2011-08-27創刊
人文情報学月報
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄Digital Humanities Monthly
2014-09-28発行 No.038 第38号【後編】 509部発行
_____________________________________
◇ 目次 ◇
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
【前編】
◇《巻頭言》「なぜ、日本版ヨーロピアナが必要なのか?」
(生貝直人:東京大学附属図書館新図書館計画推進室・大学院情報学環特任講師)
◇《連載》「Digital Humanities/Digital Historyの動向
~2014年8月中旬から9月中旬まで~」
(菊池信彦:国立国会図書館関西館)
◆発表・論文募集◆第20回公開シンポジウム「人文科学とデータベース」ほか
◇人文情報学イベントカレンダー
◇イベントレポート(1)
Digital Humanities 2014
(上阪彩香:同志社大学大学院文化情報学研究科)
◇イベントレポート(2)
「2014公開ワークショップ デジタル・ヒューマニティーの最前線と経済学史研究」
(2014年8月25日、於東京大学大学院経済学研究科・小島ホール1階第1セミナー室)
参加記
(森脇優紀:東京大学経済学部資料室・特任助教)
◇イベントレポート(3)
「The 9th AWLL international workshop on writing systems and literacy」
(岡田一祐:北海道大学大学院博士後期課程)
【後編】
◇イベントレポート(4)
「JADH2014雑想」
(日野慧運:東京大学特任研究員)
◇基調講演和訳
「外から見た人生:コレクション、文脈、そして、Wild Wild Web」
(Tim Sherratt:オーストラリア国立図書館・Trove Manager)
(日本語訳/高橋洋成:筑波大学人文社会系・研究員、
永崎研宣:人文情報学研究所)
◇編集後記
◇奥付
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
【人文情報学/Digital Humanitiesに関する様々な話題をお届けします。】
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◇イベントレポート(4)
「JADH2014雑想」
: http://conf2014.jadh.org/Programme
(日野慧運:東京大学特任研究員)
人文情報学の会議の報告をこの場でさせていただくのは二度目であるが、初回時
と相変わらず情報学については門外漢のままであり、ただ人文の方で細々と生息し
ている若輩にすぎない。したがって本大会の諸発表の価値を十全に理解しえようは
ずもなく、それを読者諸賢に伝える膂力もないのだが、まあいただいた仕事なので
仕方がない。素人の妄言と思って読み流してください。
2014年9月19、20、21日の三日間にわたり、筑波大学情報メディアユニオンにて
Japanese Association for Digital Humanities Conference 2014(JADH2014)が開
催された。本記事はその報告を兼ねた雑記である。本発表大会は、初日のワークシ
ョップを除く二日間のうちに二つの基調講演、六つのロングペーパーと十二のショ
ートペーパーの発表、ポスターセッションのみ、会場も一つきりという比較的こじ
んまりとしたもので、参加者全員がすべての発表を聴講し、ゆったりとした雰囲気
の中で行われた。プログラムと発表概要は大会のオフィシャルサイトで閲覧できる
( http://conf2014.jadh.org/Programme )。
基調講演は初日にオーストラリア国立図書館所属、Trove(
http://trove.nla.gov.au/ )マネージャのティム・シェラットTim Sheratt氏が、
二日目にウェスタン・シドニー大学ポール・アーサーPaul Arthur教授が行い、ペー
パー発表は大きく「Text and data analsys」「Visualization」「Text analsys」
「Encoding materials」「Interaction with users」の五テーマに分かれて進行し
た。
シェラット氏による基調講演「Life on the Outside: Collections, Contexts,
and the Wild, Wild Web」は印象的であった。シェラット氏が携わるプロジェクト
「Trove」は、大雑把に言えば、国立図書館が所蔵する権利の失効した過去の新聞・
雑誌・記録書類のたぐいをデータ化し、アーカイブ化してウェブ上に一般公開する
ものである。氏は先ず1910年代の入国審査書から抜き出した日本人の写真から話を
始め、白豪主義を謳う当時の豪州におけるアジア系の「見えない住民Invisible
Australians」の顔々を示した。このウォールは氏のブログからもアクセスできるが、
ちょっと圧巻である( http://invisibleaustralians.org/faces/ )。氏はまた、
Troveの過去の新聞記事が現代のデマや誤報をたやすく反証した例や、古い記事がネ
ット上の話題になった例を挙げた。最近ではTwitter上の公式Botが、最新のニュー
スに呼応する過去記事を呟いているという。話の趣旨はつまり、こうした過去の記
事や画像を、本来属する文脈から切り離して「外Outside」に解き放ったとき、ユー
ザの関心を得ればきっと新しいなにものかを生み出す、それをユーザの誤解、誤用、
悪意を恐れるがゆえに閉じ込めてはならない、ということであった。そして氏はこ
の行為が、情報を担った者が題材や被写体に、情報提供者に、観衆に対して、ある
いは歴史に対して果たすべき応答責任Responsibilityをいかに捉えるかという問題
に繋がるとも言及した。講演全文は氏のブログ( http://discontents.com.au/ )
で近日公開とのことなので、ご期待いただきたい。
筆者の仕事は、強いて言えばアーカイブに納入する前の段階、資料を分類したり
タグ付けしたりする位相にあって、シェラット氏の事業はその後の位相、納入され
たそれらをどう扱い、活かすかというところに焦点がある。したがって直接関係は
ないので気楽に聞いていたが、古典資料の現代的活用という大きな視点から見れば
無関係ではなく、意義深い示唆を得たように思う。
二日目のアーサー教授は、Digital Humanity 2015の受入校に所属し、お若いなが
ら豪州初の人文情報学教授だそうである。「Developing and Sustaining Digital
Humanities Partnerships」と題して、人文情報学の基本的な組織作り、研究環境の
整備・維持、拡大と普及などを、自身の経験、すなわち豪州における人文情報学の
