人文情報学月報第175号
ISSN 2189-1621 / 2011年08月27日創刊
目次
- 《巻頭言》「人文系デジタルアーカイブ/研究データの持続可能性に関する現状と課題(1)」
:一般財団法人人文情報学研究所/慶應義塾大学 - 《連載》「欧州・中東デジタル・ヒューマニティーズ動向」第91回
「トリノ・エジプト博物館のデジタル・トランスフォーメーション」
:筑波大学人文社会系 - 《連載》「英米文学と DH」第14回
「閑話休題:DH と教育(2)」
:中央大学国際情報学部 - 人文情報学イベント関連カレンダー
- 編集後記
- 「デジタル研究基盤としての令和大蔵経の編纂―次世代人文学の研究基盤構築モデルの提示」ニューズレター第4号(本誌「特別付録」として隔月配信)
《巻頭言》「人文系デジタルアーカイブ/研究データの持続可能性に関する現状と課題(1)」
2026年 2月1日(日)に開催された情報処理学会人文科学とコンピュータ研究会において、筆者は「IIIF と AI を用いた蔵書印ツールコレクションの開発―蔵書印 DB 移転と AI 篆字認識開発を契機として―」という発表を行なった。本稿では、これを踏まえつつ、人文系のデジタルアーカイブ、あるいは研究データと呼ばれるものの持続可能性に関する現状と課題について、2回にわけて考察してみたい。
ここで言う人文系のデジタルアーカイブ、あるいは研究データ(以下、人文系データと呼ぶ)とは、人文学で活用することを目的に含みつつ作成された、関連するデジタルデータ全般を指すと考えていただきたい。つまり、図書館が作成する古典籍・古文書や地域史料等のデジタルアーカイブから、TEI ガイドラインに準拠して作成された精密化構造化テキストデータ、現場で記述してきたフィールドノートを文字起こししたデータ、アンケート結果としての数値データなど、とりあえず関連するものすべてを大まかに含むものとしてみたい[1]。
そもそも人文系では、紙の本や雑誌として出版し、納本することによって国立国会図書館に所蔵してもらい、そこで未来永劫保存されるという持続可能な情報共有の手法が長らく定着してきている。紙の本であっても安全に保存していつでも取り出せるようにするためには膨大なコストがかかるのだが、それは現時点では国立国会図書館に公金を投入するというコンセンサスが国の制度として定着しているので、今のところはそれほど問題にする必要がない。
一方、人文系のデジタルデータについて考えてみると、本、つまり電子書籍についてはオープンアクセス出版のプラットフォームが海外では様々な形で提供されつつあり[2]、日本でもそれを活用した事例が出てきつつある[3] [4] [5]。こうした動向は、オープンアクセス出版を前提とした研究助成金が支出されるという当地の政府や研究助成団体の枠組みに支えられているようだ。国内でも一部、書籍のオープンアクセス出版が行なわれるようになっている[6] [7]。電子書籍の場合、刊行元のサイトがなくなってしまうと読めなくなってしまうことが懸念されるが、再配布可能なライセンスを持つオープンアクセス出版であれば、刊行元にアクセスできなくなったとしても他の組織・サイト等で公開できるため、持続可能性という観点では比較的安全であり、学術系のオープンアクセス出版ではそうする傾向が強いように思われる。また、学術雑誌に関しては、海外では様々な課題は指摘されるものの一つの潮流として定着しており、国内でも J-STAGE が無料で利用できる学術雑誌のオープンアクセス出版プラットフォームとして広まっており、人文系の学術雑誌においても徐々にこれに移行する例が増加してきている[8]。J-STAGE のように学術分野全体を対象とした枠組みの場合、人文学が独自に努力せずとも発展するものであり、人文学としてはその成果を活用する形で徐々に学術雑誌、つまり、論文のオープンアクセス化が進みつつある。これも持続可能性という観点では電子書籍と同様である。
