ISSN 2189-1621

 

現在地

DHM 145 【前編】

人文情報学月報/Digital Humanities Monthly


人文情報学月報第145号【前編】

Digital Humanities Monthly No. 145-1

ISSN 2189-1621 / 2011年08月27日創刊

2023年8月31日発行 発行数1083部

目次

【前編】

  • 《巻頭言》「和歌検索テキストの往古来今:牛飲水為乳、蛇飲水為毒
    加藤弓枝名古屋市立大学大学院人間文化研究科
  • 《連載》「欧州・中東デジタル・ヒューマニティーズ動向」第62回
    古代エジプト神官文字(ヒエラティック)の字形画像データベース AKU-PAL
    宮川創人間文化研究機構国立国語研究所研究系
  • 《連載》「デジタル・ヒストリーの小部屋」第18回
    実験型博物館学とデジタル・ヒストリーの交差点としての没入体験:DH2023 Graz 開会基調講演をうけて
    小風尚樹千葉大学人文社会科学系教育研究機構

【後編】

  • 《連載》「仏教学のためのデジタルツール」第10回
    Resources for Kanjur & Tanjur Studies
    朴賢珍東京大学特任研究員
  • 人文情報学イベント関連カレンダー
  • イベントレポート「DH2023におけるセマンティックウェブ最新動向
    小川潤ROIS-DS 人文学オープンデータ共同利用センター
  • イベントレポート「DH 的方法論の信頼性:文体統計学に於ける議論を事例に
    望月澪東京大学大学院人文社会系研究科
  • 編集後記

《巻頭言》「和歌検索テキストの往古来今:牛飲水為乳、蛇飲水為毒

加藤弓枝名古屋市立大学大学院人間文化研究科准教授

1. 牛は水を飲みて乳とし、蛇は水を飲みて毒とす

普段から車で行き来する堤防道路沿いに、そこだけ取り残されたように木々に覆われた寺がある。それが無住道暁(1226~1312)によって『沙石集』が著された長母寺(愛知県名古屋市東区)であると知ったのは最近のことである。尾張でこの中世仏教説話集が纏められたことは知っていたが、実際の場所を把握していなかったとは、日本古典文学研究者の端くれとして、「灯台もと暗し」などと開き直ることもできない。『沙石集』を冒頭から繰っていたところ、『沙石集』巻第一ノ十「浄土宗の人、神明を軽しむべからざる事」末にある、以下の記述が目に留まる[1]。

六祖云はく、「邪人正法を説くには、正法、邪法となる。正人邪法を説くには、邪法、正法となる」と。牛は水を飲みて乳とし、蛇は水を飲みて毒とするが如し。

唐代の禅宗第六祖の恵能による「よこしまな人が正しい教えを説けば、正しい教えもよこしまな教えになってしまう。正しい人がよこしまな法を説けば、よこしまな法も正しい法となる」という言葉について、「牛は水を飲んで乳に変え、蛇は水を飲んで毒に変えるようなもの」と説明している箇所である。この言葉は現在でも、「同じものでも使い方によっては、毒にも薬にもなる」という喩えとして使用されるが、現代のテキストデータベースの功罪に関する言説にも同様の警鐘が見受けられる。

2022年度から「次世代の翻刻校訂モデルを搭載した中世歌合データベースの構築と本文分析の実践的研究」[2]という共同研究を開始したが、その成果を革新的なものにするほど、危惧する声が上がると予想する。しかし、それでも我々は歩みを進めるべきだと信じている。なぜそのように考えるのか、和歌のテキスト検索の歴史を辿りつつ、述べてみたい。

2. 和歌検索テキストの変遷:『国歌大観』の登場まで

日本の古典文学のなかで、和歌文学はテキストデータが比較的充実している分野である。それは、古典和歌が類型の文学であることに起因する。先例や故実を重んじるのが日本文化の特徴であり、和歌も前代の作品の強い影響下で詠まれてきた。よって、前近代の歌人たちは、先行する和歌作品を参照する必要があり、そのような歌書が古くから求められた。