足跡を実例として語った。実際的な内容であり、かつ有為な人文情報学の概論とも
なっていたように思われる。
さてペーパー発表について、個々が扱う題材は多岐にわたるものの、当然ながら
情報処理という問題意識を共有している。しかし肝心の情報処理に疎い筆者には、
親しい題材を扱うごく一部を、朧げに理解できたに留まる。到底コメントできる立
場にはない、ということをお断りした上で、少しくそれらに触れさせていただく。
概してテキスト解析関連、およびエンコーディング、マークアップ関連の一部発
表については、本学会ではそのものが成果なのだが、この成果を文献研究とか思想
研究の一手法としても応用しうるな、という観点においては興味深かった。中でも
特に、京都大学・橋本雄太氏のショートペーパー「SMART-GS Web: A
HTML5-Powered, Collaborative Manuscript Transcription Platform」は、題材が
筆者の研究分野に合致する点から非常に魅力的に映った。SMART-GS(
http://sourceforge.jp/projects/smart-gs/ )は古写本翻刻の支援ツールとして数
年前から知られているが、そのWeb版を橋本氏がほぼ独力で開発中だという。Web版
の利点は、離れた場所・時間にいる複数人が同一の写本を閲覧し、翻刻やタグ付け、
メモ書きなどを協同してできること。書き込まれた情報は他の協力者のインターフ
ェイスにも即座に反映される。オリジナル版と同様、OCR機能はメインでなく、あく
まで翻刻やマークアップの共同作業を支援するためのツールである。開発中につき
未公開とのことであったが、いずれ公表された際にはぜひ試してみたいものである。
可視化というテーマ下の諸発表はやや毛色が違っ(たように筆者には見え)た、
すなわち、目に見える題材を共通のデータ形式に落とし込む、分析に使いやすい形
に変換するのとは異なり、見えにくいものを見やすくすること、それ自体が目的で
あるように(筆者には)見えた。その学術的意義とか価値を、筆者は評価できる立
場にない。ただ素人目で推量れば、それらはシェラット氏の事業と同じ位相にある
のかもしれない。すなわち研究ツールではなく、日常レヴェルの実用ツールたるこ
とを目指し、「外」の評価を期待するものなのだろう。人文学とはいっても広いも
のだと感じ入った次第である。
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◇基調講演和訳
「外から見た人生:コレクション、文脈、そして、Wild Wild Web」
(Tim Sherratt:オーストラリア国立図書館・Trove Manager)
(日本語訳/高橋洋成:筑波大学人文社会系・研究員、
永崎研宣:人文情報学研究所)
*この論説は、JADH2014における基調講演を和訳したものです。元の英語版は
http://discontents.com.au をご覧ください。
これは、なかた たつぞうである。1913年、彼は、オーストラリアの北端から少し
離れたトレス海峡の木曜島に住んでいた。
http://discontents.com.au/wp-content/uploads/2014/09/life-on-the-outside...
19世紀の終わり頃から、主に真珠産業の発展にともなって、木曜島では日本人が
増加していた。私はたつぞうについてほとんど何も知らないということをお断りし
ておく。彼を選んだ理由とは、多かれ少なかれ、オーストラリアの国立公文書館(
http://www.naa.gov.au/ )に所蔵されている巨大な記録からランダムに選んだに過
ぎない。私はここで、彼について、単なる一例として、文脈を離れて非常に細かい
ことを紹介する。私はこの写真の背景から文脈のいくつかの層を再構成し、ある複
雑で恥ずべき歴史を明らかにしたい。
この写真は「書き取りテスト免除証明書(
http://dhistory.org/archives/naa/items/9090047/1/ )」という公式の政府の書
類に添付されているものだった。この書類から、私たちが得られる情報は、32才の
たつぞうが和歌山生まれであるということだ。
http://discontents.com.au/wp-content/uploads/2014/09/life-on-the-outside...
彼の右目には傷跡がある。たつぞうは1913年5月、やわたまるに乗って日本へと出
発する時に、この書類の複製を持って行った。彼が翌年戻ってきた時、その書類は
回収され、港の役所が持っていた複製と見比べられた。その複製は一緒であり、た
つぞうは上陸を許可された。
彼が彼であることを確認しやすくするため、その書類の裏側(
http://dhistory.org/archives/naa/items/9090047/2/ )にはたつぞうの手形がつ
けられていた。
http://discontents.com.au/wp-content/uploads/2014/09/life-on-the-outside...
これは旅行の書類だ、と、あなたは思うかもしれない。おそらく、昔のヴィザの
ような書類だろう、と。しかし、あなたは、その書類の上部に移民制限法(
http://www.foundingdocs.gov.au/item-sdid-87.html )に関する但し書きを見付け
るだろう。それは、1901年に新たに成立したオーストラリア政府によって導入され
た法律の一部である。移民制限法とその管理を支援する官僚的な複雑な手続きは、
一般には白豪主義としてよく知られるようになったものである。
もし、たつぞうがこれらの書類の一つでも持たずにオーストラリアに戻ろうとし
ていたなら、彼は書き取りテストを受けさせられていただろう。そして、失敗して
いただろう。その優しげな名前にも関わらず、この書き取りテストというものは、
非白人とみなされるあらゆる人々を人種的に排除する決まり切った手続きとなって
いた。もし、彼がこの書き取りテスト免除の書類を持っていなかったなら、たつぞ
うは、十中八九、再入国を拒否されていただろう。
この証明書類は、オーストラリア国立公文書館におけるJ2483シリーズ(
http://www.naa.gov.au/cgi-bin/Search?Number=J2483 )の14000以上のファイルの
一つから取り出されたものである。このシリーズは、主に、白豪主義の管理に関連
するものである。他の港や他の時期から[集められた]シリーズが他にもたくさん
あり、こういった文書でいっぱいになっている。この国立公文書館は、白豪主義下
のオーストラリアにおいて場違いであるとみなされた人々の生活や移動について記
録した、幾千もの証明書類を保管している。
写真、書類、ファイル、シリーズ、法律ーたつぞうの人生のこの小さな断片は、
排除と管理という人種差別システムの一部として保存されている。しかし、私たち
がその写真を、記録保存しているまとまりにおけるそれらの文脈から取り出して単
純に彼らを人間として提示した場合、何が起きるだろうか?
