ISSN 2189-1621

 

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DHM 088【前編】

人文情報学月報/Digital Humanities Monthly


人文情報学月報第88号【前編】

Digital Humanities Monthly No. 088-1

ISSN 2189-1621 / 2011年8月27日創刊

2018年11月30日発行      発行数786部

目次

【前編】

  • 《巻頭言》「人文情報学による100年前の落穂ひろい
    鈴木俊哉広島大学総合科学部
  • 《連載》「Digital Japanese Studies寸見」第44回
    デジタル・コレクションを定位する
    岡田一祐国文学研究資料館古典籍共同研究事業センター
  • 《連載》「欧州・中東デジタル・ヒューマニティーズ動向」第8回
    ボドマー・コレクションが写本のオンライン・データベースを公開/ハンブルク大学が写本学のエクスツェレンツクラスター(ドイツ研究振興協会)を開設へ
    宮川創ゲッティンゲン大学

【中編】

  • 《連載》「東アジア研究と DH を学ぶ」第8回
    図書館総合展フォーラム「東アジア図書館とデジタルアーカイブ」
    菊池信彦関西大学アジア・オープン・リサーチセンター
  • 《連載》「Tokyo DigitalHistory」第7回
    『1641 Depositions』データベースとデータ可視化
    槙野翔東京大学大学院人文社会系研究科/日本学術振興会

【後編】

  • 人文情報学イベントカレンダー
  • 特別寄稿「書簡資料のデータ構造化と共有に関する国際的な研究動向:TEI2018書簡資料WSを通じて
    小風尚樹キングスカレッジロンドン/東京大学大学院人文社会系研究科
  • 編集後記

《巻頭言》「人文情報学による100年前の落穂ひろい

鈴木俊哉広島大学総合科学部助教

今回、本月報の巻頭言を書く機会を頂きました。詳しくないのに生兵法で俯瞰風なことを書いても良くないと思いまして、ここしばらくやっている『説文解字』の小篆字形の諸本対照の話と、人文情報学・図書館情報学の方々に助けていただいている話を少し書いてみようと思います。少しお付き合いください。

この始末の悪い話の起こりは、もともと国際標準文字符号の ISO/IEC 10646に説文小篆を追加するという提案[1]です。この提案が字形の典拠として「藤花榭本」[2]を採用しており、それに違和感を感じる、というごく単純な疑問から来ています。

提案者はこれが宋刊本に一番近い版本だというのですが、宋刊本が最善なら本物の宋刊本を使えば良いし、皆が使っているというなら陳昌治本(一篆一行本)[3]、というのが、普通の認識だと思います。ところが提案者は「他の版本は妄改しているから不適切で、藤花榭本は妄改していない」と言うんです。

学問とかけ離れた話で恐縮ですが、こういう提案者は往々にして自分たちで作ったフォントが標準になりますから、という夢で資金調達してきたわけで、まかり間違ったら全部リセットになるような底本選定見直しをする見込みは低いです。でも、放っておいて Unicodeの解説書あたりに「宋刊本そのままの字形、だそうです」風な話が載るのはまずいだろう、と考えて、最低限、底本選定について明らかにしたかったという背景です。

さて、今では説文より古い先秦時代の文字資料が続々と出土するためか、説文の書誌学的な評価というのは、もう古漢字研究の本筋ではないらしく、十分網羅的な先行研究を見つけることができませんでした。中華字庫工程の内部ではそういうデータベースを作っているかも、と思いますが、ともかく「これを見れば用が足ります」的なものはまだ公には無い状況と思います。

実は、清代以降、説文の版本評価は何回も大変動があります。戦前までの議論は『説文入門』などの概説書で読めますが、まず明末清初に汲古閣の毛晋が宋刊本を入手して、息子の毛扆がこれを校訂して翻刻します(1713)[4]。

