しいのは、2013年に立ち上げられたハーバード大学出版に
よるEmily Dickinson Archiveが「新版」であるか否かを巡る、図書館員と英文学者
との対立である。これについては機会を改めてご紹介したい)。先に挙げた
McPhersonの論文も、学際的な場面において、分野間の専門意識から派生する縄張り
意識によって、その特有な観点に耳を傾けられる事が少ないように思われる。
McPherson自身も認めるように、彼女の論は類推解釈を手法としており、因果関係の
証明は議論の的ではない。McPhersonはそれよりも、「デジタル技術も特定の価値観
を反映しうる社会的産物である」点に議論の焦点を移す必要性を説く。残念ながら、
このような論文が学際的なメーリングリストの議題に上がるや否や、技術者と称す
る研究者、歴史学者、科学技術社会学者から、McPhersonの論が一斉に非難される様
子を目の当たりにする。白熱と野次とが混乱するこのような状況が生まれると、論
点はもっぱらMcPhersonのデジタル技術に関する知識を疑問視する意見や、英文学や
メデイア学の論争方法を自身の属する分野と比較して揶揄する意見などが飛び交う。
実際にこのような非建設的な意見はごく一部であれ、学際的ネットワークの確立の
必要性は必ずしも 研究者の間で共有されているわけでは無い事を再認識させられる。
もちろんMcPhersonの批評は完璧では無い。しかしMcPhersonが提案する類いの社会
批評は人文学が得意とする点であり、デジタル技術の文化批評を欠いている今日の
社会にとっても有益なものである事が伺える。なぜなら、このような議論に耳が傾
けられず学問界内での確執を深めている間にも、学外ではこれから述べるFrank
Pasqualeが彼の書籍で指摘するような、デジタル技術に基づいたブラックボックス
社会が確立されているからだ。

<後編へ続く>

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 続きは【後編】をご覧ください。

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人文情報学月報 [DHM054]【前編】 2016年01月31日(月刊)
【発行者】"人文情報学月報"編集室
【編集者】人文情報学研究所&ACADEMIC RESOURCE GUIDE(ARG)
【 ISSN 】2189-1621
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