私は、あるサイト( http://jadh-demo.herokuapp.com/ )を構築した。それは、
J2483シリーズに保管されている日本の人々に関連する記録の一部を探索できるよう
にしたものである。ファイルのリストを辿っていく代わりに、顔から始めることが
できる、つまり、システムではなく、人から開始することができるのである。
http://discontents.com.au/wp-content/uploads/2014/09/life-on-the-outside...
本日、私は、たつぞうとこの顔の並んでいるところ(
http://jadh-demo.herokuapp.com/ )から始めている。なぜなら、私が探究したい
と思っているものは、文脈が有するそのような複雑さの一部だからである。
●Shark attack!
オーストラリアの海域での一連のサメによる致命的な攻撃の後、シドニー南部の
ハッキング港のコミュニティは、あまりに危険なところにいるのではないかと疑問
を持ち始めた。
2014年1月、そこの地方紙は、「ハッキング港におけるサメの『もみ消し』」とい
う見出しで記事を掲載した(
http://www.theleader.com.au/story/2019891/shark-cover-up-in-port-hacking/
)。その記事では、そのような危険性についての研究が抑圧されてきた、と主張し
ていた。
10日後、その新聞は、1927年のサメによる致命的な攻撃しか記録されていない地
域の詳細について続報を掲載した(
http://www.theleader.com.au/story/2039768/horror-day-when-shark-killed-b...
)。その記事では、そこの自治体政府のメンバーが、「Troveで記事を発掘した」と
報告していた。
彼は言う。「随分前のことだが、グレーズ・ポイントで少年がサメに殺されたと
いう話がある。30年から40年くらい前にそれを知ったが、しかし、もしあなたがこ
こら辺の人々にそれを話したとしても、誰もそれを知らないだろう。」
そして彼は付け加えた。「多くの人々が、ハッキング港にはサメはいないと言う
が、ばかげた話だ。」
シドニーで来年開催されるデジタル・ヒューマニティーズ国際学術大会DH2015へ
の参加を考えている方々に改めて確認させていただきたいのだが、サメによる攻撃
は本当に稀だ。
この記事に関して私が関心を持ったのは、おそるべき死の危険ではなく、むしろ、
過去と現在の関係である。サメによる攻撃があり得たかどうかという質問は、Trove
を検索するだけで答えることができるだろう。
●Trove
知らない人のために[説明しておくと]、Trove( http://trove.nla.gov.au/ )
は、オーストラリア国立図書館( http://www.nla.gov.au/ )によって開発され運
用されているディスカバリーサービスである。ユ(ヨ)ーロピアナ(
http://www.europeana.eu/ )や米国デジタル公共図書館( http://dp.la/ )、デ
ジタルニュージーランド( http://www.digitalnz.org/ )と同様に、それは、文化
遺産部門やその他のところからの[情報]資源を統合したものである。
それは1803年からの1億3千万の新聞記事(
http://trove.nla.gov.au/newspaper?q=%20 )にアクセスできるようになっている。
それらの記事は、大きいものや小さいもの、田舎や都会といった、600以上の様々な
出版物から取り出されたものである。そして、常に追加されている。
何について検索しても、デジタル化された新聞から何らかの一致するものを見付
けられるだろう。もちろん、Tsukubaでも検索してみた。(
http://trove.nla.gov.au/newspaper/result?q=tsukuba )
http://discontents.com.au/wp-content/uploads/2014/09/life-on-the-outside...
Troveは一つのコミュニティでもある。ユーザはOCRをかけられた新聞記事のテキ
ストを修正する。彼らは、Troveのいたるところで[情報]資源に数千のタグをつけ、
そして、コメントをつける。
・138,000人の利用者
・3,000,000のタグ
・80,000のコメント
・139,000,000の修正
・58,000のリスト
おそらく、Trove上でユーザが作ったコンテンツの中で私が気に入っている利用例
は、このリスト( http://trove.nla.gov.au/list/result?q=+ )だ。リストは、
[情報]資源のコレクションのような印象を与える。リストは、あなたの研究を保
存し共有するのを簡単にしてくれる。しかし、タグやコメント以上に、リストは人
々の興味と感情を明らかにする。それらは、Troveの中やその周辺で生じる意味の生
成という多くの活動に対するいくらかの洞察を提供してくれる。
さらに、リストは、機械的な利用に適切な形式で、TroveのAPI (
http://help.nla.gov.au/trove/building-with-trove )からも提供されている。そ
して、わずかな[プログラムの]コードで、全ての公開物のリストを取得すること
ができるし、Voyant Tools( http://voyant-tools.org/ )が提供するいくつかの
基本語彙の頻度分析機能(
http://voyant-tools.org/tool/Cirrus/?corpus=1394850561439.7343&query=&st...
)を用いて[分析を]することができる。
http://discontents.com.au/wp-content/uploads/2014/09/life-on-the-outside...