一方、研究データについては、やや様相が異なる。ここでは、研究者が作るデータ(1)として、自分の分野の研究者達のための工具書のようなものとして作成するデータ(1-A)、研究の過程で作る研究データ(1-B)、に分けてみよう。一方、大学図書館等で作成されて人文学研究者が研究のために利用することの多いデータとしてのデジタルアーカイブ(2)、という風に仕分けてみよう。
そうすると、(1-A)と(2)は、他者が利用することを前提として作られているという点で近しいものであると言える。また、(1-A)には、単なる検索用データや構造化テキストなど、テキストベースのものが多いが、近年は、資料のデジタル画像を含むものも増えてきており、見た目はデジタルアーカイブと区別がつきにくいものもある。
しかし、(2)は組織的に作成されることが多く、組織的な持続可能性を期待できる一方で、(1-A)は、作成したプロジェクトが頓挫したり、作成者が逝去したりしたらその時点で使えなくなってしまうことも少なくない。大学図書館と国立情報学研究所との連携・協力推進会議の下に設置されている「これからの学術情報システム構築検討委員会」[9]によって2024年5月以来開催されている勉強会シリーズ「デジタルアーカイブ×メタデータ勉強会」では、組織的にサポートできない関連機関内のデジタルコンテンツを「孤立系アーカイブ」や「野良アーカイブ」と表現することで課題として採り上げていたが、 (1-A)はこれに含まれるものであると考えられることから、大学図書館等においても認識が広がりつつあると期待しておきたい。
(1-A)にしても(1-B)にしても、研究者が作るものである以上、作成者がその持続性についても責任を持つことになる。欧州連合では、そうしたデータを預かって保存する仕組み Zenodo[10]を学術分野全体に対して提供している。Zenodo は世界の研究者に開かれたものであるため、日本の研究者であってもここに研究データを保存することができる。そういうところに保存しても発見性が低くなってしまうのではないかという危惧が生じるが、それに関しては、人文・社会科学系のデジタルコンテンツ横断検索サイトとして SSH Open Marketplace [11]が提供され、ここに自分のデータのURLとメタデータを登録申請することで、新規に作成したデータも検索できるようになっている。この SSH Open Marketplace も、欧州域外の研究者でも登録可能である[12]。
そのようなことで、日本の人文系研究者であっても、Zenodo と SSH Open Marketplace を使うことで、人文系研究者に届く形で研究データの公開が可能な環境がすでに提供されている。
さらに、学術分野全体としては、研究データの構築を研究評価の対象として位置づけるために、研究データ自体を査読付きジャーナルに掲載できるようにするという流れが出てきているが、人文・社会科学分野においても、国際的には2つのオープンアクセスジャーナル[13][14]がすでに運用されており、日本語論文誌でも同様のものが存在する[15]。
研究データのなかでも公開できるものに関しては、このようにして徐々に環境が整備されてきている。しかし、人文系の研究データには、種々の理由により公開できないものも少なくない。そうしたものに関しては、メタデータのみ公開しつつデータの本体は確実に秘匿できるような仕組みが必要な場合もある。それについては人文学以外の分野ではすでに国内外で様々な枠組みが運用されており、そうした事例を参考にしつつ、より広く可能性を検討していく必要があるだろう。
このような状況を踏まえつつ、冒頭に述べた蔵書印 DB の移転を通じて経験した具体的な課題について、次の機会に述べてみたい。
和文論文誌 https://www.jstage.jst.go.jp/browse/jadh/-char/ja.
英文論文誌 https://www.jstage.jst.go.jp/browse/jjadh.