これ以前は、説文の内容を韻書の順番で並べた『説文解字五音韻譜』という別の資料が説文だと思われていたのですが、汲古閣本の登場で評価は大変下がったようです。でも80年ぐらい経つと「汲古閣本は宋刊本を多く改変している」と指摘されて、この評価も下がります。そこで、さらに宋刊本に近い翻刻本が必要だ、という状況になり、前述の藤花榭本(1807)や、平津館本(1809)が出ます。陳昌治本(1873)はこの平津館本のレイアウトを一篆一行にしたものです。清末にはただの参考書であれば陳昌治本、宋刊本っぽさを求めるなら平津館本、という状況だったようです。

次に、中華民国の頃になると、日本の岩崎文庫に売られた宋刊本の影印本が出てきます。すると評価が高い平津館本は岩崎本と突き合わされて「平津館本は宋刊本をそのまま彫っていない、妄改が多い」と批判されて評価が下がります。たぶん、提案者が「藤花榭本がベスト」と言い出したのはこの100年前ぐらいの研究の影響なんじゃないかと思います。

今世紀になると北京図書館にあった毛晋旧蔵の宋刊本(海源閣本)の影印出版などが世に出てきます。海源閣本は、藤花榭本の底本と見られるのですが、この2つが突き合わされて違いが見つかり、藤花榭本も底本を忠実に彫ってない、といってまた変動がありました。

これだけ始末が悪い状況で、もっと古い文字資料が出土するなら、プロパーの人はそっちに行きますよね。プロパーの人がやめたようなデータ作りを部外者がやるにはどうすれば?というところで人文情報学やデジタルアーカイブの出番というわけです。資料集めに関しては、京大や早大で既にデジタル化されていた資料にも助けられましたが、それ以外の資料の手配でも、先人が拓いた道に随分助けられました。たぶん、10年ぐらい前では、所蔵古籍の撮影というのは冊子体での翻刻しか想定されていなくて、デジタル画像をネット公開というのは非常に胡散臭い話だったのではと思います。今ですと、国会図書館などが CC 的なライセンスで実施しているので、「こういうことがしたい」という説明も容易になりましたし、「どこでどう公開して利用されるのか」という話も、永続性があるサイトとして機関リポジトリを紹介するだけで済むようになりました。もちろん、所蔵機関にこういった技術が身近な若手の方が就職されているということも幸運だったと思います。

それで、実際に切り貼りした結果なんですが、意外と藤花榭本は宋刊本ではなくて汲古閣本に似ているところがちょくちょくあります[5]。汲古閣本よりもっと宋刊本に近い翻刻が必要だ、という動機だった筈で、この結果は納得しづらいです。しかし、似た事例は人文情報学で知られているんですね。大正新脩大蔵経は、北宋の開宝蔵に近いと言われた高麗蔵を校訂して活版で刷りました、というのが通説ですが、底本の底本を辿っていくと江戸時代の鉄眼蔵に高麗蔵を対校した資料だったという話[6]に似ていると思うのです。つまり、宋刊本の翻刻はしたいけれども、校訂した上で彫りたい。すると、汲古閣本をベースに対校して、そこから版下を作る手順もあり得ます。汲古閣本と宋刊本はレイアウトが全然違うので、そんな作業で宋刊本のレイアウトに似せられるか?という疑問はあります。しかし実際、平津館本と藤花榭本を比較すると、藤花榭本のほうが宋刊本からのレイアウトずれが大きいんですね[7]。

「藤花榭本が一番宋刊本に近い」という説を支持する結果が出てこないので、どういう根拠なのか、というのをしつこく提案者に聞いていたのですが、見るに見かねたのか、2017年になって中華字庫工程の関係者から「裘錫圭先生は版本評価だけ考えたら平津館本がベストと言っていた、でも藤花榭本で作業して良いと思う」というコメントが出てきました[8]。こういう本物の研究者からコメントが採られてくると「子供の喧嘩に大人が出てきた」で、強制終了という感じになりますが、不正確な認識の広まりを防ぐ根拠の文書が本物の研究者から出たのは少し良かったかなと思います。