具体的には、小林一彦が指摘するように、平安時代には『古今和歌六帖』のような主題別の歌集、院政期には『類聚古集』のような歌語・歌ことば別の『万葉集』のテキストが編まれ、鎌倉時代になると『撰句抄』や『撰集佳句部類』のような和歌検索テキストが登場する[3]。基本的な歌書が刊行された江戸時代前期には、二十一代集や諸物語に収録される和歌の下句をいろは順に分類・配列し、上の句ならびに作者・出典を検索できる山本春正編『古今類句』(寛文6年[1666]刊、大本36冊)が出版された。そして、明治時代になり、和歌文学研究史において画期的な書物と評される、松下大三郎・渡辺文雄編『国歌大観』(初版:歌集3冊・索引4冊、川合松平、1901~1903年)が刊行されるに至る。和歌検索テキストと言えば、研究者や歌人の多くは、この『国歌大観』正篇ならびに続篇と、のちの『新編国歌大観』(角川書店、1983~1992年)を思い浮かべるであろうが、その原型はすでに鎌倉時代にはできあがっていたのである[4]。

ところで、『国歌大観』の編纂の経緯については、『新編国歌大観』刊行を記念して催された座談会における関係者の証言によって、断片的にではあるが明らかにされている[5]。それによれば、明治33年(1900)頃に松下大三郎(1878~1935)が神田あたりの夜学で講師役を務めた際に、國學院の同級生であった渡邊文雄から『古今類句』の改訂復刊について相談されたことが契機となったという。わずか5分ほどの時間であったと言うが、その際、和歌は五七五七七で構成されているため、5つに分割して、どの句からも和歌を検索できるようにする案が松下から提示されたと思しい。そして実際に編纂を開始し、翌年には刊行してしまうのである。編者には松下と渡邊の名が連なるが、出版費の出資を渡邊が担い、編纂作業は松下が鈴木行三の協力を得ながら進めたという。驚嘆すべきはこの時、松下は数えで23~24歳であったことである。

周知の通り、松下大三郎は現代日本語学の創始者と位置づけられる文法学者であるが、この頃は大学を卒業して数年の駆け出しの学者であり、いかなる職業に就いていたかも分からない。しかも、『国歌大観』を出版した同じ年に、松下は卒業論文を改訂した『日本俗語文典』(誠之堂書房、1901年)を公刊している[6]。卒業論文を基としているとは言え、自身の専門領域の書籍と、一から原稿を作成する必要のある専門外の和歌索引書の編纂作業を、ほぼ一人で並行して進めていたことになる。のちに松下はグライダーや計算器、和文タイプライターなどを発明し、いくつか特許も取っている奇才の主であるが[7]、専門分野を問わず、画期的なものを思いついたら、その完成に尋常ならざる熱量を注ぐ傾向は、『国歌大観』編纂に始まったと言っても過言ではない。

3. 次世代の翻刻校訂モデル構築を目指して

先述の通り、古典和歌は類型の文学であり、先行する和歌作品の影響下で詠まれた。よって、その考察には相当量の古典詩歌の記憶が必須であり、『源氏物語』などを読む際にも『古今和歌集』は全首把握しておくといったような心構えが必要とされてきた。しかしながら、辞書的に用いることができる『国歌大観』が登場したことによって、是非はともかくとして、そういった前提条件が取り除かれたのである。さらに、画期的であったのが、歌集ごとに和歌に通し番号――いわゆる「国歌大観番号」が振られたことである。現在、日本文学領域の学術論文において古典和歌を用いる際には、『新編国歌大観』の番号を明記することが規範となっている[8]。