執筆者プロフィール
《連載》「欧州・中東デジタル・ヒューマニティーズ動向」第91回
「トリノ・エジプト博物館のデジタル・トランスフォーメーション」
トリノ・エジプト博物館(Museo Egizio)は、1824年にサルデーニャ王カルロ・フェリーチェ・ディ・サヴォイアがベルナルディーノ・ドロヴェッティの収集品を購入したことに始まる、世界最大規模の古代エジプト・コレクションを有する博物館である[1]。約40,000点の収蔵品は、先王朝時代からコプト期まで約5,000年にわたるナイル河谷の物質文化を網羅し、Deir el-Medina をはじめとするイタリア考古学使節団の発掘成果を含む。
本稿が注目するのは、同館が過去10年間に体系的に構築してきたデジタル・ヒューマニティーズ基盤である。2018年に開始された「SiME (Sistema Museo Egizio)」プロジェクトは、収蔵品のデジタル管理・研究・公開を包括的に統合するシステム構築を目指すもので、以下に述べる TPOP・3D・オープンサイエンスの各取組みはすべてこの構想の下に位置づけられる[2]。
同館のパピルス文献研究の中核基盤が Turin Papyrus Online Platform(TPOP)である[3]。Thot Data Model(TDM)に準拠したデータ構造は、Object(物理的断片)・Document(巻物などの考古学的単位)・Witness(テクスト伝承の担体)・Text(テクスト内容)の四層からなり、エジプト学固有の資料特性を精密にモデル化する[4]。一巻物に帳簿・詩・書簡・賛歌といった異なるジャンルのテクストが長期間にわたり順次書き加えられたパピルス文献を的確にモデル化する。各断片には高解像度 TIFF 画像が紐づけられ、繊維方向・インクの色・保存状態などの物理的メタデータに加え、JSesh[5]によるヒエログリフ転写や多言語対訳が構造化されて付与されている。Trismegistos[6]や Deir el-Medina Database[7]とのリンクト・オープン・データ(LOD)による連携も目指している。

TPOP と連携する「Crossing Boundaries」プロジェクト(2019–2023年、バーゼル大学・リエージュ大学、スイス国立科学財団/ベルギー国立科学研究基金助成)は、パピルスにおける書記実践の解明を目指した学際的研究である[9]。パピルスを単なる情報の媒体ではなく、切断・貼継ぎ・洗浄・再筆といった物質文化のライフヒストリーを有する考古学的オブジェクトとして捉え直し、古書体学と個人同定の接合により、同一パピルス上の複数の写字生の「手」から誰が・いつ・なぜ書き加えたのかという行為の再構築を試みた。このプロジェクトの技術的中核が Virtual Light Table(VLT)である。このツールは、断片画像の移動・回転・反転・重ね合わせに加え、「ゴースティング」機能によるインクの裏写り分析、さらに機械学習による繊維方向の自動検出(セマンティック・セグメンテーション)を統合し、脆弱な資料の非破壊による復元を可能にした。12,000点以上の断片を整理・公開した本プロジェクトは、パピルス学の規模と質を大きく引き上げた。旧来のパピルス文献研究ではしばしば所蔵者による出版権の独占が常態化していて、未公開資料がなかなか公開されないままであったが、TPOP はオープンアクセスへの転換を実現し、「誰が先に出版するか」から「いかに多様な視点からオブジェクトを解釈するか」へ学術文化をシフトさせた。2020年のEuropean Heritage Award(Europa Nostra Award)受賞はその国際的評価を示している[10]。

3D 技術も多面的に展開されている。「Faces Revealed」プロジェクト(2021–2024年、UCLA・ミラノ工科大学等)は、第19〜22王朝(前1292–716年頃)の「黄棺(Yellow Coffins)」約100基をフォトグラメトリーと Artec Leo による3D スキャンで高精細モデル化した[12]。テクスチャ付きモデル(彩色表面)とジオメトリのみのモデル(木材彫刻下地)の比較により、通常は漆喰と彩色層に覆われて不可視の木材彫刻を可視化した結果、多くの棺で彩色と下地彫刻の輪郭が不一致であることが判明し、棺の転用・再利用の痕跡が科学的に実証された。