最後に、版本比較の資料を作っていて感じたことを一つ書いて終わりたいと思います。

今まで知られていなかった資料でなくても、既知の資料のアクセス性が大きく向上するだけで、通説の見直しは起き得るんですね。印刷か補写かわかるような高詳細画像であるとか、マークアップされたデジタルテキストといった、本物のデジタルアーカイブが必要だ!という話は過去の巻頭言でも何度も偉い方々が言っておられますから、筆者があらためて書くまでもないでしょう。しかし、マイクロフィルムの紙焼きを事務機でスキャンした PDF のようなチープなものでも、著作権があやふやな影印本よりはアクセス性は遥かに向上しているわけで、ブレイクスルーの糸口になるんじゃないか?と思います。利用者がそういうものを作ったら所蔵機関がホストしてくれるような変化が起きないかな~、と祈りながら、今日もキコキコと画像を切り抜く作業に戻ります。

[5] 鈴木俊哉「『説文校議』に見える「宋本」と平津館本の関係について」『広島大学大学院総合科学研究科紀要II 環境科学研究』12、2011。http://doi.org/10.15027/45239
[7] 鈴木俊哉「説文解字書影対比をテンプレートマッチで行う際のパラメータ自動設定について」『研究報告人文科学とコンピュータ(CH)』2017-CH-115(3)、2017。http://id.nii.ac.jp/1001/00182792

執筆者プロフィール

鈴木俊哉(すずき・としや/広島大学総合科学部助教)。博士(理学)。情報規格調査会 SC2専門委員会オブザーバ、SC34専門委員会幹事。
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《連載》「Digital Japanese Studies 寸見」第44回

デジタル・コレクションを定位する

岡田一祐国文学研究資料館古典籍共同研究事業センター特任助教

この連載では、デジタル・コレクションのありかたについて議論することが多かった。さて、デジタル・コレクションを作るとなったとき(それが作りたくてなったのかいなかはこの際問わない)、どういう位置づけのものにすることがあり得るのだろうか。備忘のようなことになってしまうかもしれないが、考えてみたい。

デジタルという往々にして既存の枠組みにないことをはじめるにあたって、予算の多寡と継続性は、最大の問題であり続けている。デジタル化された資料がなければ撮影し、あるいは電子テキスト化する必要がある。なんらかの方法でデジタル化したのちに、デジタル・コレクションを提示するシステムは、無償でもすぐれたものがあるが、そのようなばあいはできあいのシステムに自分たちを合わせるか、さもなくばコストをかけてあらたに構築する必要がある。システムを設置するサーバーも、既存の広報用ウェブサーバーとは別仕立てにしなければならないことも多く、サーバーおよび回線の設置維持費用が継続的に発生することとなる。セキュリティも当然考えなければなるまい。コンテンツの追加、広報にかかる人件費も当然考えなければならない。どのようなシステムがよいか、さきに決まっているのでなければ、コレクションの中身を考えながらでも遅くはない。

なぜ上のようなことを考えなければならないかといえば、出したいものがあるからである。では、出したいものはどこから出てくるのだろうか。それは手元にあることもあるし、他所様の持っているものであったりする。

ここで分かれ道がある。ひとつには、選りすぐりを示すこと。もうひとつとしては、全貌を示すことである。選りすぐりを示すのは、とくに地域資料が集まっているような場合は有用に働くことがある。大阪市立図書館のように視覚資料が多ければ、利用を持ちかけやすい[1]。とはいえ、地域外由来の資料でも、その地域に残った歴史を踏まえれば、地域資料として見られないことはない。むしろ、地域外の資料によって地域資料の位置づけが可能となるわけで、コレクションそのものとしては全貌を示すほうが好ましいことが多いと考える。本連載の第2回において触れたことがあるが[2]、「いろは」のような往来物は、まさに地域で作られ、息づかいを伝える資料であるのにデジタルコレクションには加えられないことのほうが多い。また、地誌類は視点をほかのところから借りてくることが多く、読み解くにはそれだけ読めばよいわけではないということも考え合わせるべきである。地域資料の生まれた文脈を知るうえでも、先人の学問に学ぶうえでも、資料全体を大事にしてほしいと思う(地域資料以外であれば、特徴ある資料と読み替えていただきたい)。