このように国歌大観の刊行は、その後の日本文学研究の発展に寄与し、著しい影響を及ぼした。しかしながら、功績があればその逆の弊も生じる。とくに、収録歌数を拡充させ、すぐれた本文を提供する『新編国歌大観』(角川書店、1983~1992年)が出版されると、それに頼り切った付け焼き刃の研究に対する危惧の念が抱かれるようになる。とくに索引という便益なものの存在は、歌集全体を丁寧に味読する営為を怠らせ、研究を形骸化させる危険を抱え込んでいるといった苦言が呈された[9]。その後、『新編国歌大観』が CD-ROM やオンライン上でテキスト検索可能になると、いよいよその至便さへ警鐘が鳴らされてきた。『新編国歌大観』の編集委員の一人である島津忠夫は「索引は使うものであって、索引の便利さに使われてしまってはいけない」という言葉を残した[10]。索引を検索に換言すれば、現代のテキストデータベース全般の功罪を言い表してもいる。加えて、『新編国歌大観』については、第1巻の刊行から40年が経過しているが、異文情報が検索結果に反映されることはなく、出版時と同じ本文を使用し続けている。その面からも、最善本を底本としているとはいえ『新編国歌大観』に依存しすぎるのは危うい。

ところで、現在、我々の共同研究では、歌合版の翻刻校訂モデルを TEI ガイドラインに則って構築している。すでに、デジタルテキストなしでは、和歌研究は立ちゆかない状況にあるが、今後、テキストの構造化がうまくでき、それを可視化できるビューワを開発できたならば、これまでにない革新的なデジタルテキストが研究利用可能となる。しかし、無事に生み出すことができたとしても、その活用を危惧する声が上がることは想像に難くない。

次世代のデジタルテキストは、水を乳となす牛のごとき利用者によって、『国歌大観』以上に研究の新たな地平を切り拓く可能性がある。一方で、その新しき水は、毒蛇のごとき利用者によって、弊害を生み出す危険も内包する。しかし、和歌検索テキストやデータベース自体に問題があるのではなく、ことの成否はそれを利用する側に委ねられている。毒蛇を恐れ、乳を生み出す牛に新しい水を与えないわけにいかない。ゆえに、今日も我々は新たな水を求めて歩み続ける。

[付記]執筆にあたり、研究分担者の幾浦裕之氏と田口暢之氏より助言を得た。ここに記して深謝申し上げる。なお、本稿は JSPS 科研費 JP22K00303の研究成果の一部である。

[1] 小島孝之・訳『新編日本古典文学全集52 沙石集』小学館、2001年、p.67。
[2] 基盤研究(C)「次世代の翻刻校訂モデルを搭載した中世歌合データベースの構築と本文分析の実践的研究」https://kaken.nii.ac.jp/ja/grant/KAKENHI-PROJECT-22K00303/、研究代表:加藤弓枝、研究分担者:田口暢之・海野圭介・幾浦裕之、2022~2025年度。
[3] 小林一彦「定家卿真筆拾遺愚草ニモ〓{草冠+補}ノ字ヲかゝれ候―可視テキストの向こう側―」『国文学研究資料館調査研究報告』30、国文学研究資料館、2010年3月、pp.11–22。
[4] 小林、前掲論文、p.12(注3)。
[5] 松下駿三・岡野弘彦・徳田政信・塩澤重義・永持道明「〈特別座談会〉松下大三郎と『国歌大観』」『短歌』30-2、角川文化振興財団、1983年2月、pp.101–123。
[6] 益岡隆志「〈特集 日本語学を創った人々〉松下大三郎」『日本語学』39-1、明治書院、2020年3月、pp.10–13。
[7] 塩澤重義『国語学史における松下大三郎―業績と人間像―』桜楓社、1992年。
[8] 『万葉集』に関しては旧国歌大観番号を使用することが通例となっている。島津忠夫「『万葉集』の歌番号」『島津忠夫著作集別巻4 老のくりごと―八十以後国文学談義―』和泉書店、2017年、pp.222–225。
[9] 谷沢永一「本に怨みは数々ござる」『短歌』30-2、角川文化振興財団、1983年2月、pp.138–139(注5)。島津忠夫「ひとつの「学界展望」から―ふたたび『新編国歌大観』のことなど―」、前掲書、pp.210–212(注8)。
[10] 島津忠夫「『新編国歌大観』の功罪―編集委員の一人の立場から―」、前掲書、pp.111–114(注8)。