また、同館と提携する 「digitalEPIGRAPHY」プロジェクトでは、シカゴ大学のプロジェクトである Epigraphic Survey に基づく高水準の古代エジプト語碑文のデジタル翻刻が図られており、ステラ・彫像・棺・ウシャブティのような小型遺物といった様々な古代エジプトの遺物に書かれている古代エジプト語文のデジタル記録手法の開発が進行中である[13]。さらに、Wikidata へのメタデータ登録により Linked Data としてグローバルに利用可能となっており、Edition Visualization Technology(EVT)を用いたギリシア語パピルスのデジタル学術編集版も進んでいる [14]。
そのほか、同館所蔵の古代エジプト・コレクションの画像のオープン化も着実に進み、2022年の Wikimedia Italia・Creative Commons Italia との協定で画像5,500枚以上が CC BY 2.0で、エルネスト・スキャパレッリとジュリオ・ファリーナによる発掘調査(1903–1937年)の記録写真約1,500枚が CC0で公開されている[15]。

これらのトリノ・エジプト博物館のデジタル・トランスフォーメーションについては、DH の観点から次の三点が示唆的である。第一に、Thot Data Model(TDM)や CIDOC CRM のように対象資料の断片・文書・テクスト・作品といった多層性を精確にモデル化し、長期的な持続可能性を考慮したデータ設計である。第二に、TPOP のオープンアクセス方針が旧来のパピルス文献公刊の閉鎖的な慣行を変革し、FAIR 原則準拠を志向していて、古代エジプトの文化遺産データのオープン化・民主化のモデルケースとなりうる点である。第三に、VLT における機械学習導入のように最先端の AI 技術の導入によって人文知に挑む方法論の刷新を駆動している点である。古代エジプト資料でこれほど体系的な DH 基盤が構築された事例は稀有であり、 2023年11月28日〜12月1日に同館で開催された国際会議「Im/materialities」では、同館がデジタル化し公開した、古代エジプトの文化遺産をはじめとするデジタル・オブジェクトの存在論や、それらへの AI の応用といった喫緊のテーマが議論された[18]。トリノ・エジプト博物館が掲げる「長期的視点」「学際的協働」「オープンサイエンス」という三原則は、古代エジプトの DH にとって重要な参照点となるであろう。
《連載》「英米文学と DH」第14回
「閑話休題:DH と教育(2)」
前回の閑話休題では、AI と教育に関わる問題を取り上げ、共同知ととまどいからなる賛否を概観した。今回はその続きとして、高等教育機関に関するアメリカの業界誌である『ザ・クロニクル・オブ・ハイヤー・エデュケーション』の2025年前後の記事を取り上げ、主にアメリカの大学における AI の現状をみたい。
高等教育機関とAI
ここで取り上げる記事は、AI に対し学生、教師、大学組織が抱く反応をそれぞれ示す記事である。はじめにイリノイ州立大学講師デレク・オコンネルによる学生の使用や反応についての記事を参照する。AI を使用する学生の割合、利用方法、AI の使用に対する学生の意識、学習に生じた変化、教育者への示唆などが考察されている。
オコンネルは学生の AI 使用に関する各新聞記事をまとめ[1]、学生の AI 使用率がここ数年毎年急速に増加し、年齢が高くなるほど使用する学生が増えること、大学では専攻により AI を使う学生の割合が異なることを述べる。学生は AI を、情報を検索したり、説明を得たり、文章執筆の支援に使ったり、あるいはレポートを全て書かせたりといった用途で使う。それは時間を節約し、わからないことへの回答を即座に得る使い方である。また教育機関が策定する学生への AI ポリシーは重要である。多くの学生は自己の所属する教育機関で AI は十分に取り入れられておらず、教育の場でさらに使われるべきであると考えている。同時に、多くの学生は AI 主導の授業を価値あるものと認めておらず、特に AI による授業評価に危惧を抱いている。