ここにはそれほど驚くようなことはない。私たちは、家系図の研究者が最大のユ
ーザグループであることを知っている。しかし、私たちは、活動中のロングテール
[(大部分を占める少数派)]を見ることもできる。Troveのような巨大コレクショ
ンは、非常に的を絞った、特別な関心を支援することができるのである。
私をサメによる攻撃へと導いていく[ような関心もその種のものである]。
●過去が語る
ハッキング港の記事は、私に疑問を生じさせた。それは、サメによる攻撃に関す
る議論において、Troveの新聞記事を引用した外部の他のWebページはどれくらいあ
るのか、という疑問である。答えは「たくさん」だった。しかし、最も興味があっ
たのは、参照してくれた数ではなかった。むしろ、文脈の多様性だった。ブログの
記事、フェイスブック、あるいは釣りのフォーラム、というような。
「ああ、古い新聞記事は魅力的だよね?」ある気候のフォーラムでの記事(
http://forum.weatherzone.com.au/ubbthreads.php/topics/246078/23/sharks )に
はそう書かれていて、1952年からのシドニーにおけるサメによる攻撃の詳細を引用
していた。
ある釣りのサイトでは、西オーストラリアのスワン側における激しいサメによる
攻撃に関するスレッド(
http://fishwrecked.com/forum/swan-river-bull-shark-attacks )が始まっている。
「私はパースにおける本当に古い新聞記事を見ることができる素晴らしいWebサイト
を発見した。いくつかのスワン側でのサメによる攻撃を見付けた……」
これを書いた人は、Troveの検索ページへの直接リンクを続けて書いてから、やり
とりをしている。
Redfin 4 Life:「(笑)あなたはこれを見ることなしにスワンでの多くの事件を知
ることはできないだろう」
Goodz:「おお、新聞はなんと書き方が変化してきたことだろう……愛すべき古い語
り方!」
Alan James:「そのとおり、Goodz。そして、たいていの場合、彼らが実際に真実を
報告していたと私は確信している。」
そのようにして、サメによる攻撃についての議論は、新聞記事の書き方のスタイ
ルの変化についての考察へと移っていった。
おそらく、さらに興味深いのは、デジタル化された新聞記事がある仮説を検証し
たり、ある解釈を試したり、ある事例を示したりするのに用いられるという状況で
ある。ハッキング港の事例のように、サメによる攻撃の歴史についての質問では、
専門家や歴史書、公的な統計といったものに頼る必要もなく調査することが可能で
ある。
したがって、地元の政治家が「コーギー海岸においては、1800年代に始まった記
録によれば、深刻な、あるいは致命的なサメによる攻撃は起きてない」と述べたと
伝えられた時、読者は、Trove上の二つの新聞記事の引用と次のようなコメントで反
応を返すことができる。「以前にサメによる攻撃はなかった?あるいは、彼らは死
亡者を検索しているだけ?」(
http://www.inmycommunity.com.au/news-and-views/local-news/Shark-barrier-... )
あるメディアのアウトレットが、フェイスブックのフォロワーに対して、西オー
ストラリアからの生きた羊の輸出がサメによる攻撃の数の減った海岸で増えている
かどうかを尋ねた時、あるフォロワーは1950年のTrove上のある新聞記事へのリンク
を簡単にシェアして、尋ねることができる。「1950年に彼らは生きた羊の輸出をし
ていたのですか?」(
https://www.facebook.com/perthnow/posts/262401313869547 )
これらのやりとりが特に深淵であるとか注目に値するということを主張したいの
ではない。実際の所、私は、次のように提案したい。それらは、注目に値し「ない」
がゆえに興味深いのである、と。オーストラリアの150年の歴史を記録する1億3千万
のデジタル化された新聞記事は、オンラインの経験の織物の中に織り込まれる、ま
さにもう一つの[情報]資源なのである。過去は、かき集められ、共有され、そし
て、猫の写真のように簡単に、私たちの日常的なやりとりに埋め込まれていくので
ある。
●追跡
そして、それは、サメによる攻撃ばかりではない。Troveの新聞記事が用いられ共
有される文脈の多様性を探るために、私は、被リンクの探索を始めた。
被リンクとは、その名が示すとおり、あなたのサイトへと戻るWild Wild Web上で
のリンクである。あなたはそれらをリファラーログやグーグルのWebマスターツール、
あるいは単に検索によって見つけることができる。私は、SEOサービスでの「買う前
に試してみよう」というサンプルの被リンクから始めた。
そこから、私は、リンクしているページを集め、重複を削除し、新聞記事への参
照を抽出し、記事の詳細をTrove APIで検索するスクリプト(プログラム)を書いた。
そして、簡単に探索するために一つのデータベースに全てを保存した。その成果は
オンラインで見ることができる。(
http://trovespace.webfactional.com/traces/ )
http://discontents.com.au/wp-content/uploads/2014/09/life-on-the-outside...
私は、1780ドメインから3116ページを集めたところでやめた。それはTroveの
11242の記事に対する13389のリンクを含んでいた。[ここで、]Web上でのTroveの
新聞記事へのすべてのリンクの例の一つであるに過ぎないということを思い出して
ほしい。
その生の数字よりももっと驚くことは、それらのページ全体にわたっての内容の
多様性であった。私は、家系図の研究者達と郷土史家達が彼らのTroveでの発見をせ
っせとブログに書いていたことは知っていた。しかし、Troveの新聞が政治や科学、
線装、スポーツ、音楽……とにかく、あなたが想像できるようなあらゆるトピック
についての議論において引用されていたということは知らなかった。
そして、これらの議論は必ずしもオーストラリアについてのこととは限らなかっ
た。簡単で適当な分析だが、それら3000ページの中には、30以上の言語で書かれた
ものがあった。( https://plot.ly/~wragge/9 )
http://discontents.com.au/wp-content/uploads/2014/09/life-on-the-outside...