執筆者プロフィール

加藤弓枝(かとう・ゆみえ)。名古屋市立大学大学院人間文化研究科准教授。専門は日本近世和歌文学、日本書誌学。博士(文学)。主な論文に「絵入百人一首の出版―女子用往来物を中心に」(中川博夫・田渕句美子・渡邉裕美子編『百人一首の現在』青簡舎、2022年)、「正保版『二十一代集』の変遷―様式にみる書物の身分」(『雅俗』19、2020年7月)などがある。
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《連載》「欧州・中東デジタル・ヒューマニティーズ動向」第62回

古代エジプト神官文字(ヒエラティック)の字形画像データベース AKU-PAL

宮川創人間文化研究機構国立国語研究所研究系

ナイル河谷とナイルデルタを中心に発展してきた古代エジプト文明では、神殿や墓、石碑などで使われた記念碑的なヒエログリフ(聖刻文字)のほかに、早くから、パピルスやオストラカ (陶片)にインクと筆を用いて書くためのヒエラティック(神官文字)も存在した。このヒエラティックは約3000年にわたって使用されていた。

筆者は、8月6日から11日まで、オランダのライデン大学で開催された第13回国際エジプト学者会議(ICE XIII: The 13th International Congress for Egyptologists) [1]に出席し、エジプト学関連の様々なDHプロジェクトの発表に参加した。そこでは非常に数多くのプロジェクトの新しい展開や、新しく始まった DH プロジェクトの成果が発表された。その中でも、2つの発表があった、マインツ大学とマインツ科学・文学アカデミーとダルムシュタット工科大学が開発している AKU-PAL[2]の発展は目を見張るものがある。

この AKU-PAL は、GUI を用いた AKU プロジェクトのオンラインプラットフォームである。ヒエラティックのそれぞれの文字の書体を文献別・書記別・地域別・時代別に閲覧できるものである。AKU とはドイツ語で Altägyptische Kursivschriften(古代エジプト語の崩し字)の頭文字である。このプロジェクトは、紀元前2700年頃から紀元後300年頃までの、地域、ジャンル、文字媒体(パピルス、オストラカ、リネン、革、木、粘土、石など)を考慮しながら、文字を厳選し、ヒエラティックの目録を体系的に記録してきた。

以下、実際の用い方を説明する。AKU-PAL のトップページ(https://aku-pal.uni-mainz.de/)には、「Grapheme」「Datierungen」「Schriftträger」「Texte」という4つの赤いタイルがある。「Grapheme」(書記素)をクリックすると、ヒエログリフの一覧が出てきて、一つのヒエログリフをクリックすると、それらのヒエログリフに対応するヒエラティックや筆記体ヒエログリフの、様々な文献から実際に抜き出した字形データを閲覧することができる。ここで用いられているヒエログリフのリストは、エジプト学で伝統的に用いられてきた Gardiner のヒエログリフリスト[3]とは一線を画すものである。Gardiner のリストよりも AKU のリストは体系化されており、Gardiner にはない、プトレマイオス時代の碑文に用いられている多くの異体字が登録されている。「Datierungen」(年代)をクリックすると、「Altes Reich」(古王国)や「Mittleres Reich, 12. Dynastie」(中王国第12王朝)など、時代区分とともに文献情報が書かれたタイルが時代順で現れる。ここに書かれている時代は、大区分だけの時もあれば、王朝名などより細かい区分が書かれることもあり、文献によって深度は異なる。これらのヒエラティック文献は、AKU のデータが取られた文献であり、その一つをクリックすると、文献のメタデータを見ることができる。「Schriftträger」(書記媒体/素材)では、それらの文献が書かれた素材(パピルス、石、木材など)や書かれた場所のメタデータを見ることができる。「Texte」(テキスト)では、全ての文献がタイトルとテキスト・ジャンル付きのタイルで表され、年代・地域・書記媒体で絞り込むことができる。