オコンネルは学習に生じた変化として、ジョージ・ワシントン大学教授のロレーナ・バーバが提唱する、学んでないのに学んだ気になるという能力の錯覚と、そこから示唆される学習における認知負荷の減少を指摘している。また AI を使用した学習を区別し、どのような論点から研究を始めれば良いか AI に示唆させるといった学習を促進する機能、回答を生成するといった学習を代替する機能、論を支持するデータを提供させるといった学習を補う機能をあげた上で、AI 使用の適切な管理を説いている。
学生が AI を駆使している現状に対し、教師の側の反応はとまどいといってよい。これには教育における技術の習得の問題と、AI、特に生成 AI による強化と代替の問題が関連する。『ザ・クロニクル・オブ・ハイヤー・エデュケーション』誌の記者であるベス・マクマートリーは、ノートブック LM という AI ツールを授業の復習や課題に駆使する学生と、ツールの存在すら知らなかった教師との、教育に関する意識の差の逸話を示す[2]。学生が AI ツールの有用性を説く一方で、教師は AI による受動的な学習に懐疑を示し、同時にツールの存在を知らなかったことに対し教育上の責任を感じる。それは生成 AI の仕組みを知り、効果的な使用法を学び、生成 AI の出力を評価する術を知り、生成 AI の弱みと危険性を知るという教師側の AI リテラシーの問題である。マクマートリーは、非営利型の研究コンサルティング会社であるイサカ S+R の調査に触れ、大学の専任教員のうち自信を持って生成 AI を用いた教育を行える者が二割に満たない現状を示す。授業の解説や要約を作成し、対話型のポッドキャストを作成するなどツールを使いこなす学生に対し、教員の側は、AI を教育にどう取り入れたらよいかいまだに試行錯誤しているのである。
AI の強化と代替の問題も教育における懸念事項である。メリマック大学教授であるダン・ソーローファイアン=ビューティンが示すように、AI は学習を強化し支援する長所がある反面、思索に満ち、繰り返され、努力を要するという教育と学習の全プロセスを切り崩し、即座に生じる効果的で洗練された処理へと変える[3]。思考のプロセスを経ることなく学生は学習を AI に代替させうるということである。従来の教育のあり方自体が問い直されており、教師は教育の問い直しと技術の習得を同時に迫られているといってよい。
最後に大学組織の反応である。マクマートリーは330の大学の学長や総長らに対して行われた最近の高等教育機関における AI の使用に関する調査を参照し[4]、大多数の大学が AI の利点と懸念を表明していることを指摘する。大学は、AI が学習を強化しかつ個々の学習者に合わせた学習を提供しうると考える。また学生の研究スキルを向上させ、明瞭かつ説得的に文章を書く能力を上達させると考える。一方で、大学は学問の誠実さに及ぼす影響を懸念し、また学生がツールに頼りすぎ、デジタルの不平等を助長する可能性があることを憂慮しているというのである。したがって、AI をどこまで教育に取り入れるかという社会的に共通した見解は存在しない。例えば、AI をアイデア出しに使ったり事実確認に使ったりするのは許容される場合が多いとしても、レポートの構成を考えさせることは大学によって望ましくない行為とされる。AI が教育のあり方自体を再考するものであるとすれば、組織としての AI 使用の決定やポリシーの策定は時間を要するものとなる。
技術の伝播とリテラシーの変容
前回の連載で、AI と教育の関わりを、共同知ととまどいという言葉で示したことを読者は覚えていることと思われる。この言葉は、技術の伝播に関する応用言語学分野の研究と、リテラシーの変容に関わる文学分野の研究を念頭に選んだメタファーである。
前回、イギリスのオープン大学教授であるスティーブン・バックスの技術の標準化の概念を少し紹介した[5]。これは応用言語学のコンピュータ支援による言語学習(Computer-Assisted Language Learning)という分野において、教育における技術の取り入れを考察した研究である。バックスは、技術が日常に埋め込まれ、それと気付かないほど目に見えない存在となり標準化される段階を技術の理想的到達点とする。バックスは、未熟な様式から標準化された透明な存在へと至るこの技術の進歩を、エべレット・ロジャーズの技術の伝播の概念[6]を援用しつつ、次のような教育における技術の伝播の諸段階として再考する。
- ごくわずかの教師が興味から新技術を使ってみる段階
