ISSN 2189-1621

 

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DHM 081 【前編】

2011-08-27創刊                       ISSN 2189-1621

人文情報学月報
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄Digital Humanities Monthly

             2018-04-30発行 No.081 第81号【前編】 735部発行

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 ◇ 目次 ◇
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【前編】

◇《巻頭言》「デジタルリソースの恒久性の不可能性を前提として」
 (岩崎陽一:名古屋大学大学院人文学研究科)

◇《連載》「Digital Japanese Studies寸見」第36回「『2018 Spring Tokyo Digital History Symposium ツイートまとめ』を読んで」
 (岡田一祐:国文学研究資料館古典籍共同研究事業センター)

◇《連載》「欧州・中東デジタル・ヒューマニティーズ動向」第1回
 (宮川創:ゲッティンゲン大学)

【後編】

◇《連載》「東アジア研究とDHを学ぶ」第1回「関西大学アジア・オープンリサーチ・センター(KU-ORCAS)とは」
 (菊池信彦:関西大学アジア・オープン・リサーチセンター特命准教授)

◇人文情報学イベントカレンダー

◇イベントレポート「第6回CODHセミナー歴史ビッグデータ~過去の記録の統合解析に向けた古文書データ化の挑戦」
 (佐藤正尚:東京大学大学院総合文化研究科言語情報科学専攻博士後期課程)

◇編集後記

◇奥付

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【人文情報学/Digital Humanitiesに関する様々な話題をお届けします。】
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◇《巻頭言》「デジタルリソースの恒久性の不可能性を前提として」
 (岩崎陽一:名古屋大学大学院人文学研究科)

 2016年から1年余り、ハワイ大学マノア校の哲学科で訪問研究員として研究をした。そこはさながら哲学者養成機関のようであり、学生や研究者は歴史研究や文献研究よりも哲学的問題の検討に精力を傾けている。筆者は日本で、歴史研究や文献研究に技術やデジタルリソースを活用してきたが、はたして哲学者の仕事にデジタル技術がどう役立つのか、大きな関心を持って渡米した。

 そこで驚かされたのは、哲学者たちのデジタル技術に対する柔軟さであった。研究資料(書籍や論文)は電子データで利用。10人くらいの研究仲間は筆者以外誰もプリンターを持っておらず、画面上ですべての仕事を済ませていた。授業や研究会ではSkypeを多用し、世界のどこからでも参加できるようになっている。こうした傾向には、ハワイが大陸から遠く隔てられた島であるという事情が作用しているのであろう。アマゾンで本を買おうにもしばしば「そちらには配送できません」と言われ、注文できてもいつ届くのか分からない。
 本土の図書館から資料を取り寄せるのには時間が掛かる。そのような環境では、電子技術を制する者が情報を制し、そして研究を制する。彼らの情報検索力と利用力は必然的に研ぎ澄まされ、どんな資料であってもどこかインターネットの片隅からPDFを見つけてくるようになる。同様に、離島にあって最先端の研究を進めるには、Skypeでのビデオ会議が欠かせない。筆者はハワイから日本に帰ってきた後も、長らく、毎週Skypeで仏教論理学の研究会に参加していた。
 ビデオ会議が日本にも定着すれば、京都や東京に行ったり来たりする時間を少しは減らせるのだが、なかなか定着する気配は見えない。ハワイの哲学者たちの柔軟さは、「It works(それで用が足りればそれでいいじゃないか)」というアメリカ的な態度によるものなのか、それとも本質的でないことには気を取られない哲学者的な態度によるものなのか分からないが、この柔軟さを取り入れることができれば、日本のデジタル研究環境の変化ももっと高速化するだろう。

 そんなハワイでの研究を経て、筆者もデジタルリソースの活用能力に磨きを掛けて帰ってきたのだが、さっそく出鼻をくじかれることになる。筆者らインド哲学研究者にとっての宝の山、最大の資料リポジトリであった、インド政府運営の電子図書館Digital Library of India(DLI)が、2017年のあるとき、著作権の問題から突然閉鎖してしまったのだ。DLIはインド国内の非常に多くの図書館が関わる事業であり、それぞれが所蔵する資料を、一部の図書館は写本資料も含めて全ページ撮影し、画像データとして公開していた。
 まさに、これさえあれば一生自宅に引きこもっても研究できるような夢の図書館だった。公開資料は基本的に著作権の失効したものであったのだが、稀に1960年代や70年代の新しい資料も含まれており、これってまずいよなと思ってはいた。おそらくそれが、ようやく問題として認識されたのであろう。ある日突然、合法的に公開できる資料も含めて、サイトのコンテンツがすべて取り下げられてしまった。
 この取り下げの後にできたか、それともその前から存在していたのか分からないが、インド政府の同じ趣旨のサービスNational Digital Library of Indiaというものがある。しかしその所蔵資料の数は、DLIには遠く及ばない。