コレクションの範囲を決めたのちは、目録をデジタルに載せることを考えることになる。目録はすでに OPAC に組み入れられるなどされてデジタル化されていることも多いと思うが、一筋縄ではなかなかいかない。管理の流れを大きく乱さないことも重要であるが、電子化に際して他の規格との整合性が図られれば、自コレクションを超えた連携が可能となり、いいことも多い。どの規格がよいということも一概に言えないが、付加情報としてでも国書総目録や日本目録規則に則ったデータを与えられれば便宜は増すことになる。

なにを出すか決めたあとに大切なこととしては、世にすでに広まっているものに、うまく乗っかるほうがよいということである。一度広めると決めた以上は、自らのささやかな見識よりも流通性のほうが重要である。資料については、作り手がもっともよく知っているが、同様に、ほかのものにはそれを得手とする人々がいる。デジタル撮影にあたっては、国会図書館が資料デジタル化の手引[3]を公開しており、全般的な資料の取り扱い、とくに和本等については、国会図書館と国文学研究資料館が講習会の資料を提供している[4]。テキスト化については無限の可能性があって一概に言えないが、「みんなで翻刻」のような細部に立ち入らない割り切りが当面はよい[5]。

画像公開もまだ若干ハードルが高いかもしれないが、IIIF などの標準が広がりつつある。京都大学と慶應義塾大学の連携で行われている富士川文庫デジタル連携プロジェクト[6]は、それじたいいろいろなところで試みられてきた分裂したコレクションをバーチャルに一堂に会させる試みを、IIIF を援用することによってかなり省力化して行った例である。IIIF では、部分画像にも URL を安定的に附与することが可能になり、画像ダウンロードをして加工するという一手間をなくすだけでなく、情報の一元管理も容易にした。その応用例として CODH が行っている IIIF キュレーションプラットフォームが挙げられよう[7]。

コレクションをどのように見せてゆくかは、けっきょくはどんな資料を出すかにかかってくる。一番見せたいものを見てもらうには、よほどそれに耳目を引く力がなければ、導線作りが重要である。システムや見せ方は、もちろん重要であるにせよ、根本は大事にしてきた資料全体が可能性を秘めている。そのうえに、デジタル・コレクションの位置づけが定まってくるのではないかと思う。

[1] 大阪市立図書館 https://twitter.com/oml_tweet では、【今日の一枚】と題して視覚資料を毎日更新している。
[2] 岡田一祐「ADEACのアーカイブ追加:日本文化研究で小規模デジタル・アーカイブズをどう使うか」『人文情報学月報』46前編(2015年5月)
[3] 国立国会図書館資料デジタル化の手引|国立国会図書館―National Diet Library http://www.ndl.go.jp/jp/preservation/digitization/guide.html
マニュアル・パンフレット・翻訳資料|国立国会図書館―National Diet Library http://www.ndl.go.jp/jp/preservation/manual/index.html
[4] 研修・保存フォーラム|国立国会図書館―National Diet Library http://www.ndl.go.jp/jp/preservation/cooperation/training_forum.html
[5] 岡田一祐「ボランティアによるコラボレーションのありかた 『みんなで翻刻』リリースに寄せて」『人文情報学月報』66前編(2017年1月)
[6] 富士川文庫デジタル連携プロジェクト http://www.kulib.kyoto-u.ac.jp/rdl/digital_fujikawa/index.html
[7] IIIF Curation Platform の特長 | 人文学オープンデータ共同利用センター http://codh.rois.ac.jp/iiif-curation-platform/
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《連載》「欧州・中東デジタル・ヒューマニティーズ動向」第8回

ボドマー・コレクションが写本のオンライン・データベースを公開/ハンブルク大学が写本学のエクスツェレンツクラスター(ドイツ研究振興協会)を開設へ

宮川創ゲッティンゲン大学研究員

今月は、表題の2つの大きなニュースが入ってきたため、ヨーロッパを中心に発展しているテクスト・リユース研究の後半を延期し、この2つのビッグ・ニュースについて解説する。