これはまだ作業中である。私はこの探索を拡げていきたいと思っている。さらな
る参照、参照の探索、そして、人々に見るべきページを勧めるために、Webサイトの
クローリングをしたいと思っている。簡単なAPIを追加することで、私は、Troveが
関連ページからの被リンクを取り込めるようにした。そして、私はコンテンツの範
囲とその著者の動機付けについてもっと理解したいとも考えている。ここで何が起
きているのか?
間違いなく、これらのページのうちの一部は、スパムリンクを構成するものであ
ったり、検索エンジンの操作を試すものであったりする。しかし、ほとんどはそう
ではない。そのデータベースを閲覧することで、あなたは、解釈やこだわり、感情
の多くの例をみつける。世界中の人々は何か言いたいことを持っており、共有した
いことを持っており、そして、Troveの膨大な新聞記事は彼らにすぐにアクセスでき
る創造性の源と証拠とを提供している。
Troveでの活動の統計において私たちが観察することのできる、それらの多くの意
味を作り出す小さな活動が単一のサイトを超えて広がっていくということは明らか
である。そしてそれはもっともっと広がっていく(そしてワイルドになっていく)。
●尺度
今年の初めの方のある日、Troveは通常の訪問者数の3倍以上のアクセスがあった。
http://discontents.com.au/wp-content/uploads/2014/09/life-on-the-outside...
その容疑者は、WTF subreddit( http://www.reddit.com/r/WTF/ )であった。そ
れは、Web上の珍しいものを共有する有名な場所だった。誰かが、Cachiという名の
プードルの不運な死を報じるTroveの新聞記事へのリンクをポストしたのである。
Cachiはブエノスアイレスの13階のバルコニーから落ちたのだが、結果として3人の
通行人が亡くなったのである。Troveの訪問者統計においてドラマティックな急上昇
をもたらしたのと同様に、そのポストは、3000以上の投票と677のコメントを得てい
た。Cachiは大当たりだった。(
http://trove.nla.gov.au/ndp/del/article/102017012 )
Troveの記事は定期的にredditに採り上げられている(
http://www.reddit.com/domain/trove.nla.gov.au )。彼らがもたらすアクセス数
の急上昇は、私たちが自分達の統計データをどれほど誇りに感じたとしても、私た
ちがWebの隅っこに小さくなっているのだということを思い出させてくれる。何かも
っと大きなものがその向こうにはあるのだ。
マイケル・ピーター・エドソンは、長い間、文化遺産の組織に対して、規模の挑
戦についての警告を発しようとしてきた。近年のエッセイ(
https://medium.com/@mpedson/dark-matter-a6c7430d84d1 )で、彼はWebの「ダー
クマター」について述べた。
きわめてたくさんの聴衆がインターネットで接続されていて、そこでは、信頼性
やアイデア、そして意味を必要としている。私たちは、煉瓦とモルタルで作られた
建物を視察するという評価の尺度に慣れてしまっていて、インターネットがどれく
らい大きくて、数十億の人々が、どれくらいの配慮や好奇心、創造性を持つことが
できるのか、ということを理解するのは難しい。
彼は主張する。図書館、アーカイブズ、ミュージアムは、一般の人々に、彼らが
いる場で、出会う必要がある。それは、意味を作り出す活気あるサイトが広大なWeb
全体に散らばっていることを認識するためである。Troveの新聞の足跡やredditの急
上昇は、アプリケーションや統計データ、企業の誇大広告の下に潜在している文化
的活動の「ダークマター」の単なる兆候でしかない。
人々はすでに私たちの期待しない方法で私たちのデジタル素材を利用している。
その問いは、図書館、アーカイブズ、ミュージアムが、連携へのこの渇望感を招待
と捉えるか驚異と捉えるかということである。私たちはその仲間になるのか?ある
いは、雑音についての不満を言うために警察に連絡するのか?
●共有すること
共有することには、根本的に人間的な何かがある。そう、フェイスブックの「い
いね!」の浅薄さを馬鹿にすること、つまり、[SNS上の]フォロワー、友人、リツ
ィートへのこだわりを我々の配慮の力が次第に減っている証拠ーユーザの支持や理
解が一回のクリックとなっていくということーとみることは簡単だ。しかし、私た
ちはいつも共有してきたというわけではない。物語、ゴシップ、冗談、パフォーマ
ンス、そして儀式を通じて?意味の閾値に対して測定されるよりもむしろ、軽率な
ものから哲学的なものまでの一連のものに、共有という個々の行為が存在している
のである。というのは、利益のために我々の情報を掘り出そうとする巨大なソーシ
ャルメディアのサービスによって、共有という行為が商品化されてきたからなので
あり、より深い人間的な意義を欠いているということを意味しているのではない。
一つのリツィートは刹那の関心、一瞬の注意散漫を表現することができる。しか
し、それは、一つの旅の開始を注記することもできる。
世界中の文化遺産に関する組織は、共有が単に商業的な戦略だけではない可能性
を持っていることを認識し始めている。それはミッションだ。Merete Sanderhoffが
自分の選集Sharing is Caring(共有することは配慮すること)の序文でこう述べて
いる。(
http://www.sharingiscaring.smk.dk/en/explore-the-art/free-download-of-ar... )
文化遺産がデジタルで、オープンで、共有可能であれば、それは共有財産となり、
毎日のように手元にあるものになる。それは私たちの一部となる。
Trove、米国デジタル公共図書館、ユ(ヨ)ーロピアナ、DigitalNZのようなアグ
リゲーション・サービスは、[情報]資源を一緒に持ち寄り、より簡単に世界と共
有できるようにする。アグリゲーションは、それが発見と再利用に役立つときのみ
価値がある。それはコレクションというより、総動員のプロセスである。ユ(ヨ)
ーロピアナが2020年の戦略でこう論じている。(
http://strategy2020.europeana.eu/ )
文化とは社会と経済の変化をもたらす触媒だと私たちは信じている。しかしその
ことは、人々が共に構築し、建て上げ、共有する際に快適に使用でき、簡単にアク
セスできる場合に限る。
もちろん、難しい部分は「快適に使用でき、簡単にアクセスできる」ようにする
ものは何かを理解することである。私たちはプッシュとプルとの間にどのようなバ
ランスを必要としているのか?使いやすさと技術力の間には?ライセンシングと自
由との間には?文脈性と創造性との間には?