図1:Grapheme のヒエログリフリストから、AKU 番号0100(MdC A5)のヒエログリフに対応するヒエラティック一覧を開いた図

AKU-PAL には6種類の検索オプションがある。ヒエログリフの符号化形式としてよく使われている Manuel de Codage (MdC) や AKU 独自の番号などで検索することができる。また、Grapheme のタイルをクリックして現れるヒエログリフをクリックすると、対応するヒエラティックの様々な字形画像を見ることができる。これらの画像は、時代別に並べられている。そのうちの一つの画像をクリックすると、図2のように大きなスキャン画像やベクター画像(SVG)などを閲覧でき、さらに、その字形が切り出された文献のメタデータを見ることができる。

図2:Hieratogramm 番号5091の閲覧ページの上部

例えば、図2の文字の画像(Scan および SVG)は、Georg Möller の影印による。この文字を有する文献は、大英博物館の所蔵番号 EA10490の文献である。この文字は、AKU 番号では A0100であり、ガーディナー番号を用いた MdC では A5である。それぞれの字形画像には Hieratogramm 番号が割り当てられており、図2の字形画像は5091番である。この文字が象っている大カテゴリー「A - Männer und anthropomorphe Götter(A - 男性と人型の男神)」と小カテゴリー「sitzend od. stehend - mit Attribut(座位または立位 - 属性あり)」、そして、個々の文字の象形に関する記述「sich unter Mauerecke verbergend(壁の角に隠れる)」がある。

図3:Hieratogramm 番号5091の閲覧ページの下部

その下には、図3のように、その文字の大きさ、年代(ここでは第三中間期の第21王朝)が書かれている。

AKU-PAL の、それぞれの文字を様々な文献から切り出してきた画像には、それぞれ固有のライセンスが付けられている。論文や他のデータベースなどで二次利用する場合、これらのライセンスに注意しなければならない。図2・3の字形画像の場合は、CC-BY 4.0で提供されているため、著作者の情報の表示をしておけば、二次利用が可能である。

デモティック(民衆文字)の古書体学データベース The Demotic Palaeographical Database Project (DPDP)[4]、ヒエログリフの字典データベースである Thot Sign List[5]、ヒエログリフの古書体学データベースである A Palaeography of Polychrome Hieroglyphs[6]、ヒエラティックの大家 Georg Möller が著した古書体学の書籍 Hieratische Paläographie[7]をウェブアプリケーション化した Hieratische Paläographie DB[8]などに各 Graphem[9]からリンクが貼られており、関連するデモティックやヒエログリフなどのデータを見ることが可能である。

AKU プロジェクトは IIIF に対応作業中とのことであり、IIIF を通して VIKUS Viewer[10]を用いてそれぞれの Hieratogramm を年代順に美しく配置する視覚化を披露した発表もあった。ICE XIII では、AKU に限らず、様々な DH の発表が行われた[11]。そのほか、エジプト学の学術論文や 一般書・教科書、古代エジプト関連の DH プロジェクトでばらばらだったエジプト語のラテン文字による子音転写(エジプト学では transliteration「翻字」と呼ばれる)を統一する Leiden Unified Transliteration / Transcription (LUT)[12]が決議され、発表された。ここでは、y や j で書かれていたガーディナー番号 Z4の文字を、Werning (2015)[13]などと同様、ï で書き、M17の文字(LUT では、i の上点をコンマで書く ı͗)および M17a(LUT では y)の文字と弁別する方式が取られたのが特徴的であった。このように ICE XIII は、エジプト学系の DH プロジェクトおよび DH 基盤に様々な傑出した進展が見られた大会であった。