BodmerLab について

マルティン・ボドマー財団(フランス語読みでマルタン・ボドメール財団とも呼ばれる)は、コプト語[1]文献やギリシア語聖書写本の最古層のものが多数含まれているボドマー・パピルス・コレクションなど、多数の貴重な資料を有することで知られている。この財団は現在、スイス・ジュネーヴ近郊のコロニー Cologny という街にある。この度、このボドマー財団がジュネーヴ大学と協力して開発したオンライン・データベースである BodmerLab(https://bodmerlab.unige.ch/fr)が公開された。このウェブサイトでは、IIIF[2]の枠組みで、クリエイティヴ・コモンズ CC-BY-NC, 4.0ライセンス[3]が付与された研究者向けの写本の高精細写真が Mirador によって自由に閲覧できる。マルティン・ボドマー Martin Bodmer(1899–1971; フランス語読みで名前をマルタン・ボドメールと表記することもある)は、スイス・チューリッヒ生まれの銀行家であり、多数の貴重な古写本を購入し、所有したことで知られている。

現在、BodmerLab はベータ版であるが、ボドマー・パピルスの数多くが掲載されている(https://bodmerlab.unige.ch/fr/constellations/papyri)。ボドマー・パピルス・コレクションには、コプト語のうち、P方言(Dialect P)、または、原サイード方言(Proto-Sahidic)、あるいは、原テーベ方言(Proto-Theban)と呼ばれる古い方言で書かれている聖書の『箴言』の翻訳のパピルス写本がある(P. Bodmer VI もしくは P. Bodmer 6と一般的には表記されるが、BodmerLab では PB6と表記されている)。この方言では、一般的なコプト文字にはない文字がいくつか用いられているが、これらは民衆文字から取られた文字である。これらの文字のうちには、声門閉鎖音を表すと思われる文字や有声咽頭摩擦音を表すと思われる文字も含まれているため、この P. Bodmer VI は、コプト語歴史音韻論・音声学において、大変重要である。この P. Bodmer VI のパピルス資料のリンクは https://bodmerlab.unige.ch/fr/constellations/papyri/barcode/1072205347 である。ライセンスはクリエイティヴ・コモンズ CC-BY-NC, 4.0であり、非商用でクレジットをつけた上で自由に再利用ができる。IIIFの枠組を用いており、Mirador で見ることもできる(https://bodmerlab.unige.ch/fr/constellations/papyri/mirador/1072205347)。ジュネーヴ大学による IIIF のマニフェストは JSON ファイルで書かれている(https://iiif.unige.ch/manifest/IIIFManifest_1072205347.json)。

インターフェイスの言語はフランス語のみであるが、写本のメタデータや説明は英語が用いられる。今後インターフェイスを英語に切り替えられるようになることが予想される。Mirador も実装され、ズームインを用いてより詳細な写本の研究をすることが可能である。この場合、写真はかなり高精細であり、細かい文字も拡大することによってよく見える。現在ベータ版で公開されている資料はボドマー・コレクションのうちの一部であるが、これからはより多くの貴重な資料が順次公開されていくことが期待される。

ハンブルク大学・写本学エクスツェレンツクラスターについて

前回にも脚注で少し触れたが[4]、9月末にドイツ研究振興協会(Deutsche Forschungsgemeinschaft)が、新エクスツェレンツクラスター(Exzellenzcluster)を発表した。エクスツェレンツクラスターは、大学重点政策の一環で、ドイツのそれぞれの大学にあるテーマのエクスツェレンツクラスターの研究所を設立させ、そこに巨額な補助金を注ぎ込むことで、多数の研究者を雇用し、研究の重点化を図ろうとする制度である。

人文学の分野では、ベルリン自由大学とベルリン・フンボルト大学に共同で設立された、エクスツェレンツクラスター TOPOI: The Formation and Transformation of Space and Knowledge in Ancient Civilizations(https://www.topoi.org/)が、古代文明における「空間と知識」に関する学問と言うことで、エジプト学者や西洋古典学者、アッシリア学者、考古学者、歴史学者などに、それぞれの専門の地域や時代や社会、または言語における「空間と知識」に関する研究させたことが記憶に新しい。TOPOI は2007年11月–2017年10月の間存続した。今回の選考では、TOPOI の後継プロジェクトも申請していたものの、落選してしまった。