 恒久性は、学術的なデジタルリソースが満たさなければならない要件のひとつである。しかし、それはさまざまな理由から、実現が非常に難しい。人材の移動やプロジェクトの期限がそれを阻む要因としてよく聞くものであるが、DLIの場合、法的な問題がその要因となった。サービスに重大な法律違反が見られたので、サービスが停止されたのであり、これは当然の処置である。筆者は違反者側を擁護するつもりはない。
 しかし、この事件と、最近話題になっている漫画データの脱法(?)配信サイト「漫画村」の問題とを合わせて考えると、より根深い問題が見えてくる。法律の詳しい話は承知していないが、「漫画村」運営者は、当該サイトは違法画像を引用公開しているだけであり、違法なアップロードを行っているわけではないと主張しているようだ。だからといって看過できない我が国は、刑法で認められる著作権利者の「緊急避難」を法的な根拠として、かなり強引な理屈で、海賊版データのブロッキングをしようとしている。
 国が実行するかどうかは分からないが、この問題が端的に示しているのは、デジタルリソースの合法性は流動的であり、たとえいま合法とみなされていても、いつ、新たな法律または法解釈を根拠に違法とされるか分からないということである。たとえば、我が国のTPP加盟が議論されたときに話題となった、著作権保護期間の延長が現実のものとなれば、いま公開できていても取り下げなければならないコンテンツが無数に出てくる。
 極端な話をすれば、いつか政府により人文情報学が危険思想に認定され、このエッセイのデータがすべての情報空間から削除される時代がくるかもしれない。そうなりえないと断言することは誰にもできないはずである。
 したがって、デジタルに限らず研究リソースの恒久性は原理的に努力目標以上にはなり得ず、利用者側は、それがいつ失われても仕方ないことを理解していなければならない。作られたものは、必ず消滅する-それが宇宙のルールである。(例外は「無」であり、一部の無は、生じても滅さない。)サービス提供者側がなるべく長く存続するサービスを作るよう努力することも大切であるが、ハワイ大の哲学者たちのように、研究者は、必要なリソースをさまざまな手段を駆使して入手するスキルを鍛えることを怠ってはならない。
 研究の情報戦で最後に勝つのは、彼らである。しかし、そういったスキルは、どうやって鍛えることができるのだろうか。例えば、欲しいデータがリンク切れやWebサイトのバグでアクセスできないとき、HTMLやJavascriptのソースを解析してデータに到達する技術を、どう教育できるだろうか。大学で教育するのは難しいかもしれないが、それが研究に役立つことは間違いない。研究スキルは大学で教えてもらうだけでなく、自分で開拓していかなければならないということだろう。

執筆者プロフィール
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岩崎陽一(いわさき・よういち)名古屋大学大学院人文学研究科インド哲学研究室・准教授。専門はインド哲学・仏教学。早稲田大学第一文学部在学中に、日本初の合法MP3販売サイトの立ち上げに携わる。その後、技術職やインド留学を経て、東京大学でインド哲学の学位を取得。JSPS研究員として名古屋大学およびハワイ大学で研究したのち、2018年より現職。得意分野はRDB、デジタル音楽配信、デジタルアーカイブ、テキストデータベース等。

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◇《連載》「Digital Japanese Studies寸見」第36回「『2018 Spring Tokyo Digital History Symposium ツイートまとめ』を読んで」
 (岡田一祐:国文学研究資料館古典籍共同研究事業センター)

 わたくしごとでまとめになってから読んだのだが、2018年4月15日にシンポジウム「2018 Spring Tokyo Digital History Symposium」が開催され[1]、その模様がTogetterでまとめられていると知り[2]、さっそく読んでみた。

 2018 Spring Tokyo Digital History Symposium(以下当シンポジウム)は、Tokyo Digital History(以下ToDH)という「学際コミュニティ」と銘打たれたグループの主催で行われた。ToDHは、西洋史専攻の大学院生小風尚樹氏が代表で、デジタルと歴史を関心の軸として活動してきたとのことで、これまで、「歴史研究者のためのPython勉強会」や「歴史研究者のためのTEI入門セミナー」など、ツールの使い方を学んでいく活動が多かったようである。
 今回は、それとは趣を変え、デジタルに自分たちの研究を進めていくことを目指して、エンジニアやアーキビスト、歴史研究者たちが6か月にわたってデジタル時代の歴史研究の全プロセスを覆うことを目指して準備を重ねてきたものだということである。また、世代もおそらくは近いだろうこれらのメンバーに対して、シニア研究者を招いてコメントを設けたところも、議論の広がりを齎したものと思われる。