[1] “Home,” The 13th International Congress of Egyptologists, accessed August 18, 2023, https://ice2023.com/.
[2] “AKU-PAL,” AKU: Paläographie des Hieratischen und der Kursivhieroglyphen, accessed August 18, 2023, https://aku-pal.uni-mainz.de/.
[3] Sir Alan H. Gardiner, Egyptian Grammar: Being an Introduction to the Study of Hieroglyphs. 3rd Ed., Rev. Oxford: Griffith Institute, 1957, pp. 438-548(第一版は1927年出版).
[4] “The Demotic Palaeographical Database Project (DPDP),” DPDP, accessed August 18, 2023, http://129.206.5.162/.
[5] “Home,” Thot Sign List, accessed August 18, 2023, https://thotsignlist.org/.
[6] “A Palaeography of Polychrome Hieroglyphs,” The Polychrome Hieroglyph Research Project, accessed August 18, 2023, https://www.phrp.be/Palaeography.php.
[7] Georg Möller, Hieratische Paläographie: die aegyptische Buchschrift in ihrer Entwicklung von der fünften Dynastie bis zur römischen Kaiserzeit, 4 vols, Leipzig: J.C. Hinrichs, 1909–1936.
[8] “Hieratische Paläographie DB,” Hieratische Paläographie DB, accessed August 18, 2023, https://moeller.jinsha.tsukuba.ac.jp/.
[9] この A0100の文字(MdC では A5)の場合、Graphem のアイテムページは、https://aku-pal.uni-mainz.de/graphemes/34(2023年8月29日閲覧)。
[10] “VIKUS Viewer: Explore cultural collections along time, texture and themes”, VIKUS Viewer, accessed August 18, 2023, https://vikusviewer.fh-potsdam.de/.
[11] 筆者も言語学のセッションでの共同発表のほか、エジプト学と AI のワークショップで発表を行った。
[12] “The Leiden Unified Transliteration,” The 13th International Congress of Egyptologists, accessed August 18, 2023, https://ice2023.com/en/news/lut.
[13] Daniel A. Werning, Einführung in die hieroglyphisch-ägyptische Schrift und Sprache Propädeutikum mit Zeichen- und Vokabellektionen, Übungen und Übungshinweisen, Berlin: Humboldt-Universität zu Berlin, 2015. Available at https://edoc.hu-berlin.de/bitstream/18452/14302/1/21vhwqXNyo6Qc.pdf (accessed August 18, 2023).
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《連載》「デジタル・ヒストリーの小部屋」第18回

実験型博物館学とデジタル・ヒストリーの交差点としての没入体験:DH2023 Graz 開会基調講演をうけて

小風尚樹千葉大学人文社会科学系教育研究機構助教

はじめに

2023年7月10日~14日にオーストリアはグラーツで開催された ADHO(国際デジタル・ヒューマニティーズ学会連合)の年次大会 DH2023では、開会の基調講演として、スイス連邦工科大学ローザンヌ校(École polytechnique fédérale de Lausanne、以下 EPFL)の Sarah Kenderdine 教授が “Two-Fold Revolutions: Computational Museology in the Age of Experience” と題した講演を行った。淡々と、しかし洗練された語り口と映像美が織りなす印象的なプレゼンテーションは、筆者を含め多くの聴衆の心に残るものだったように思う。幸い、公開録画が DH2023事務局の公式YouTubeチャンネルにアップされているので、ぜひご覧いただきたい[1]。

本稿は、この基調講演で扱われたデジタル時代の博物館学と、デジタル・ヒストリーの議論の交差点を探りつつ、特に歴史研究の成果としての展示コンテンツに対するユーザの没入体験が意味し得るものについて若干の考察を加えたい。なお、基調講演の内容を支える Kenderdine の議論がすでにブックチャプターとしてオープンアクセスで刊行されており[2]、本稿はこの論文の内容を中心に検討したい。