今回の選考では、今まで通り、自然科学系が数多くエクスツェレンツクラスターを取得した。筆者の所属するゲッティンゲン大学でも、4つ申請していたエクスツェレンツクラスターのうち、生物学を中心に据えたものが選ばれた。ゲッティンゲン大学の人文学系からは、Making and Unmaking of the Religious という宗教学や文化人類学、歴史学のエクセレンツクラスターの申請を行なっていたが、落選した。

今回、人文学を含むものは数える程だが、そのうち欧州のデジタル・ヒューマニティーズに大きな影響を与えるであろうエクスツェレンツクラスターとしてはハンブルク大学の Understanding Written Artefacts が挙げられる。これは9月に、筆者が夏期講座で講義を受け持った会場である Centre for the Study of Manuscript Cultures を受け継ぐものである。Centre for the Study of Manuscript Cultures は、正式な名称は、ドイツ研究振興協会の特別研究領域(Sonderforschungsbereich)/共同研究センター(Collaborative Research Centre)950 “Manuscript Cultures in Asia, Africa and Europe” である。共同研究センター/特別研究領域というのは、4年ごとに更新の判断が下され、最長12年間存続することのできるドイツ研究振興協会の研究所である。この共同研究センターは、それ自体が、DFG-Research Group 963 “Manuscript Cultures in Asia and Africa”(2008–2011)の後継である。

この新エクスツェレンスクラスターの前身となる共同研究センターは、Hiob Ludolf Centre for Ethiopian Studies に設けられた Comparative Oriental Manuscript Studies(COMSt)研究所など、いくつかの著名な研究機関とも提携している。COMSt といえば、2015年に676ページの大部の書籍である Comparative Oriental Manuscript Studies: An Introduction[5]を出版したことが記憶に新しい。この書籍は公式に無料でダウンロードすることが可能である (https://www.aai.uni-hamburg.de/en/comst/publications/handbook.html)。この書籍は、中近東、コーカサス、ギリシア、そして東欧を中心にした写本学についての知見を網羅した大作である。これにはアラビア語、ギリシア語、コプト語、シリア語、アラム語、ヘブライ語、ゲエズ語、スラヴ語などの写本学が含まれている。

去る10月、このハンブルク大学の新エクスツェレンツクラスターが、55人の研究者の公募を発表した。そのうち5人が上級ポスドクであり、15人がポスドク、35人が給料付き博士課程の研究員である。上級ポスドクは TV-L 15 100%のスケールで、ポスドクは TV-L 13 100%、給料付き博士課程の研究員は TV-L 13 75%のスケールで毎月の給料を得る。TV-L はドイツの研究機関の給料体系であり、TV-L 15 100%の給料は、個人や地域的な条件などで多少は異なるものの、2018年11月17日の時点で、初年は月額566,788.80円(4398.75ユーロ)、手取り約322,723.33円(2504.60ユーロ、ただし、個人や自治体の条件で変わる)である。TV-L 13 100%の場合、こちらも個人や自治体で多少変化はするが、月額約473,148.01円(3672.02ユーロ)、手取り約280,336.09円(2175.64ユーロ)である。12月には、通常、日本のボーナスに当たるクリスマス手当が上乗せして支給される。ドイツには給料の計算のためのウェブサイトが幾つか存在し、今回は http://oeffentlicher-dienst.info/c/t/rechner/tv-l/west?id=tv-l-2018 で計算した。

この新エクスツェレンツクラスターの研究領域は、共同研究センターなど他のドイツ研究振興協会の研究所と同じく、アルファベットで分けられており、さらにそれぞれの研究領域には下部プロジェクトがあって、下部プロジェクトごとに数字が割り振られている。以下は、予定されているプロジェクトの一覧である。