 ところで、この会では、研究者のジュニア・シニアというのが話題になったようであるが、所詮は形容詞であり、先輩・後輩と言ってもなにも変わらない(ちなみに稿者はどちらなのだろうか。同世代?ミドル?)。上下関係を思わせるこの表現を使わなかったところが、もしかすれば、おもしろい点なのかもしれない。

 さて、聞きもしなかったシンポジウムのまとめであるTogetterの内容をまとめてもさしたる意味はあるまい。稿者は歴史研究者ではなく、日本語研究者のなかに連なるつもりであるので、関心の違いをうまくTogetterから拾えるとも思われない。むしろ、その関心の差異から何点か述べてみたい。

 デジタルな人文学をなすうえで、本文のありかたはあいかわらず重要である。そして、それはだいぶぶんを文献学に立脚するものであろう[3]。今回のシンポジウムでも、TEIが強調されてはいたが、公文録の国立公文書館のデジタルアーカイブにおける目録がスクレイピングされたり、西洋古典学のデジタルライブラリであるPerseusから取得されたXMLデータを解析したりと、多種多様であった。
多種多様な本文のありかたそのものはアナログな文献学にも共通するものではあるが、その往還の容易さはおそらくデジタルの長所であって、あらためて興味深く感じた。

 現状のDHの可視化は、鄙見でなければ、かなりの部分を自然言語処理技術に依存したものであり、また、批判の多くなりはじめた可視化技術を使いたがるという点で疑問がある。ひとつめの点は、おそらくいわゆる遠読派に共通する問題点であろうと思うが、自然言語処理技術によって生成された本文、すなわちレンマ化された本文の分析がなにを意味するのかについて、あまり意識を働かせようとしているようには見えない。
 レンマ化された本文は、現状の技術では文脈を持てないので、ひっきょう、頻度とせいぜい前後数語の共起だけが頼りである(word2vecはすばらしいが、しかし、そこに個々の文脈はないのもまたいうまでもない)。それを考えるのがいやであれば、たんにかしこい索引として使ってしまうので、けっきょく、レンマ化された本文を分析するという方法についての反省はない。レンマ化するまえの本文に立ち返ればよいという単純な問題とは思えない-その立ち返った結果をレンマ化された本文の分析結果に肉付けするのは、現状では難しいからである。

 また、今回の可視化でもやたらと円グラフが多かったが、円グラフは見た目の綺麗さほど比較に便利ではない(目が差を感知できない)ということは、しばしば指摘されている。検証可能性を一方で称揚しつつ、他方で円グラフのような手段で煙に巻いてしまうのは、いかがなものか。デジタル出版が一般化して、グラフ表現形式を閲覧者が自由に選択できるようになった日には、円グラフもひとつ意味があるのかもしれない。
 しかし、現状の出版形式における唯一のデータ表現手段として円グラフを選ぶことは、内容の伝わらない表現を選んだとの誹りを免れがたい。

 さて、総括において、小風氏よりデジタル○○のデジタルは、いずれなくなる定めにあるとの発言がみられたとのことである[4]。たしかに、個別の人文学においてデジタルと名乗ることはしだいになくなっていくことはありうる(個人的には、現時点でもデジタル日本語学と名乗っているひとがいたら、時代錯誤に思う)。しかしながら、メタ研究であるところのDHはどうだろうか。現状、DHは組織化ができたところで先鋭化し、それ以外のDHグループというのはいくらか落ち着いてしまっているようにも見える。
 そんななかで、このような催しがなされたことは興味深く、これほど周到にとはゆかずとも、ゲリラ的に人文学のありかたをゆさぶってゆく試みが生まれるのであれば、メタ人文学としてのDHはこれからも価値の生まれ集まる場となるのではなかろうかと思うのだった。

[1][2018 Spring Tokyo Digital History Symposium 開催のお知らせ-atelier DH] https://naokicocaze.wordpress.com/2018/03/20/2018-spring-tokyo-digital-h...
[2][naoki kokazeさんのツイート: “昨日開催したTokyo Digital Historyシンポジウムの、公式ハッシュタグのツイートをまとめました! https://t.co/xwnUsDnr4J 流れがよくわかります。なお、昨日のスライド集をPDFでまとめて公開してありますので、ぜひご覧ください。 https://t.co/UkVvOEBjbi#todh_2018 ”] https://twitter.com/CocazeNaoki/status/985698666735288320
[3]連載第26回「『コンピューターを通して解釈するということ』をめぐって」(『人文情報学月報』第70号)でも触れたところである。明星聖子・納富信留(編)『テクストとは何か 編集文献学入門』(慶応義塾大学出版会,2015)は、本文作成に焦点が置かれる編集文献学の問題をアナログからデジタルまでコンパクトにまとめた書籍であるが、ここにはデジタル化された本文の多様性については注意が払われておらず、ましてエンコーディングのこともなく、数年の差ではあるが、動態を感じさせる。
[4] https://twitter.com/dhistory_tokyo/status/985444345330384896https://twitter.com/mak_goto/status/985444127432036352