デジタル時代の博物館学研究拠点としての EPFL

本題に入る前に確認しておきたいことがある。前述の通り Kenderdine は、EPFL に2017年に教授として任命された。EPFL では、隈研吾による学際性を体現すべく設計された EPFL パビリオン[3]のEPFL側の責任者を務め、現在はそのパビリオンに位置する Laboratory for Experimental Museology (eM+) という研究拠点を率いており、GLAM 機関(Gallery, Library, Archives, Museum)のためのインタラクティブで没入的な鑑賞体験を提供するチームのマネジメントをしている[4]。eM+は、VR・AR 分野における最先端の視聴覚システムを8つ有し、アジア・オセアニア・ヨーロッパを含む世界各国の有形無形の文化財を対象とした、コンピュータ・サイエンスに基づく高精細3D データの展示やインスタレーションを展開している[5]。なお eM+は、EPFL のデジタル・ヒューマニティーズ修士課程(MSc in Digital Humanities)に Cultural data sculpting という演習科目を提供しており、eM+の最先端システムを駆使したインスタレーションをデザインする課題を学生に課すなど[6]、EPFL の教育面での充実にも貢献しているようだ。

実験型博物館学とデジタル・ヒストリーの交差点としての没入体験

eM+が展開しているようなユーザの体験を重視した博物館学の展示をデザインする動きは、1980年代にさかのぼることができるとのことだが、Kenderdine が90以上の展示・インスタレーションを通して実践してきた実験型博物館学(experimental museology)は、この系譜を継ぎつつも、「文化遺産保護の主たる保管者かつ歴史に対する権威的存在という、時代遅れで単線的、本流を自負する博物館のメンタリティがいまだに無傷であることに対する、デジタル化を通じた挑戦」を突き付けているという[7]。実験型博物館学が提供するのは、文字だけに頼らない音声・映像を駆使したマルチモーダルな大規模コレクションの展示を通した、鑑賞者の感情を喚起する体験を提供する一連のモデル・ツール・プロセスである[8]。

たとえば、Kenderdine が2016年に手がけた Atlas of Maritime Buddhism プロジェクトでは[9]、世界初のディープマッピング・データ・ブラウザ(全方位3D バーチャル環境で開発されたナビゲーション・インタフェース)上に、インドから東南アジアと南シナ海の港を通じて仏教が広まり、アジアと世界の歴史に多大な影響を与えた異文化交流が盛んになったというストーリーを関連づけて提示することを目的としたものである。世界中の研究者からの寄稿により、地理空間座標、何百もの場所の地名、遺跡や遺物の画像、宗教的・地政学的帝国とその勢力圏、サンスクリット文書の碑文と翻刻、歴史地図、貿易記録、水路データ、モンスーンの記録、難破船のデータセットなど、異なる位相の、しかし年代が互いに重なり合うできごとをディープマッピングする(図1)。

図1 Atlas of Maritime Buddhism の例[10]

このアプローチにより、地図という情報伝達デバイスが、時間的に固定された地図上に情報をプロットするものではなく、集合的な動きや時間的・空間的な次元を動的に捉えるためのものであるという解釈論的転回を促すものであることが示されることになる[11]。

ユーザの体験を重視する観点からすると、この Atlas を鑑賞する度に、新たな形の物語が観客によって生み出されることが重要である。語り手から聞き手へと直線的・一方向的に伝えられる知識生産の旧来の枠組みから解き放たれた、このようなデータ主導のストーリーテリングは、展示物の設置が終わった時点で展示が完成するのではなく、展示物と鑑賞者との相互関係の中で、今・ここで・あなたにしか見つけることのできない展示が無数に生み出される可能性を提示していると言えよう。

他方、デジタル・ヒストリーの分野では、2008年時点の座談会ではあるものの、デジタル・ヒストリーの新しい展開を支える視覚化ツールの意義を考察するにあたって、博物館における没入型の鑑賞体験についての Journal of American History 誌上での議論が参考になるとしている。博物館における没入型の鑑賞体験は、文化財や歴史のストーリーを語り、感情を喚起することによって、鑑賞者をその時代・そのできごとの当事者として引き込み、学習機会を提供することができる。ただし、静的なテキストや写真だけでは実現することのできない、展示空間という装置を最大限駆使した鑑賞体験を提供するという博物館の実践が、歴史研究のナラティブにどのような影響を及ぼすかについては、当時の時点では慎重な見解がパブリック・ヒストリーの研究者から見られた。すなわち、体験それ自体はパブリック、つまり普通の人々の歴史実践にとって重要だが、それだけでそれまでよりも良い、あるいはまったく異なる歴史像が描けるわけではないというものである[12]。