- 多くの人々は新技術に疑念を抱いたり、存在を知らなかったりする段階
- 人々は新技術を使ってみるが、問題が大きいため使うのをやめる段階
- 新技術が役にたつと人々が言いはじめる段階
- 人々が新技術を使い始めるものの、期待が大きすぎるためいまだ懸念を感じる段階
- 新技術が少しずつ当たり前のものへと変わる段階
- 新技術が日常に溶け込み目にみえない存在となって、標準化された段階
この技術の伝播の諸段階は、現在の AI と教育を取り巻く環境にそのまま適応しうる。技術の伝播は通常長い時間をかけて生じるが、生成 AI については急速に一般社会に浸透した。上記の1から5までの段階が数年のうちに一般社会及び学校教育に波及したのである。そうした状況においては、AI の有用性と懸念が混在し、教師と学生の技術に対する乖離が生じ、教育への取り入れにとまどいが生じている現状が容易に推察できるだろう。特に、クイーンズランド大学名誉教授マイク・レビと早稲田大学教授グレン・ストックウェルが共著で述べるように[7]、教育機関では、進取の気性に富む学生が様々な技術やツールを家庭で取り入れるのと対照的に、教師が技術に慣れ授業に取り入れるのは比較的時間が経ってからである。また組織としての大学は組織全体に有益かどうかという教室とは異なる判断でツールの導入を行う。このため、市場の技術はかなりの年月を経たのち、汎用的なツールのみ学校教育に導入されるのが常である。他方、近年の生成 AI に関しては市場、学生、教師、教育機関にほぼ同時に技術が流入している。判断材料となる情報の不足はもとより、技術への構造的および実践的理解、学生の反応の観察、教育自体への問い直しなどを自力で実施する必要があり、とまどいが長引いているといえる。しかしながら、とまどいとは、言外にその状況の終わりを含む言葉である。AI と教育の関係を、過去の技術の伝播と同じ種類のものとみるなら、技術が標準化される時期の到来をもってとまどいは解消されると期待したい。適切な AI リテラシーが学校教育に組み込まれれば、生成 AI の弱みと危険性についても、意識せず対応できるような自然なものとなるかもしれない。
AI が教育のあり方自体の再考を促すのではないかという点について、最後に触れておきたい。多くの記事が、AI による学習時の認知負荷の軽減や努力の欠如に言及していたが、文学分野の用語を用いて説明し直せば、これらは精読における注意と気を散らすことの論点として考えることができる。ニューヨーク大学名誉教授である文芸批評家ジョン・ギロリーによれば、精読はそれ自体、文化的に生じた構築物であり、特に1920年代イギリスの文芸批評家と1980年代以降の再評価によって現在文学研究の要とみなされるようになった読みのプロセスである[8]。精読において重要なのはページ上の言葉に対し注意を凝らすことであり、またその補完物ともいえる気を散らすこと(distraction)でもある[9]。注意も気を散らすこともどちらも、精神の働きの話であり、対象に対し集中して認知能力を働かせることといえる。漱石が『文学論』において、意識の波において意識が焦点の定まらないところから定まるところへ次第に移行するという心の働きを説明した、焦点的意識と辺端的意識のようなものであろう[10]。精読は他の領域に転用可能なものである[11]。高等教育における教育を、教育内容に対する理解と定着を図ることととるとき、そこに注意という精読の概念を当てはめることができる。学習は、一連の知識と思考への注意の持続を必要とする認知活動といえる。生成 AI は、認知の負荷を軽減する。すなわち学習者の気を逸らして注意の方向を変える機能を持つといえる。
AI と教育の観点で重要なのは、学習者にとっての注意の方向が変わったということである。それは社会の求めるリテラシーの変化といえるかもしれない。たとえば、学生がレポートを書く際、幅広い視野の入門書からアイデアを得る出発点を見つけ、さらに具体的な資料を調べて、資料を入手し、読書を行い、得られた知識を再構成して自己の考えを書くという一連の流れをたどる。AI は、はじめの出発点の段階で、種々のアイデアを提供し知識の蓄積と認知的負荷の一部を軽減する。AI により、学習者は分野の全体像の把握から気を逸らされ、より細分化された主題や、事実の真偽判定といった方向に注意を変えたのである。学習者が AI の支援を受け共同知を前提とする学習に慣れるにつれ、学習者の意識の中で学習の重要性、すなわち学習時の注意の対象が別の対象へと変化したと説明できるだろう。AI はこれまでの教育で必要とされた知識の蓄積や認知能力といった注意の対象の一部を、校正や真偽の判定といった評価を伴う方向へ移したと考えられるかもしれない。対象は変わったが、注意するという認知的な労力は変わらないのではないか。