●忙しいボット
機械的キュレーター( http://mechanicalcurator.tumblr.com/ )は大英図書館
ラボ( http://labs.bl.uk/ )で、革新的デジタル・スカラシップ・プログラムの
一環として生まれた。2013年9月、彼女はデジタル化された19世紀の書物65,000冊の
コレクションからランダムに抽出した画像を、Tumblrへ自動的に投稿し始めた。
Ben O'Steenの説明(
http://britishlibrary.typepad.co.uk/digital-scholarship/2013/10/peeking-...
)によれば、「大英図書館のデジタル・コンテンツとのあてのない契約」の実験で
あった。書物のイラストは、内から外へと移動し、表紙の彼方にある発見への扉を
開けた。
しかし、これはまだ始まりにすぎなかった。数ヶ月後、機械的キュレーターは劇
的にその仕事を拡大し、数百万を越えるパブリック・ドメインの画像をFlickrにア
ップロードした。( https://www.flickr.com/photos/britishlibrary/ )
それに続いたのは、[そこに]文化を注ぎ込んでいく熱狂的な何かであった。世
界中の人々が共有、タグ付け、収集、そして19世紀のイラストの豊かな詰め合わせ
を造り始めた。それから、その画像は新しい作品へとマッシュアップされ、
Wikimedia Commons(
http://commons.wikimedia.org/wiki/Commons:British_Library/Mechanical_Cur...
)に登録・編成され、ネヴァダのバーニングマン・フェスタにおけるインスタレー
ションの一つにフィーチャーされた。(
http://britishlibrary.typepad.co.uk/digital-scholarship/2014/08/the-brit... )
http://discontents.com.au/wp-content/uploads/2014/09/life-on-the-outside...
百年以上も書物の中に閉じ込められた後、イラストは自身の権利にもとづく作品
という新しい生活をオンラインに与えられた。革新と表出のための機会は、文脈の
破裂によって創造された。
その間、Twitter上では、成長するボット隊が世界中の文化的コレクションから項
目を解放していた。Mark Sampleというボット作成の天才にインスパイアされ、私は
2013年6月に@TroveNewsBotを造り、Troveからの新聞記事をツィートした。
彼は@DPLABot、@EuropeanaBot、@Kasparbot、@CurtinLibBot、@DigitalNZ.bot、
@museumbot、@cooperhewittbot、@bklynmuseumbotに加えられた。そして間違いなく、
その他にも[加えられただろう]。これらは全て、ランダムなコレクションを共有
するものである。もちろん、すぐに大英図書館から@MechCuratorBotも競合相手とし
て参入した。私は少しずつ、@TrovebotにTroveのツィートを加えていった。
思わぬものを発見する可能性は、デジタル・ヒューマニティーズの中でますます
注目を集めている。DH2014において、Kim MartinとAnabel Quan-Haaseは、既存の偶
然発見性モデルという観点から@TroveNewsBotを含む4つのDHツールを批判的に検証
した( http://dharchive.org/paper/DH2014/Paper-425.xml )。彼らの議論によれ
ば、ランダム性は偶然発見性(serendipity)と同じではない。そして、偶然発見性
がどのようにして情報との遭遇の類型として理解され得るかということについて要
点を述べた。私の疑問としては、そういったボットを興味深くするものがそのよう
なランダム性そのものではないとしても、ランダム性は、文脈に関する我々の前提
を大雑把に扱うことのできる方法ではないかと考えている。
Steve Lubarの観察(
http://stevenlubar.wordpress.com/2014/08/22/museumbots-an-appreciation/ )
によれば、コレクション・ボットのランダムな提供もまた、文化的コレクションの
創造と表示の中に作られた選択肢をさらけ出す。ランダム性は私たちの予想に挑ん
でくる。James Bakerは、機械的キュレーターの創世を記述しながらこう言及する
(
http://britishlibrary.typepad.co.uk/digital-scholarship/2013/09/the-mech... )。
そして、始めは複雑性への単純な降下に見えたものによって、機械的キュレータ
ーはその特別な目的を達成する。一方では知識を与え、他方ではその知識の基礎部
分に絨毯爆撃することである。
私の造ったTroveボット達は、より多くのツィート・ランダムな提供を行う(
http://discontents.com.au/an-addition-to-the-family/ )ため、あなたは
Twitterに貼り付いたままでTroveとやりとりすることも可能である。いくつかのキ
ーワードを彼らの方に送れば、彼らはあなたの検索をあなたのために行い、最も関
連性の高い結果をツィートで返してくれる。一連のハッシュタグを追加することで、
彼らのデフォルトの振る舞いを変更することも可能だ。例えば、#luckydipは結果を
ランダム風味に味付けしてくれる。
もっと興味深いことは、たぶん、彼らにURLをツィートすると、そのWebページか
らキーワードを抽出し、それらを用いて検索を組み立てることだろう。つまり、
@TroveNewsBotは現在の出来事についてのコメント集を提供することができる。
日に数回、彼は最新のヘッドラインをニュースサイトから取得し、1億3千万ある
Troveの過去の新聞記事の中から類似したものを探し出す。ここに現れるのは、過去
と現在との間の奇妙な会話である。
http://discontents.com.au/wp-content/uploads/2014/09/life-on-the-outside...
