ISSN2189-1621 / 2011年8月27日創刊
ここ最近、ルクセンブルク大学の学際研究拠点の一つであり、デジタル・ヒストリーの拠点ともなっている C2DH(Luxembourg Centre for Contemporary and Digital History)の名をよく目にする。2020年末には、デジタル・ヒストリー専門誌である Journal of DigitalHistory の創刊を発表し[1]、我が国の DH 学界でも話題となった。そのような C2DH には、Digital History & Hermeneutics Doctoral Training Unit、通称 DTU というプロジェクトが存在する[2]。これは、「デジタル解釈学」(digital hermeneutics)をキーコンセプトとして、人文学分野とコンピュータ・サイエンス分野の博士後期課程生に、4年間にわたって学際的な研究・学習プログラムを提供するプロジェクトである。ここで問題となる「デジタル解釈学」の内容について、DTU のホームページでは「デジタルツールや技術の批判的・自己反省的な利用、分析に際しての前提条件の精査と精巧な科学的解釈の提出」と定義されている。しかし、これだけでは「デジタル解釈学」が具体的にどのような内容を持つのか、いま一つ掴みきれない。また、そのような「デジタル解釈学」的知見を養うための学際的な研究・教育環境をどのように設計しているのかも重要な問題である。とくに教育環境構築に関しては、日本でデジタル・ヒストリー教育のための本格的な体制が未だ整えられておらず、今後その整備が求められるであろうことを踏まえれば、非常に興味深い先行事例であると言える。
そこで本記事では、2020年に Digital Humanities Quarterly 誌上で発表された「交易空間の中で:デジタル・ヒストリー実験室でのティンカリング」(原題:Inside the Trading Zone: Thinkering in a Digital History Lab)という論考の内容を2回に分けて紹介したい[3]。この論考は、実際にプログラムを受講した13人の博士後期課程生が提出したレポートや、彼らへのインタビューに基づいてプロジェクトの内容を豊かに伝えるとともに、「デジタル解釈学」の理解や、研究・教育環境構築についての問題提起も多く含んでいる。それゆえ、この論考の内容を検討することで、歴史研究におけるデジタル技術の活用がいかにあるべきかについてはもちろん、デジタル・ヒストリーの教育環境構築についても重要な示唆を得られるはずである。
論考全体を通読したうえでその全体を貫くテーマを考えるとするならば、デジタル・ヒストリーの研究・教育実践における「学際性」が真っ先にあげられるべきであることは間違いない。事実、本文中ではこの「学際性/学際的」(interdisciplinarity/interdisciplinary)という語が数えきれないほど現れる。すなわちこの論考は、異なる学問領域間、ここでは主に人文学(歴史学・哲学・言語学・地理学・考古学)とコンピュータ・サイエンスの間でいかに知的交流を促進し、新たな知の創出を促すのか、そのための場をいかに作るかという問題に取り組んでいるのである。そして論考中で著者は、この学際研究のための場を「交易空間」(trading zone)という言葉で表現している[4]。これは、異なる学問領域間でやり取りする際に定める基準や共通ルールが、交易を行う際の共通基準(例えば貨幣単位や帳簿など)と類比されて生まれた表現である。このようなイメージを用いるならば、各学問領域は交易対象物の生産地であるということになり、我々はその間の交易で生じうる危険性、誰が「交易者」となるのか、何が交易されるのかといった問題を考えなければならない。また、「交易空間」を実際に機能しうる物理的な空間としていかに整備するかという問題も重要である。
論考の目的は、DTU での研究・教育実践を具体的かつ先駆的な事例とみなし、これを検討することで、上述のような諸問題に答えることであるとされる。DTU は、デジタル・ヒストリー実験室(Digital History Lab)や C2DH オープンスペースといった空間を整備し、他分野から実際に大学院生を集めて実際に研究・教育プログラムを提供しているという点で、最適な検討対象といえるであろう。その中で行われた様々な形での交流やハンズオン、デジタル技術を用いた実験の内容を精査し、問題点を洗い出すことで、「交易空間」の形成がいかに為されうるのかについて重要な示唆を得ることができる。DTU についての事例研究の方法として著者は、初年度のプログラムに参加した学生に対して行ったインタビューや、彼らが提出したレポートの内容分析を行っている。そこには、実際に学際的なデジタル・ヒストリー研究に従事し、教育を受けた学生たちの率直な意見が述べられており、本質的な指摘も多くみられる。