オコンネルをはじめ多くのものが述べるように、学習習慣があり学習の意義を知る学習者は、自らの学習を支え向上させるために AI を使用する[1]。教育者の注意もまた、教育内容から学習習慣や学習の意義へと移す必要があるかもしれない。閑話休題では、AI と教育の話題を取り上げた。DH との関わりは、人文学の研究教育と AI の接点の部分にあるといえるだろう。AI と教育といった茫漠とした、しかし高等教育で必須の議論は、DH の立場から学際的に交差する領域を見据えるアプローチをとることも、一つの有効な方策であろう。
[10] 夏目漱石『文学論』上巻、岩波文庫、2007年、34–36頁。
人文情報学イベント関連カレンダー
【2026年3月】
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2026-3-2 (Mon) ~ 2026-3-4 (Wed)
第5回計算社会科学会大会(CSSJ2026)https://css-japan.com/2025/11/27/cssj2026/
於・クリエート浜松およびオンライン -
2026-3-2 (Mon)
国際シンポジウム”Cross-Border Dialogues in Digital Humanities × Public History― Doing Digital Public History & Public-Facing Digital Humanities”於・国文学研究資料館およびオンライン -
2026-3-5 (Thu), 10 (Tue), 19 (Thu), 24 (Tue)
TEI 研究会於・オンライン -
2026-3-9 (Mon) ~ 2026-3-13 (Fri)
言語処理学会第32回年次大会(NLP2026)於・ライトキューブ宇都宮(およびオンラインの予定)
【2026年4月】
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2026-4-2 (Thu), 7 (Tue), 16 (Thu), 21 (Tue), 30 (Thu)
TEI 研究会於・オンライン
【2026年5月】
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2026-5-5 (Tue), 14 (Thu), 19 (Tue), 28 (Thu)
TEI 研究会於・オンライン
Digital Humanities Events カレンダー共同編集人
◆編集後記
今月は、「第7期科学技術・イノベーション基本計画」の答申素案が公表されました。まだ素案の段階なのでこの後どうなるのかはわかりませんが、第6期の基本計画では「人文・社会科学」として40件以上の言及があったものが、素案の段階では4カ所のみになっています。これをどう捉えるか、というのは人によって様々だと思いますが、個人的には、この基本計画のレベルでの人文学の特別扱いの時期はそろそろ終わりであって、この流れを意識するのであれば、他の分野のように社会的課題の解決にどう役立つかということをそれぞれに説明する必要性が高まってきているのではないかと思うところです。学問そのものは自由ですので、必ずしもこれを意識しなければならないということはないのですが、公金を伴う活動においてはある程度意識せざるを得ないだろうかと思います。とはいえ、我々の生きる世界には多様な価値観が共存しており、そこにおいては社会的有用性というのも一意ではなく、人文学はそれを課題の一つとして大切にしてきたという面がありますので、それも含めた形での研究の展開を期待したいです。人文情報学(DH)も、コンピュータやAI技術の発展のなかで、そういったところを研究としても実践としてもきちんと対応できるようなものを目指していけるとよいのではないかと思っているところです。