研究領域 A: Artefact Profiling. A1: Technical and methodological developments towards non-invasive and in-field profiling.A2: Understanding artefacts on a material level: Origin ― Change.研究領域 B: Inscribing Spaces.B1 Signs of Power.B2 Everyday Life.B3 Epigraphy of Death.研究領域 C: Creating Originals.C1: The written artefact as material object. C2: Originators: Producers and production of the written artefact.C3: Use of the written artefact. 研究領域D: Formatting Contents. D1: Multilingual written artefacts. D2: Multigraphic written artefacts. D3: Multilayered written artefacts.研究領域 E: Archiving Artefacts. E1: Material and spatial dimensions of archiving. E2: Epistemic dimensions of archiving. E3: Cultural, social, and political contexts of archiving.そのほかに、データ・リンキング研究ユニット(Research Unit Data Linking)がある。詳しくは、https://www.written-artefacts.uni-hamburg.de/en/research-fields.html を参照。

これら研究員の公募は11月16日が締め切りであり、残念ながら、本連載配信時には間に合わないが、筆者はフェイスブックなどで情報を拡散した他、個人的に興味がありそうな友人や知人、同僚に通知した。必要とする研究者に情報が行き渡っていることを筆者は望む。これらのポジションは2019年1月1日に始動し、契約期間は3年である。以降も他に募集があるものとみられるため、関心のある研究者には、定期的にこのエクスツェレンツクラスターのウェブサイトをチェックすることを推奨したい。

以上、欧州のデジタル・ヒューマニティーズにおける10月下旬–11月中旬の2大ビッグ・ニュースをお伝えした。以降、このようなニュースがあれば、逐一お伝えしたい。次回は、前回お伝えした欧州のデジタル・ヒューマニティーズにおいて発展してきているテクスト・リユース研究の後半を執筆する予定である。

[1] コプト語(Coptic)は、エジプト語の最終段階である。エジプト語はピラミッドや王家の墓などで有名な古代エジプト文明を担った古代エジプト人の言語であり、エジプトに根付いた古来からキリスト教文化を今日に伝えるコプトの人々の典礼で現在も受け継がれ、世界最長の文字記録をもつ。コプト語以前のエジプト語はヒエログリフ(聖刻文字)、ヒエラティック(神官文字)、デモティック(民衆文字)で記されたが、コプト語は、ギリシア文字をベースにいくつかのデモティック由来の文字を加えたコプト文字で記される。コプト語はコプト文字で書かれたエジプト語であり、紀元後3世紀頃からその文字使用が定着し、現在も、エジプトのキリスト教の伝統を古来より受け継ぐコプト・キリスト教会(代表的なものとしてコプト正教会)によって典礼言語として用いられている。コプト・キリスト教の文献に限らず、初期キリスト教の諸派、グノーシス主義、マニ教などの貴重な宗教文献がこの言語で残っている。言語学的なエジプト語の歴史性を考慮して、コプト・エジプト語(Coptic Egyptian)という呼称もなされる。
[2] 人文学共同利用研究センターは「IIIF (International Image Interoperability Framework)とは、画像へのアクセスを標準化し相互運用性を確保するための国際的なコミュニティ活動である」と定義している(「IIIFを用いた高品質/高精細の画像公開と利用事例」http://codh.rois.ac.jp/iiif/
[3] クリエイティヴ・コモンズライセンスについては、シンガポールの南洋理工大学の Francis Bond 教授の授業資料(“The Great Game: Sherlock in Popular CultureSherlock Holmes and Herlock Sholmès” Lecture 9, http://compling.hss.ntu.edu.sg/courses/hg8011/pdf/hg8011-09-game.pdf)のスライド22とその前後のスライドがわかりやすい。
[4] 宮川創「デジタル・ヒューマニティーズにおけるテクスト・リユースと間テクスト性の研究」『人文情報学月報』87前編(2018年10月)、脚注1を参照。
[5] Bausi, Alessandro et al. (eds.) Comparative Oriental Manuscript Studies: An Introduction (Hamburg: COMSt, 2015). https://www.aai.uni-hamburg.de/en/comst/publications/handbook.html において、“You can download the entire book or single chapters here” と書かれた箇所をクリックするとこの書籍の PDF ファイルをダウンロードできるリンクが現れる。
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