このような「生の声」を軸に、著者は3つの大きな観点から論考全体を組み立てている。第1の観点は「場についての考え」にまつわる議論であり、物理的・制度的空間としてのデジタル・ヒストリー実験室およびC2DH オープンスペースの意義が検討される。第2の観点では、デジタル・ヒストリーのための「交易空間」としての DTU プロジェクトそのものを扱い、具体的な研究実践や学習プログラムの実態を明らかにすることで、学問領域間の「境界的事物」(boundary objects)の特定、分類が検討される[5]。第3の観点として、「ティンカリング」(thinkering)という概念に基づく DTU の検討が行われる[6]。ここでいう「ティンカリング」とは、素材や道具を様々にいじくりまわすことを意味し、実験的な試行錯誤を意味している。このような試行錯誤の実態を分析することで、デジタルな手法とツールの利用についての認識論的・方法論的な考察が加えられる。最後に結論として、学際的「交易空間」におけるティンカリングが持つ可能性と課題についての総括が為されることになる。
著者によれば、DTU はデジタル解釈学的知見に基づく研究、すなわち「新たな観点からの研究課題設定や分析に際しての先入見の精査、洗練された学問的解釈の生成を実現するための批判的・反省的なデジタルツール、およびデジタル技術の利用」を模索するための場として存在する。それゆえ、そのような教育を実現することのできる研究・学習環境が整えられた。
まずカリキュラム面をみると、4年間のプロジェクトは大きく準備期間・問題設定期間・研究達成期間に分けられるという。このうち、準備期間においては、学生たちに基礎的な技能を習得させて共通の土台を構築すべく、9つの技能学習プログラム(テキストマイニング・デジタル史資料批判・データベース構造・Pythonプログラミング入門・データ可視化・デジタルツール批判・アルゴリズム批判・GIS 分析とマッピングと地図作成・実験メディア民俗誌)が用意されている。当初、これらの技能学習プログラムはすべて必修であった[7]。
次に空間面をみると、まずデジタル・ヒストリー実験室の設置が注目される。この実験室は、GIS や実験心理学、メディア学などの実験室が集まる複合的な実験空間の一部を成しており、分野横断的な実験を行うに適している。また、スキャニング機などのデジタル化装置も備えているため、デジタル・ヒストリー研究を進めるうえでのインフラとしても十分に機能する。このような実験室に加えて、学生たちの相互交流の場としてはC2DH オープンスペースも用意されている。これはいわゆる共有オフィスであり、学生たちが思い思いに作業を進めることのできる空間である。2017年の創設以来、このオープンスペースを利用する学生は徐々に増え、いまでは DTU のメンバー以外の学生も含めた30人ほどの学生が利用しているという。
以上が、DTU が設定した「場」についての概要である。次節以下(後編)では、このような「場」において実際にどのような実践が行われ、どのような成果や課題が明らかになったのかという、いわば論考の核心部分について紹介する。
https://ancientindia-datascience.hakubi.kyoto-u.ac.jp/events-ja/
https://blog.goo.ne.jp/engi-kanto/e/e06cdab9af4eab4f10e232b1efaf36d9
https://jsri.jodo.or.jp/%E8%AC%9B%E5%BA%A7%E6%A1%88%E5%86%85/%E5%85%AC%E9%96%8B%E8%AC%9B%E5%BA%A7/