おわりに

たしかに、無数の鑑賞体験の可能性が開かれているということは、その展示物の解釈が鑑賞者に委ねられているということであるから、歴史研究者にとってみれば不都合な面もあるだろう。すなわち、自分自身の研究成果としての歴史解釈を提示する際に、あまりに情報の多い、豊かなビジュアライゼーションを提示することは、自らの意図したプロットに沿った通りの内容を読者に受け取ってもらえない可能性があるためである。もちろん、博物館の展示と歴史研究の成果の提示では、目的や想定される聴衆に違いがあるだろうから、十把一絡げに議論を進めることはできない。

しかしながら、探索的データ分析やデータ・ファーストのアプローチの考えからすると[13]、Atlas of Maritime Buddhism のような多次元の時空間情報を重ね合わせて関連づけるディープマッピングの手法は、研究デザインの段階における新たな知見の発掘に対して、特に共同研究プロジェクトでは威力を発揮するだろう。さらに、研究成果を発信する段階においては、情報の全体像を提示した上で、当該研究が注目したポイントやストーリーを選択して提示することができると思われる。ディープマッピング自体には多大なコストがかかるだろうが、このような研究上のメリットは見込まれるだろう。

時代が進み、技術が進歩し、われわれを取り巻く視聴覚を中心とした体験型デバイスの環境は激変している。二次元の視覚情報のリテラシーに関しては、Edward Tufte をはじめとする研究者による体系化が進んで久しいが、時空間的要素を含む多次元情報を読み解くリテラシーの構築の議論はまだ始まったばかりである[14]。EPFLも含めて、今後の展開を注視していきたい。

[2] Sarah Kenderdine, “Experimental Museology: Immersive Visualisation and Cultural (Big) Data,” in, Marianne Achiam, Michael Haldrup, and Kirsten Drotner, eds., Experimental Museology: Institutions, Representations, Users, London: Routledge, 2021, https://doi.org/10.4324/9780367808433, pp. 15–34.
[7] Kenderdine, “Experimental Museology: Immersive Visualisation and Cultural (Big) Data,” p. 16.
[8] Kenderdine, “Experimental Museology: Immersive Visualisation and Cultural (Big) Data,” p. 20.
[9] “Deep Mapping: The Atlas of Maritime Buddhism,” EPFL, https://www.epfl.ch/labs/emplus/projects/page-155231-en-html/.
[11] Kenderdine, “Experimental Museology: Immersive Visualisation and Cultural (Big) Data,” pp. 27–29.
[12] Daniel J. Cohen, Michael Frisch, Patrick Gallagher, Steven Mintz, Kirsten Sword, Amy Murrell Taylor, William G. Thomas, III, William J. Turkel, “Interchange: The Promise of Digital History,” The Journal of American History, Vol. 95, No. 2, 2008, https://doi.org/10.2307/25095630, pp. 468–470.
[13] これについては、小風尚樹「《連載》「デジタル・ヒストリーの小部屋」第4回「詳細なレシピもいいが、肝心の料理の質を上げてくれ:議論主導型のデジタル・ヒストリーと探索的データ分析」『人文情報学月報』第129号【中編】、2022年4月、https://www.dhii.jp/DHM/dhm129-2 を参照されたい。
[14] Susan Schreibman and Costas Papadopoulos, “Textuality in 3D: three-dimensional (re)constructions as digital scholarly editions,” International Journal of Digital Humanities, Vol. 1, 2019, https://doi.org/10.1007/s42803-019-00024-6, pp. 221–233.
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