これらのボットは、見慣れた発見インターフェイスの文脈から、単にコレクショ
ンの項目を提示するのではない。彼らは、遭遇するということ自体を全く新しい空
間に移動させる。機械的キュレーターがイラストを印刷ページから解放したように、
Twitterボットはコレクションの組織的な文脈をゆるめ、人々がすでに結集している
空間にコレクションを参加させる。彼らはコレクション項目をWebの荒野へ送り出す。
新たな意味、新たなつながり、あるいは新たな愛を見つけるために。
●破壊と修復
しかし、[コレクションを荒野へ]行かせるのは恐ろしいことでもある。図書館、
アーカイブ、博物館による、ある2008年の調査(
http://firstmonday.org/article/view/3060/2640 )では、オンライン・コレクシ
ョンの扉を開くのを妨げている主要な要因の一つは「文化対象の誤った表現、誤っ
たラベル、誤った使用を避けたい」という欲求であった。共有が簡単になれば、私
たちが精選したコンテンツが文脈から刈り取られ、Webに放り出されるというリスク
をもたらす。[コンテンツは]漂い、濫用される。
今年早く、Sarah Wernerが「歴史的」写真の流れを汲み出しているTwitterフィー
ド( http://sarahwerner.net/blog/index.php/2014/01/its-history-not-a-viral-feed/
)に照準を合わせた。[写真は]属性を与えられず、よく間違ったキャプションも
付けられている。だが、彼女を怒らせたのは単に属性の有無ではなかった。
こういうアカウントは次のような考えに便乗しているのだ。すなわち、歴史とは
私たちよりも前に漠然と定義されたいずれかの時間を表面的に眺めることでしかな
く、私たちが見て、驚嘆して、そしてそれが何を意味し、本当に起きた事なのかも
よく考えずに立ち去るためのものだと。
正直なところ、redditのおかげでTroveの訪問者数が突然高騰するのを見るときの
興奮は、[そこで]共有されているものが身の毛もよだつ死、暴力、不幸といった
もう一つのストーリーであることに気付くことでしばしば醒めてしまう。オースト
ラリアの150年の歴史は、タブロイド感覚でのクリックバイト(釣りクリック)へと
還元される。redditから来る人のほとんどは、その記事を読んだらクリックして去
る。直帰率は約97%だ。これでは「支持」とは言えない?
しかしながら、すぐには去らず、立ち止まって見て回る3%にも驚かざるをえない。
Troveとオーストラリアの歴史に、その3%、(それでも十分多い)が初めて向き合っ
ていたのかもしれない。ウィルス画像産業が苛立たしく収奪的である一方で、学習
する機会を提供しているとも言える、ということと似ているかもしれない。
Twitterアカウントの中で、私のお気に入りの一つは@PicsPedantだ。これは多く
のウィルス画像フィードをモニターし、画像を調査し、結果をツィートする。属性、
訂正、批判、文脈の絶え間ない流れを提供している。あなたはその画像について見
出すだけでなく、調査tipsをピックアップすることも、画像ボット自身の共食い的
な傾向を学ぶこともできる。ボットは絶え間なく同類からコンテンツをリサイクル
しているからだ。
@AhistoricalPicsは異なる教育のかたちを提供する。すなわち、ウィルス画像ジ
ャンル全体を、でっち上げのキャプションで風刺することで、私たち自身の信じ込
みやすさに釘を刺している。
http://discontents.com.au/wp-content/uploads/2014/09/life-on-the-outside...
コレクションを自由にすることは誤用の扉を開くが、その誤用を分析と批判にさ
らすことにもなる。文脈は失われると同時に再発見され、破壊されると同時に修復
されるものである。
●寛容な道標
Twitterで共有された多くのTroveの新聞記事を見るのは素晴らしいことだ。不幸
なことに、そのかなりの割合は気候変動否定論者で、風変わりな気候事象と過去の
天候理論を掘り当て、このような報告が現在の研究の土台を揺るがすと想像してい
る。これは駄目な科学、駄目な歴史だ。彼らの努力もまた、私のWebページ引用デー
タベースに、できれば水面下にとどめおきたい憎悪と偏見と共に、しっかり表現さ
れている。気の滅入ることだが、人々があなたの素材を使って悪事を働くのは避け
られないことだ。
米国デジタル公共図書館(DPLA)のライセンス整備のメタデータに関する最近の
投稿の中で、Dan Cohenはこう提案した( http://www.dancohen.org/2013/11/26/cc0-by/
)。私たちはオンライン利用を取り巻く技術的・法的な制御を越えて、社会的・倫
理的なガイドラインに視線を向けるべきだと。
もちろん、皮肉屋は言うだろう。駄目な俳優は全てのオープンデータで駄目なこ
とをするだろうと。しかし、オープンなWebについてはこう考えるべきだ。駄目な俳
優は駄目なことをする、にもかかわらず……。駄目な俳優を心配することの裏側に
は、私たちが正しいことをする良い俳優の数を過小評価していることがある。
駄目な人々は駄目なことをする。しかし、デジタルな文化的コレクションの利用
に対する社会的・倫理的な枠組みをすることで、正しく行おうとする人々の決意と
献身を強めることができる。
すでに、Local Contextsプロジェクトの仕事の中に例がある。このプロジェクト
は伝統的な知識と文化的資料の利用を手引きする一連のライセンスとラベルを開発
している。同様に、Creative Commons Aotearoa New Zealandは、[先住民の知識に
基づくものを]適切に利用するために必要なことについて人々を教育するために、
Indigenous Knowledge Notice(先住民の知識への配慮)(
http://creativecommons.org.nz/indigenous-knowledge/ )[という、いわゆるラ
イセンスとは異なる考え方に基づく先住民の知識及びそれに基づく成果物保護のた
めの枠組み]を開発してきている。
また、脚注が常に倫理的な契約の中心にあったことも忘れるべきでない。オース
トラリアの歴史家Tom Griffithsは脚注を「脆弱性の正直な表現」「[そこまでの]
道筋を遡って調べ、その洞察を検証したい全ての人への寛容な道標」と記述してい
る。この「専門的な道具立て」は、次のような一連の倫理的な疑問から育った、と
彼は論じている。
私たちは誰に対して応答責任を持つのか。私たちの物語の中の人々に、私たちの
情報源に、私たちの情報提供者に、私たちの読者や聴衆に、過去の統合そのものに?