本レポートは京都大学文学研究科・文学部が主催した公開シンポジウム「デジタル人文学の世界へ」の参加記である。シンポジウムはオンラインで Zoom を用いて開催された。京都大学文学研究科には「専門分化された人文知の領域を横断する知の枠組を創造し、社会に発信する」[1]ことを目的として2019年4月に文化遺産学・人文知連携センター人文知連携拠点が設置された。本シンポジウムはその発信の一環として位置づけられており、「研究者の基本的リテラシーとして捉えうる時期に差し掛かった「デジタル人文学」の課題と、あるべき教育のありよう」[2]を考えることを企図しているように、教育の観点からの議論が多くなされていたことが印象的であった。資料は Web ページ[3]に掲載されているのでご参照いただきたい。筆者は東京大学大学院人文社会系研究科で人文情報学のカリキュラムを受講したが、その経験をまじえつつ個人的に印象に残った議論を取り上げたい。
シンポジウムの前半は三人のプレゼンターによる発表が行われた。大向一輝氏(東京大学大学院人文社会系研究科)と永崎研宣氏(一般財団法人人文情報学研究所)は、デジタル人文学とは何かという基本的な定義や実践事例を紹介しつつ、人文情報学教育に携わる立場から、現在東京大学大学院人文社会系研究科で実施されている教育カリキュラムと今後の展望について紹介した。橋本雄太氏(国立歴史民俗博物館)は主に教育を受けた側の視点から、自身が DH 研究者となるまでの経緯として京都大学文学研究科情報・史料学専修における史料研究支援ツールの開発から始まり、古地震研究会における他分野の研究者との協働を通じたくずし字アプリ「KuLA」や「みんなで翻刻」の開発に至るまでを振り返りつつ、それらを「DH 教育」のカリキュラムとして捉えなおした際の問題点について言及した。後半は、喜多千草氏(京都大学文学研究科)をコーディネーターとし、参加者を含む質疑応答が行われた。以下、三つの議論を取り上げたい。
一点目は大向、永崎両氏の発表において紹介されていたmethodological commons という概念である[4]。多くは「方法論の共有地」と訳されているが、人文学諸分野が扱う資料や研究目的の多様性を前提としつつも個々のコンテンツに依存しない、諸分野の「界面」において、データの分析手法や構築手法、ツールについての知識と実践を共有する場としてのデジタル人文学の特徴をあらわすものである。すでにデジタル人文学の内部では基礎的な概念として浸透しているが、質疑応答の中で「デジタル人文学で何ができるのか」「既存の人文学とデジタル人文学の何が異なるのか」という疑問が提出されていたシンポジウムにおいて、異なる専門知を持つ人々の協働を通じて、相互理解を深める「架け橋」たるデジタル人文学が、分野を横断した共通の議論の場を提供しうるということがあらためて提示されたことは重要であると感じた。この点は、文学部だけでなく全体の学問分野を横断する軸として DH 教育が一つの柱となると述べた宇佐美文理氏(京都大学文学研究科長)の総括においても言及されていた。
二点目はデジタル人文学教育と人文学教育・研究の接続である。東京大学での教育実践において大向氏が課題として挙げていたのは、氏が所属する次世代人文学開発センターが東京大学大学院人文社会系研究科・文学部の附属施設として設置されているがゆえに、研究指導が困難であり、授業時間以外の長期的な視点が必要とされるという点である。既存の人文学の教育課程とデジタル人文学の教育課程の乖離については、橋本氏も触れており、自身の受けた教育を「DH 教育」として捉えたときの課題として、専門課程としての体系的教育を受けたわけではないこと、システム開発に特化した結果、本来の専門である科学史からは離れてしまったことをふまえ、両者の接合の重要性について述べた。
大向氏の発表ではこの課題を補完する活動の一つとして UTDH[5]が紹介されていた。UTDH は人文情報学概論の受講生を中心としたコミュニティで、勉強会や YouTube チャンネルでの情報発信を通じた、研究の方法論の共有を行っている。筆者が参加した時点での活動としては、授業ではカバーされていないツールの紹介や発表指導などが行われており、このような、授業で得た知識を研究発表へと発展させつつ、授業期間外にも継続的な学習と指導を受ける場があることは、学習者としてとてもありがたかった。