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◇《連載》「欧州・中東デジタル・ヒューマニティーズ動向」第1回
 (宮川創:ゲッティンゲン大学)

 初めまして、私は宮川創(みやがわ・そう)と申します。私は現在、ドイツのニーダーザクセン州のゲッティンゲン大学、ベルリンのエジプト博物館とパピルス・コレクション、および、イスラエルのエルサレム・ヘブライ大学でのコプト語文献学・言語学関連のデジタル・ヒューマニティーズのプロジェクトで働いております。
 私のメインのプロジェクトは、ゲッティンゲン大学のプロジェクトで、古代末期に生きた修道院長シェヌーテおよびベーサのコプト語文献のデジタル・エディションを作り、さらに、それらの文献にある古いコプト語の聖書翻訳からの引用や引喩をコンピュータを用いて発見・解析するものです。コプト語とは、5千年ほどの文字記録の歴史を持つエジプト語の最終段階で、紀元3世紀頃からよく書かれるようになり、グノーシス主義や修道院文献、古い聖書の翻訳など、宗教学的に重要な様々な文献を生み出しました。
 しかし、エジプトがアラブの征服を経た後だんだんとアラビア語が主流の言語となっていったのですが、現在もコプト・キリスト教会で典礼言語として生き延びています。コプト語は他の段階のエジプト語が用いたヒエログリフ、神官文字、民衆文字では書かれず、ギリシア文字の大文字にいくつかの民衆文字を補填したコプト文字で書かれています。

 このプロジェクトでは、最初に写本の写真を世界中からかき集めて、それを転写して、行やページ番号や特殊な文字や欠損部分などの情報を含めたTEI XML形式のデータを作りました。この過程で様々なツールを使っています。まず、シェヌーテやベーサには、コプト学者によって出版された部分的な転写がいくつか存在します。西洋古典の文献学では、エディションには2つあり、クリティカル・エディションとディプロマティック・エディションが存在するようです。クリティカルの方はいくつかの異読を比較して本文批評を行う、いわば日本語で言う校訂本です。
 それに対してディプロマティック・エディションでは、写本にある通りに忠実に転写するものです。シェヌーテやベーサは現行のエディションのほとんどが不完全ながらもディプロマティックで、これは、デジタル・エディションの作業の下敷きに使えます。

 これらのエディションの文字データをデジタルにコンピュータに取り込むために、まず私は計算科学者のKirill Bulertとともに、コプト文字用のOCRを開発しました。OCRはtesseractとOCRopusを試しましたが、ニューラル・ネットワークを使ったOCRopusの方がコプト語のスープラリニア・ストロークなどのダイアクリティカル・マークをうまく認識できるようです。OCRopusをコプト文字で訓練させて良い画像なら98%前後の正答率でOCRができるようになりました。
 ただし、tesseractも近年ニューラル・ネットワークを取り入れて進化しているそうで、新しいバージョンのtesseractも試してみる予定です。このコプト語OCRに関しては、DATeCH(Digital Access to Textual Cultural Heritage)International Conference 2017やモントリオールで開催されたDigital Humanities2017の学会で研究発表をさせていただき、Googleと大英図書館からコラボレーションのオファーをいただきました。
 GoogleとはGoogle Booksのコプト語の文献のOCRで連携する予定であるほか、今年の2月、私は大英図書館に講師として招待され、大英図書館の学芸員および研究員向けにデジタル・ヒューマニティーズとコプト語文献学の講義をさせていただきました。

 コプト文字は、コプト文字のユニコードができる前は、エンコーディングはラテン文字でも表示されるときにコプト文字に見えるフォントでコプト語が入力されていました。私はゲッティンゲンに来る前から全米人文学基金(NEH)のCoptic SCRIPTORIUM(コプト語サイード方言のコーパス研究:学際的多層型研究手法のためのインターネット上のプラットフォーム)というプロジェクトでコプト語のコーパス開発に携わっていましたが、その過程でASCIIで書かれたコプト語テクストをユニコードに変換するPerlのプログラムの開発にも貢献しました。
 このコンバータを使ってコプト語の古いファイルから採取したデータとOCRを通して得られたデータを下敷きにした上で、シェヌーテやベーサの写本の写真の転写を行い、それらのデータの修正を行いながら、より正確でかつ文献学的な情報がマークアップされたデジタル・エディションを作成していきました。