私たちはどう敬意を払い、意義を許し、複雑さを収容し、私たちの声と私たちのキ
ャラクターの声を区別するのか?
こうした疑問は、文化的コレクションとオンラインユーザーとの関係を考えるに
あたり決定的であることに変わりない。人々に「寛容な道標」を立てることを期待
するなら、私たちの素材を発見・共有しやすいものにしなければならない。人々に
過去への応答責任を考えてほしければ、信頼、確信、サポートを提供することに注
力すべきである。許可を与えることにではない。
●応答責任
もし私の「顔のウォール」に見覚えがあるなら、それは数年前、私が「白豪の実
際の顔」( http://invisibleaustralians.org/faces/ )という似たようなものを
造ったからかもしれない。
二つのウォールは異なる記録セットを用いているが、ほぼ同じように構築されて
いる。私は国立公文書館のデータベースをリバースエンジニアリングし、デジタル
化されたファイルをダウンロードし、顔認識スクリプトを使って顔の識別と抽出を
行った。
「白豪の実際の顔」は実験的なもの(
http://discontents.com.au/the-real-face-of-white-australia/ )で、とある週
末をつぶして構築したものだ。だが、その予想以上の力がすぐに明らかになった。
記録が残された場所には、人々も存在した。彼らは私たちを見ており、私たちに挑
んでくる。
私のパートナーであるKate Bagnall( http://chineseaustralia.org/ )は中国
系オーストラリア人の歴史家であり、「見えないオーストラリア」(
http://invisibleaustralians.org/ )というプロジェクトで共に仕事をしていた。
これは、それらの人々の生活を、白豪主義の官僚社会から解放することを目指すも
のであった。
このプロジェクトの動機付けは、強い応答責任感情によるものであった。国立公
文書館に対してではなく、記録に対してでもない。人々自身に対してのものであっ
た。
私たちはしばしば、文脈の保存について話をする。まるでそれ自体が目的である
かのように。まるで文脈とは、カタログ化され、制御可能な属性の集合であるかの
ように。Wild Wild Webに関して、心躍る、恐るべき、素晴らしいものは、それが如
何にして関連性・意味についての私たちの理解をくつがえすかにある。歴史上の新
聞は、現代的な議論への道を拓く。古い世紀のイラストは、芸術として再制作され
る。Twitterボットはコレクションとの会話を喚起する。記録保存システムの中に埋
葬された人々は、ついには地表に連れてこられる。文脈は定まったものではなく、
推移するものである。その不定性を通じて、私たちは他の世界を眺め、選択肢を想
像し、新しいものを構築することができる。
大事なことは、ユーザを訓練して私たちのコレクションの文脈を理解させること
ではない。コレクションが表現している過去への応答責任を、ユーザが発掘・理解
できるように補助することである。
技術的なバリアを取り除き、法的な制約を最少にし、聴衆の良心に信頼しよう。
私たちの記述的な方法論の伽藍を建てる代わりに、安定した共有可能なアンカーを
提供し、接続するシステムを、しかし強制しないシステムを創造しよう。
文脈は流れて混ざり合い、あるものは色あせ、あるものは炎上する。文脈は、私
たちのサービスの観点で要求されるから生き残るのでなく、私たちのインターフェ
イスに埋め込まれたから生き残るのでもない。関心を獲得するがゆえに生き残るの
である。
文化的コレクションを発見し、利用する方法は変化し続けるだろう。しかし、応
答責任、価値、意味についての疑問は変わらないであろう。
Copyright(C)Tim Sherratt 2014- All Rights Reserved.
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配信の解除・送信先の変更は、
http://www.mag2.com/m/0001316391.html
からどうぞ。
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◆編集後記(編集室:ふじたまさえ)
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第38号も、たくさんの方にご寄稿いただき、ありがとうございました。巻頭言か
ら、イベントレポートまで、今回も盛りだくさんとなりました。
全体的にヨーロピアナをはじめとしたデジタルアーカイブの話題が目立っていま
したが、今後の動きも注目したいところです。今後開催されるイベントのレポート
も楽しみですね。
◆人文情報学月報編集室では、国内外を問わず各分野からの情報提供をお待ちして
います。
情報提供は人文情報学編集グループまで...
DigitalHumanitiesMonthly[&]googlegroups.com
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人文情報学月報 [DHM038]【後編】 2014年09月28日(月刊)
【発行者】"人文情報学月報"編集室
【編集者】人文情報学研究所&ACADEMIC RESOURCE GUIDE(ARG)
【E-mail】DigitalHumanitiesMonthly[&]googlegroups.com
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