三点目はデジタル人文学教育における情報リテラシーの捉え方である。橋本氏は、研究者の DH とのかかわり方について、①「DH の手法を駆使した研究を理解・評価するリテラシーを有する」、②「DH の手法やツールを駆使した研究を自分自身で実行する能力を有する」、③「DH のツールやライブラリ、システムを開発し、他の研究者や一般の利用に供することができる」という三つの段階にわけ、DH 研究者・開発者だけではなく、研究評価者やツールの利用者である①②の能力を持つ人を増やしていくことの重要性について述べた。永崎氏は、「人文学における情報リテラシー」と「研究としてのデジタル人文学」を区別する必要があるとしつつも、両者をどのように接続すべきかという問題に言及していた。具体的な実践事例として永崎氏が紹介していたのが、東京大学における開講科目の一つである「人文情報学概論 I・II」のカリキュラムである。すなわち、前期の授業では、人文学におけるデジタル技術の活用に関する一般的な事項として、書誌情報のデジタル化・効率的な操作と Web を通じたコラボレーション(Zotero)、テキスト分析(Voyant Tools、KH Coder)、テキスト構造化(TEI、Oxygen XML Editor、Versioning Machine 等)、RDF/Linked Data、Web 画像運用(IIIF、Mirador、Omeka)、GIS、時間情報(HuTime)といった基本的な手法・ツールの紹介と実習を通じた情報リテラシーの習得を目的としているのに対して、後期の授業では情報処理学会「人文科学とコンピュータ研究会」学生セッションでのポスター発表までを目標とし、学生の研究課題に応じて個別の指導を行い、一連の研究モデルを提示することを目的としている点に違いがあると述べた。さらに、質疑応答ではデジタル人文学における「一般的な知識」をどのように定義するのか、という問題や個々の事例やツールの紹介にとどまるのであれば、ツールのブラックボックス化につながってしまう可能性が高く、個々のツールが現在形へと至る技術史的背景や批判的視点も同時に提示することの必要性が指摘されていた。
近年のデジタル人文学を大学の教育制度の中に取り入れていく流れにおいて、デジタル人文学がどのような知識とツールによって成り立ってきたのか、何を可能にするのかという基本的な点を再度提示し、認識を共有した点に本シンポジウムの意義を感じた。
最後に筆者の個人的な経験に即す形になり恐縮だが、私見を述べたい。筆者がデジタル人文学を学ぶ中で魅力を感じたのは、扱う資料や必要とされる知識の違いは一旦横に置いて、資料をどのように扱うのか、という手法の面において専門分野の異なる人々が議論しあえる場であることに自覚的であるということだ。この点は先述のように今回のシンポジウムで広く共有されたものだと思う。また、デジタル人文学に興味を持ち、実践へと至るうえで専門課程の中のカリキュラムとして身近にあり、継続的に学習できる環境が用意されていたことが重要な要素であったと感じる。このような場が今後も広がっていくことを期待したい。
年が明けてからしばらくは、期せずして、日本語資料に付された行間注について色々と考えねばならない機会を得ることとなった。一つは、お手伝いをしている関西大学KU-ORCASプロジェクトにおける廣瀬本万葉集という写本のテキストの構造化の件であり、もう一つはTEI (Text Encoding Initiative)ガイドラインにおけるルビの提案についてである。
前者については、その写本における訓などの書き入れの状況が伝本研究に影響を与えたということであり、その一部をTEIガイドラインに準拠して可能な限りその関係の情報を記述するという形で構造化テキストデータが作成されるという仕事がプロジェクトとしてすでに昨年中に一区切りしていた。年明けからはそれを受けて筆者がそれらをうまく閲覧できるようなビューワを開発するということになっていたが、この写本は、訓が二重についていたり、注や訓が同じ箇所にいくつもついてたりすることがある。構造的にタグを付与したことで理論的にはその文脈に応じてデータを取り出したり表示したりできるようになっているものの、そのままでは、誰でもすぐにごく簡単に表示させられるというわけではない。欧州の文献であればすでに様々なビューワが開発・公開されているが、日本語向けの縦書きでそれらを簡単に表示してくれるソフトウェアというのはまだ十分には開発されていない状況である。そこで、いかにして、行間に書き込まれている訓や注などをみやすい形で表示させたり表示させたりるか、ということにしばらくの時間をかけて開発を行っていた。この成果は2/13の人文科学とコンピュータ研究会でオンライン発表する予定であり、ご興味がおありのかたはぜひご参加されたい。
後者に関しては、TEI協会東アジア/日本語分科会として半年ほど前に提案したものだったが、特にこの数日、議論するなかで
(永崎研宣)