 写本の転写は、ミュンスター大学の新約聖書学研究所でTroy GriffittsとUlrich Schmidらが開発したVirtual Manuscript Roomというウェブ・アプリケーションを用いました。このアプリでは、チーム作業でギリシア語やコプト語などの写本のデジタル・エディションを作成することができ、そのデータはTEI XMLで出力できますし、実際の写本に近い形で視覚化できます。
 様々な聖書翻訳の底本の主流となっているネストレ=アーラント版ギリシア語新約聖書やEditio Cristica Majorを編纂しているミュンスターの新約聖書研究所が開発したとあって、ギリシア語やコプト語の写本に忠実なデジタル・エディションを、ウェブ・エディタを通してWYSIWIGに作成できます。

 このアプリを用いてTEI XMLファイルを作成した後は、Coptic SCRIPTORIUMが開発しているコプト語形態素解析の諸プログラムを用いて、コプト語の形態素解析を行い、各形態のレンマや品詞を分析します。コプト語はヘブライ語のように前置詞や冠詞が名詞とくっつけて書かれる言語ですが、さらにその傾向が顕著で、助動詞と代名詞が動詞とともに繋げて書かれたり、助動詞の前に転換詞と呼ばれるconverbのような品詞が繋げて書かれたり、動詞が名詞接続形の場合は、動詞と名詞(句)が繋げて書かれたりと、文法語が内容語にくっつけて書かれる言語です。
 そのため、コプト語NLPでは、Word Segmentationが現在までの一番の課題でしたが、Coptic SCRITPROIUMのリーダーであるジョージタウン大学のAmir Zeldesとパシフィック大学のCaroline Schroederらがかなり精度の高いトークナイザーを開発しており、私たちは今、それを形態素解析の始めに用いています。

 これら、Coptic SCRIPTORIUMのツールを用いて形態素解析をされたシェヌーテ、ベーサおよびコプト語訳聖書のデータに、テクスト・リユースを探知するプログラムであるTRACERを走らせます。TRACERはゲッティンゲン大学計算科学研究所のMarco Bu:chlerが率いるeTRAPチームが開発しているプログラムで、特に文学作品や古典のデータから引用や引喩、さらには慣用的な表現などのいわゆるテクスト・リユースを探知します。
 現在、私は聖書の中でも特に詩篇からのシェヌーテとベーサによる引用のデータを分析していますが、TRACERからは目をみはるほど、多くの新たな発見が生まれています。このTRACERによる分析を通して、今まで学者によって発見されていなかった引用箇所が多数見つかりました。

 最後になりましたが、私がこのコプト語修道院文献と聖書との間テクスト性、および、テクスト・リユースの研究のプロジェクトを行っているのは、ドイツ学術振興協会が出資している、ゲッティンゲン大学に設置された、共同研究センター1136「教育と宗教」においてです。共同研究センターは公式の英語名称からの翻訳で、公式のドイツ語名称から翻訳した場合は、特別研究領域となります。
 このセンターにはもっと長い正式名称があり、それは、共同研究センター1136「古代から中世および古典イスラム期にかけての地中海圏とその周辺の文化における教育と宗教」です。私は現在この研究機関に2015年10月から2019年6月まで研究員として雇用されています。去年の8月までは他のDHのプロジェクトをも掛け持ちしていて仕事が多かった分、より多くの給料をもらえていました。
 2018年4月の現時点で2年と数ヶ月ドイツに滞在していることになります。昨年の12月から今年の1月にかけてはイスラエルのエルサレム・ヘブライ大学でのコプト語動詞のデータベースのプロジェクトで客員研究員として渡航費や滞在費や研究費を頂いて働きました。ドイツやイスラエルの学術的な環境は日本のものとかなり異なり、実際に働いてみて、驚きの連続でした。次回はドイツをはじめとするヨーロッパのDH関連のプロジェクトおよび学会の状況やプロジェクトにおける雇用体系などについてご説明させていただきたいと存じます。

 次回からも何卒宜しくお願いいたします。

宮川 創のゲッティンゲン大学ウェブサイトにおけるプロフィール: https://www.uni-goettingen.de/de/531081.html

宮川 創のacademia.eduのページ: https://uni-goettingen.academia.edu/SoMiyagawa

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 続きは【後編】をご覧ください。

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